地区:北海道標茶町 区間:塘路駅前〜阿歴内/12.7km 軌間:762mm/単線 動力:馬力
道路未整備の地まで開拓民が入殖を続けた北海道。農林産品の搬出と住民の足確保を目的とし、殖民軌道が各地に建設された。この阿歴内線も同様で、道路整備の進展によりその役目を終えている。
略史
昭和 |
13(1938) - |
7/ |
28 |
阿歴内線 |
開業 |
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14(1939) - |
11/ |
10 |
〃 中村〜阿歴内 |
延伸 |
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36(1961) - |
10/ |
23 |
〃 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
釧網本線の塘路駅前(写真A)が当線の起点となり、ここから東に向かって線路を延ばしていた。駅の東側に広がる公園は、おそらく貨物用の倉庫跡地と思われる。
国鉄線の北側には久著路線も接続し、ちょっとしたターミナルを形成していたはずだが、今その面影を探し出すことは難しい。
公園の先は一旦路盤が消滅するものの、国道391号線との交差部で連続した木立のない草地(写真B)を見つけ、ここを線路跡と判断した。
その後は道々221号線の北側を走り、一旦交差して南に移った後、再び接近して合流する。線路跡の大半は藪地の中に埋もれてしまうが、合流地点で軌道ルート(写真C)を確認でき、以前は道路として使われていた雰囲気も感じられる。
ここからは道々(写真D)の北側を並走するが、一部は道路の拡幅に利用されている模様だ。
やがて道路から北に外れた軌道は、右カ-ブで向きを南東に変える。跡地(写真E)はそれなりに認識できるものの、背の高い雑草に邪魔され、直接だどることは難しい。
写真が残されたオンネムシ橋も、湖畔の架橋地点まで足を踏み入れることはできなかった。
春舞は北海道特有の牧草地に取り込まれ、位置の特定はあきらめざるを得ない。続く中村も同様で、現時点では調査のすべが見つからない。
牧草地以外は藪地といった状況の中で徐々に向きを南西へと変え、平行する道々221号線と再び交差(写真F)する。阿歴内方面は路盤らしき跡地が続き、入口が舗装されているため、以前は道路として使われていたと考えられる。
ただし線路跡はすぐ藪地に変わり、南側を流れるモアレキナイ川まで進めず、橋梁の痕跡を確認することはかなわなかった。といっても他の河川橋同様、木橋で建設されたと思われ、遺構が残されている可能性は少ない。
達古武は阿歴内北部集会所(写真G)付近と考えるが、地元で教示を得ることができず、断定するには至っていない。
駅の先からは道々脇を併走し、路盤らしき築堤(写真H)を垣間見ることができる。また途中の一部区間は、道路に取り込まれたようにも見受けられる。
終点阿歴内(写真I)は、農協の一部となることが確認出来た。牛乳輸送が軌道建設の目的の一つとなっていたことから、当然と言えば当然の帰依ではある。
なお道立図書館所蔵の平面図によると、終点は1km程南に建つ明願寺の北西付近に描かれている。敷設工事に至ったかは不明だが、計画があったことは間違いなさそうだ。
参考資料
- 標茶町史 通史編 第二巻/標茶町
参考地形図
1/50000 |
尾幌 |
[S30測量] |
1/25000 |
塘路湖 |
[S33測量] |
制作公開日2020-7/21 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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