殖民軌道標茶線を訪ねて
阿歴内線 居辺線 久著呂線 斜里線 弟子屈/虹別線 仁々志別線 真狩線 廃止鉄道ノート北海道 減速進行

 地区:北海道野付郡別海町  区間:標茶~計根別/38.6km  軌間:762mm/単線  動力:馬力

昭和初期に数年間だけ存在した標茶線。標茶寄りには山林が広がり、以降は農地が大半を占めることから、農産物や木材等の輸送を手掛けていた。ただ大半の殖民軌道が自動車に客貨を奪われて姿を消す中、当線はほぼ同ルートの省標津線建設によって発展的解消を遂げた。

略史

昭和 5(1930) - 12/ 12  殖民軌道 標茶線 開業
11(1936) - 9/ 9   〃     廃止

路線図




廃線跡現況

A
25年9月
釧網線の駅東に拠点の標茶(写真A)を設けた標茶線。戦後開通した西側の標茶町営軌道とは異なり、当駅が省線との重要な接続駅となっていたようだ。なお当線は殖民軌道各線別粁程表に記載がなく、駅位置は道立図書館北方資料デジタルライブラリーで公開された殖民軌道関係資料2の附図により判断した。
B
25年9月
北に出発した路線は、市街地を抜けるとすぐ丘陵の森林地帯に入り込み、跡地を追いかけることが難しくなる。木材出荷の一拠点と考えらる小川もアクセスの方法がなく、やむなく南に大きく迂回し別寒辺台林道から泉川林道に入ると、しばらくして次の桜岡(写真B)に至る。近くに民家、農地はなく、ここもおそらく木材搬出が目的の駅と思われる。
C
25年9月
ここからの林道は大半が線路跡を転用し、軌道跡林道とも呼ばれているようだ。この終端、釧路と根室の国境付近に置かれたのが両国(写真C)で、路盤が水平でやや道幅が広い個所を駅跡と判断したが、土場跡も見つからず正確なところは把めていない。また前記殖民軌道関係資料と地形図では位置が大きく異なるため戸惑いもあるが、暫定的に後者を優先した。
D
25年9月
駅の先は森林地帯を脱し、他の殖民軌道同様、牧草地を主体とした農地の中を進む。その跡地はまず二車線の県道830号線(写真D)に転換され、続いて未舗装の町道(写真E)として分岐する。途中で中風蓮川と第三中風蓮川を渡るが、共に道路用のコンクリート橋に架替えられ軌道橋の痕跡はない。
道路上の幌仁岱(写真F)も周囲に人家、集落はなく、おおよその位置を掴むに過ぎない。同駅以降の路線は、沿線の状況から農産品の輸送が主体となりそうだ。

E
25年9月
F
25年9月

G
25年9月
道路はやがて舗装路に変わり、そのまま風蓮川を渡る。軌道はここで道路から大きく離れ、かなり上流にルートを取る。勾配の緩和が目的と考えられ、その一部は作業道(写真G)として残されるも、大半は荒れ地と牧草地のため河川までたどり着けず、橋梁痕の確認は難しい。渡河を終えると先程の町道(写真H)に再合流し、北東方向を目指す。道路は西春別市街をそのまま通過するが、軌道側は南北に走る国道243号線手前で左に折れ、西春別(写真I)に至る。

H
25年9月
I
25年9月

J
25年9月
同駅を終端としていた上春別線は当線廃止時に省標津線まで延伸され、駅を北東に移した。標茶線側は駅の先で国道と斜めに交差し、今度は雑木林の中に入り込む。この中で西別川を越えた後は、農地(写真J)の中を切り裂くように北上する。酪農が主だが牧草地一辺倒ではなく、トウモロコシなども生産されている。
K
25年9月
以前は学校も設けられていたようだが、今は神社だけが残される柏野地区。同名バス停が目印となる柏野(写真K)は、道路と農地の間に残された空き地付近と考えるが、相変わらず痕跡は見つからない。その後も牧草地(写真L)が続き、最後は雑木林に囲まれた当幌川を越え、終点の計根別(写真M)に到着する。とはいえレールが途切れる訳ではなく、その先には中標津へ向かう計根別線が接続されていた。省線開通により、共に役目を終えた同志でもある。

L
25年9月
M
25年9月

参考資料

  1. 北海道の殖民軌道/レイルロード/今井啓輔  著

参考地形図

1/50000   標茶 [S7鉄補]   磯分内 [S7鉄補]   計根別 [S7鉄補]        
1/25000   標茶 [該当無]   上チャンベツ [該当無]   泉川 [該当無]   西春別 [該当無]   計根別  [該当無]

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制作公開日2025-11/17  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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