殖民軌道阿歴内線を訪ねて
廃止鉄道ノート北海道 減速進行

 地区:北海道標茶町  区間:塘路駅前〜阿歴内/12.7km  軌間:762mm/単線  動力:馬力

道路未整備の地まで開拓民が入殖を続けた北海道。農林産品の搬出と住民の足確保を目的とし、殖民軌道が各地に建設された。この阿歴内線も同様で、道路整備の進展によりその役目を終えている。

略史

昭和 13(1938) - 7/ 28  阿歴内線  開業
14(1939) - 11/ 10    中村〜阿歴内 延伸
36(1961) - 10/ 23    廃止

路線図

阿歴内線路線図

廃線跡現況

A
18年6月
塘路駅跡写真
釧網本線の塘路駅前(写真A)が当線の起点となり、ここから東に向かって線路を延ばしていた。駅の東側に広がる公園は、おそらく貨物用の倉庫跡地と思われる。
国鉄線の北側には久著路線も接続し、ちょっとしたターミナルを形成していたはずだが、今その面影を探し出すことは難しい。
B
18年6月
阿歴内線廃線跡写真
公園の先は一旦路盤が消滅するものの、国道391号線との交差部で連続した木立のない草地(写真B)を見つけ、ここを線路跡と判断した。
C
18年6月
阿歴内線廃線跡写真
その後は道々221号線の北側を走り、一旦交差して南に移った後、再び接近して合流する。線路跡の大半は藪地の中に埋もれてしまうが、合流地点で軌道ルート(写真C)を確認でき、以前は道路として使われていた雰囲気も感じられる。
D
18年6月
阿歴内線廃線跡写真
ここからは道々(写真D)の北側を並走するが、一部は道路の拡幅に利用されている模様だ。
E
18年6月
阿歴内線廃線跡写真
やがて道路から北に外れた軌道は、右カ-ブで向きを南東に変える。跡地(写真E)はそれなりに認識できるものの、背の高い雑草に邪魔され、直接だどることは難しい。

写真が残されたオンネムシ橋も、湖畔の架橋地点まで足を踏み入れることはできなかった。
F
18年6月
阿歴内線廃線跡写真
春舞は北海道特有の牧草地に取り込まれ、位置の特定はあきらめざるを得ない。続く中村も同様で、現時点では調査のすべが見つからない。

牧草地以外は藪地といった状況の中で徐々に向きを南西へと変え、平行する道々221号線と再び交差(写真F)する。阿歴内方面は路盤らしき跡地が続き、入口が舗装されているため、以前は道路として使われていたと考えられる。
G
18年6月
達古武駅跡写真
ただし線路跡はすぐ藪地に変わり、南側を流れるモアレキナイ川まで進めず、橋梁の痕跡を確認することはかなわなかった。といっても他の河川橋同様、木橋で建設されたと思われ、遺構が残されている可能性は少ない。

達古武は阿歴内北部集会所(写真G)付近と考えるが、地元で教示を得ることができず、断定するには至っていない。
H
18年6月
阿歴内線廃線跡写真
駅の先からは道々脇を併走し、路盤らしき築堤(写真H)を垣間見ることができる。また途中の一部区間は、道路に取り込まれたようにも見受けられる。
I
18年6月
阿歴内駅跡写真
終点阿歴内(写真I)は、農協の一部となることが確認出来た。牛乳輸送が軌道建設の目的の一つとなっていたことから、当然と言えば当然の帰依ではある。

なお道立図書館所蔵の平面図によると、終点は1km程南に建つ明願寺の北西付近に描かれている。敷設工事に至ったかは不明だが、計画があったことは間違いなさそうだ。

参考資料

  1. 標茶町史 通史編 第二巻/標茶町

参考地形図

1/50000   尾幌 [S30測量]
1/25000   塘路湖 [S33測量]

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制作公開日2020-7/21 
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