地区:北海道野付郡別海町 区間:春別~上春別/17.4km 軌間:762mm/単線 動力:馬力
官設鉄道から取り残された根釧台地中央部を走る春別線。東の中春別線と西の上春別線が一体となって生まれたのが始まりで、その後、旧上春別線区間が西別線に編入され、東区間のみで春別線を名乗ることとなった。動力化された西別線に対し、輸送量の少なかった春別線は馬力のままで終始し、廃止時期も比較的早かった。
略史
| 昭和 |
11(1936) - |
5/ |
27 |
殖民軌道 中春別線 |
開業 |
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13(1938) - |
3/ |
9 |
上春別線と一体化、春別線となる |
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16(1941) - |
10/ |
22 |
旧上春別線を分離 |
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17(1942) - |
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|
簡易軌道に名称変更 |
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| |
24(1949) - |
2/ |
23 |
〃 春別線 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
省標津線駅前の春別(写真A)を起点とした中春別線。上春別線と合同し、春別線へと名称を変えた後はこちらが終点とされた。接続する省線側も国鉄、JRと移行したのち、赤字路線として廃止されてから既に30年以上が経ち、駅の雰囲気は、中春別ヘルスパークと名付けられた小公園にかすかに残されるのみだ。
駅の先にはビートと木材の土場(写真B)が設けられ、軌道も線路を延ばしていたようだ。下記参考資料1では北側に土場への別路線があったとされ、昭和20年代の空中写真からその経路が浮かび上がる。本線と合わせ、ループが形成されていたようにも読み取れる。
本線側は一旦南へ出発したのち、二回の右カーブで反転する。ここで乗り入れるのが道道8号線(写真C)で、旧根室線が春別駅を設けていた場所でもある。ただ春別線に駅の記録はない。
市街を抜けると道道から西に外れ、小さな公園を経て牧草地に飛び込む。この辺りまでは旧根室線の路線を継承し、続く右カーブで同線から分離する。しばらくして西に向かう町道(写真D)に合流し、その南脇を併走する。道路は現在二車線に拡幅され、その大半は軌道跡がベースとなる。
途中、北海道遺産となった180m幅の格子状防風林を斜めに抜け、やや飛んで殖民区画の二十八線と交差する。この手前に置かれたのが盛進(写真E)だが地形図に記載は無く、殖民軌道各線別粁程表の新西春別起点26969mを計測して場所を特定した。
町道は小野沼公園で終了し、直進する軌道側は一旦牧草地に埋没する。この中で再度格子状防風林を過ぎると、正面に南十号道路が横切る。その交点付近に設けられたのが開盛(写真F)で、距離程は25289mとされる。また通り抜けた防風林には、ルートを示唆するかのごとくV字型の開口部が認められる。
路線は同駅で左折し、南十号上を南西に向かう。その跡地は既に未舗装路(写真G)へと転換され、酪農家の作業道として活用される。三十二線から舗装路に変わり、道路上には開業当初の終点豊岡(写真H)が続く。駅の先は一旦道路から外れ、南側の牧草地(写真I)へ迂回し春別川を渡る。ただ同河川は牧草地の奥を流れ、さらに手厚い樹林帯に両岸を囲まれるため橋梁痕へのアプローチは難しい。
対岸で再び南十号上に復帰するも、以前と異なり連続した道路転用は無く、一部が作業道(写真J)、大半は牧草内の雑木帯(写真K)として南西に向かう。四十線の手前に位置したのが共和(地図L)で、ここまでの各駅に集落の形成は認められない。
相変わらず牧草地内を駆け抜ける路線は、一旦四十一線で右に折れ、国道272号線を踏み切った後、南八号で左に折れ戻す。線路跡の状態はほぼ変わらず、一部に若干路面状態の良い未舗装路(写真M)が織り交ざる程度だ。
そのまま四十六線を通り過ぎ、再度の左カーブで一旦南に向きを変える。この途中で横切る床丹川(地図N)は牧草地の奥深くに相当するため、近づくことさえ難しい。ただ下記参考資料2は、上記春別川と共に木杭と思われる橋脚の写真を載せ、残痕の存在を伝えている。
川の対岸で向きを戻すと、すぐ先が終点の上春別(写真O)となる。開業時は以西に延びる上春別線との接続駅を担い、その後、紆余曲折を経て線名変更された西別線との接続駅となった。客貨の大半は動力化された西別線に流れ、馬匹のまま残された当線は戦後早々に運行を停止した。
参考資料
- 北海道の殖民軌道/レイルロード/今井啓輔 著
- 謎の殖民軌道/芳賀信一 著
参考地形図
| 1/50000 |
計根別 |
[S19部修] |
別海 |
[S19部修] |
| 1/25000 |
中春別 |
[該当無] |
上春別 |
[該当無] |
制作公開日2026-1/19 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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