名古屋鉄道美濃町/田神線を訪ねて
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 美濃町線   地区:岐阜県岐阜市   区間:徹明町~美濃/24.8km   軌間:1067mm/一部複線   動力:電気
 田神線   地区:  同上   区間:田神~美濃/1.5km   軌間:1067mm/単線   動力:電気
岐阜市を中心として路線を延ばしていた美濃電気軌道。名鉄の一員となった後も、長く活躍した揖斐線と美濃町線は比較の対象になりやすい。当初は高床車両で運行し郊外線然とした揖斐線に対し、路面からも乗り降りできる低床車を使用していたのが美濃町線。廃止も同時期だったが、路線バスが頻繁に運行される美濃方面に対し、揖斐方面は既に直通バスが消えるなど、今はその差が際立っている。

略史

明治 44(1911) - 2/ 11  美濃電気軌道 開業
昭和 5(1930) - 8/ 20  名古屋鉄道に合併
45(1970) - 6/ 25     田神線 開業
平成 17(2005) - 4/ 1     美濃町線/田神線  廃止

路線図


廃線跡現況

A
21年3月
徹明町駅跡
岐阜市内側の始点となった徹明町(写真A)。当初は市内線ともレールがつながり乗換の拠点となっていたが、晩年は新岐阜から田神線経由の列車が増えたため、支線のような扱いを受けていた。

併用軌道で進む様子はまさに路面電車そのもので、駅間距離も短く、市街地に金園町四丁目(写真B)、二代目梅林(写真C)と連続する。ただ市内線同様ホームは設置されず、乗客は直接路上からの乗り降りを強いられていた。

B
21年3月
金園町四丁目駅跡
二代目梅林駅跡
C
21年3月

なお開業時のルートはやや北側を走り、柳ケ瀬(写真D)を起点とし美園町(写真E)、初代梅林(写真F)に電停を設け、初代二軒家(写真G)で新線と重なっていた。

D
21年4月
柳ケ瀬駅跡
美園町駅跡
E
21年4月

F
21年4月
初代梅林駅跡
初代二軒家駅跡
G
21年4月

その後さらに金園町九丁目(写真H)競輪場前(写真I)と短距離で続き、ここで南から接続してくるのが開通以来メインルートとなった田神線で、ここまでの旧来線が以後は支線化することとなった。

H
21年4月
金園町九丁目駅跡
競輪場前駅跡
I
21年3月

J
21年3月
新岐阜駅
田神線を経由する列車の発着は新岐阜(写真J)が担い、美濃町線車両に合わせた低床ホームが北側に設けられていた。

駅を出ると一旦各務原線上を走り、最初の田神(写真K)も低床ホームを併設していたが、路線廃止後に撤去され今は高床ホームのみとなっている。この東方で田神線として北に分かれ(写真L)、架線電圧も1500vから600vに切り替わった。

K
21年3月
田神駅
田神線分岐点
L
21年3月

M
08年5月
水路痕
分岐直後は両線が少し併走し、この区間に水路痕(写真M)が残されている。白い古タイヤが四隅に埋め込まれるのは、名鉄の廃線跡に共通した特徴だ。
N
08年5月
その後やや北に向きを振り、名実ともに各務原線から離れると(写真N)、歩行者用の跨道橋(写真O)と新荒田川橋梁(写真P)が連続する。
当初の二連からワンスパンへと換装されたスルーガーダーは既に取り外されたが、右岸の橋台を今も目にすることができる。

O
21年3月
新荒田川橋梁跡
P
08年5月

Q
08年5月
市ノ坪駅跡
車庫を併設していた市ノ坪(写真Q)は大型の遊戯店に変わり、何一つ痕跡は残されていない。
R
21年3月
駅の東で市道に乗り入れ、併用軌道に変わる地点で再び新荒田川を越える。北にカーブする田神線の線路を支えるため、道路橋(写真R)の西南側のみがやや張り出してつくられている。

路線はそのまま道路上を進み、競輪場前で美濃町線に合流する。
S
21年3月
岩戸前駅跡
国道248号線上を東進する美濃町線は、やがて高架となった国道156号線の下をくぐる。この手前に置かれていたのが、路線に先立って廃止された岩戸前(写真S)
ただ当駅(停留所)を含め、併用軌道では駅の開廃、移動、駅名変更が比較的安易に実施されるため、その位置や変遷を全て正確に把握することはかなり難しい。
T
21年3月
北一色駅跡
路面最後となる北一色(写真T)を過ぎると道路上から離脱し、専用の線路敷(写真U)を持つ郊外線へと変化する。跡地は今も放置されたままだが、草木が生い茂ることもなく人の手が定期的に入っていることを示している。

隣接する道路に沿ってしばらく進むと、ホームの残骸らしき小さな盛り上がりが目に飛び込む。初代野一色(写真V)の跡で、南側の細道に降りる階段も残されている。

U
21年3月
初代野一色駅跡
V
21年3月

W
08年5月
二代目野一色駅跡
旧駅のやや東に設けられた二代目野一色(写真W)には、相対式ホームが残されている。列車の対向を可能にするため、用地に余裕のある位置まで移動させたものと考えられる。
なお地区の住居表示は、今も美濃町線が描かれたままだ。
X
08年5月
駅を出ると県道92号線に接近し、その北脇を併走する(写真X)。鉄道用地は相変わらず空き地として続くが、所々で近年はやりの太陽光パネルが顔を出す。
Y
08年3月
琴塚駅跡
琴塚(写真Y)もホームが現存し、21年時点ではまだまだ鉄道の雰囲気を色濃く残している。ただ、ここから先は道路拡張に利用される箇所が多くなり、路盤の確認は難しくなる。

次の日野橋(写真Z)はごく自然に歩道とバス停に組み込まれ、駅跡の痕跡を残さない。駅を出ると右に大きくカーブし、国道156号線バイパスとの連絡路を横切る。信号に連動した長い踏切(写真AA)を設けていたが、ここも今は交差点の拡幅に利用されている。

Z
08年3月
日野橋駅跡
AA
08年3月

AB
08年3月
この先に小さな峠が待ち構え、隣接する道路と共に連続した上り勾配(写真AB)に挑む。バイパスが完成したためか、この区間は道路拡幅に利用されず、残された線路敷の一部には太陽光パネルが設置されている。

頂上に位置する岩田坂(写真AC)にもホームが残存する。ここからは一転して下り勾配に変わり、途中の踏切跡には今も路線廃止の告知看板(写真AD)が立てかけられている。

AC
08年3月
岩田坂駅跡
踏切廃止看板
AD
21年3月

AE
21年3月
坂が終わると若干離れていた国道と再度並びはじめ、直後にコンクリート橋(写真AE)と勾配票を確認できる。

この先、交差点では右折帯新設のため道路用地に取込まれるが、それ以外は未利用のまま除草シートで覆われ、やや中途半端な状態がしばらく続く。
AF
08年3月
岩田駅跡
岩田(写真AF)は21年時点でホームを確認できるものの、低床ホームのためか影が薄く、道路脇の縁石と間違われかねない。早晩撤去される運命のようにもみえる。
AG
21年3月
北西に直線で伸びる国道に対し鉄道側は途中で左にカーブし、ほぼ真北に向かって進み始める。分離箇所には橋梁跡が二箇所(写真AG・AH)連続し、後者にはなぜか新たな石柱が立ち、戸泉凾渠と刻まれている。路線廃止に伴って、鉄道の橋から水路の覆いへと用途変更されたようだ。

下芥見(写真AI)には太陽光パネルがずらりと並び、その脇から相対式ホームが申し訳なさそうに顔をのぞかせている。

AH
21年3月
下芥見駅跡
AI
08年3月

AJ
08年3月
山田川橋梁跡
駅を後にすると今度は各務用水に隣接して進み、両者並んだまま山田川と交差する。
鉄道(写真AJ)はスルーガーダー橋で越えていたが、既に痕跡を残さず撤去されてしまった。用水側は、今も河川下をサイホンでくぐり抜けている。
AK
21年3月
川の先は両者共に太陽光パネル(写真AK)が並ぶ。しかし用水側が高い位置を流れ、遠目にはこちらが線路の築堤に見えてしまう。その高低差がほぼ解消した地点に、小さな水路跡(写真AL)が認められる。同所には水力発電所跡の碑も立つが、どのような設備があったのか、現地の地形からは想像が難しい。

続く右カーブの途中にも小さな水路(写真AM)が顔を出し、ここからは再び道路上を走りはじめる。

AL
21年3月
AM
21年3月

AN
08年3月
上芥見駅跡
直後に設けられていたのが上芥見(写真AN)で、岐阜市内とは異なり路面上に小さなホームを備えていた。

ここで一旦各務用水と別れ、併用軌道として北東へ向かう。二本の道路が隣接し、その間に若干の空き地も挟まれ、土地には余裕があるように見える。にもかかわらず、なぜ道路上にレールが敷かれたのか不思議な点でもある。
AO
21年3月
残されたレール
道路が津保川を渡るために左に曲がると美濃町線は再び専用軌道に戻り、その開始地点にほんの少しだけ当時のレール(写真AO)が顔をのぞかせている。隣には小さな橋台(写真AP)も認められる。

この先は左曲線を描きながら築堤で高さを上げ、東側から接近してきた各務用水と交差(写真AQ)する。

AP
21年3月
AQ
08年3月

AR
08年3月
津保川橋梁跡
位置を入れ替えてすぐに渡るのが津保川。用水側はやはりサイホンで、鉄道側(写真AR)はデッキガーダーで越えていた。そしてやはり、橋梁は跡形もなく撤去されている。

対岸で両者とも右にカーブするが曲率は各々異なり、徐々にその距離を離していく。ただ太陽光パネルが再び同時に並びはじめるのは面白い。
AS
21年3月
そのパネルが途切れた先に斜めの水路橋痕(写真AS)が現れ、地域への配慮なのか、除草シートが被せられた箇所も前後に見受けられる。さらに進むと、21年時点では唯一のレールを抱え込んだ踏切跡(写真AT)に遭遇する。どのような経緯で残されたのか、興味を惹かれるところだ。

次の白金(写真AU)も相対ホームが現存するものの、主役の座は太陽光パネルに奪われている。

AT
21年3月
踏切跡
白金駅跡
AU
23年3月

AV
21年3月
駅から続く緩やかな左カーブ終了地点では、小橋梁の橋台(写真AV)を確認できる。

しばらく単独で進んできた美濃町線だが、右手から県道が近づくとそのまま合流し、両者並んで北上する。その跡地は歩道として利用されるが、道路が国道156号線と名称を変えた途端に転用から外れ、今度は道路脇の空き地に変わる。
AW
21年3月
小屋名駅跡
小屋名(写真AW)では、道路拡幅に合わせて新設された西側の側道が、鉄道用地を利用している。
しかし駅の北は小屋名交差点を含めて大規模な改良がなされ、ルートの特定が難しくなる。
AX
08年3月
赤土坂駅跡
ここで東に向きを変えた路線は県道79号線の北側に位置を移すが、こちらも道路拡幅に取り込まれ、今では何一つ痕跡を見つけることができない。
同区間の赤土坂(写真AX)は、同名バス停が駅跡の目印となるのみだ。
AY
08年3月
新田駅跡
次の新田(写真AY)にも痕跡はなく、バス停も位置に若干のずれがみられる。なお駅前後は二車線道路二本が線路を挟む程の幅員を持ち(写真AZ)、その余裕を生かし、鉄道廃止後は自転車道をも完備した近未来的な道づくりとなっている。

県道上を東進し国道418号線を横切ると、美濃町線は道路から左に分離する(写真BA)

AZ
08年3月
BA
08年3月

BB
08年3月
新関駅跡
しばらく空き地や駐車場に利用されたのち、やがて新関(写真BB)に到着する。街の玄関口で当線の主要駅でもあったが、跡地は分割されて新築の住宅が建ち並び、駅の存在を示すものは、今や県道からつながる駅前道路だけとなってしまった。

この東方を流れる関川には両岸の橋台(写真BC)が現存し、小橋梁跡(写真BD)も続く。線路は同所から左急カーブを描きはじめる。

BC
21年4月
BD
21年4月

BE
08年3月
県道281号線交差部
しかし途中で右に反転し県道281号線を横断(写真BE)、再度左カーブを経て(写真BF)に至っていた。これより以北が全線に先立って廃止され、急遽、長良川鉄道への連絡線を延伸したことにより、不自然な屈曲が生じている。
21年時点ではレールがそのまま放置され、簡易な駅の雰囲気も伝わってくる。

先行廃止された区間は左急カーブ終了地点で県道281号線上(写真BG)に乗り入れ、やがて道路西脇に位置を移していたが、今は全て県道の拡幅に利用された。

BF
21年4月
関駅跡
BG
21年4月

BH
21年4月
下有知駅跡
下有知(写真BH)は、道路脇の空き地が駅跡を示している。

その後は道路拡幅に利用される箇所と、中途半端に残された箇所が混在する。途中、世界かんがい施設遺産に登録された曽代用水と並走するものの、すぐに橋梁(写真BI)でこれを越え、それぞれ行き先を違える。
直後に県道からも離れ、線路跡を転用した遊歩道(写真BJ)がはじまる。

BI
08年3月
曽代用水橋梁跡
BJ
08年3月

BK
08年3月
神光寺駅跡
神光寺(写真BK)のホームは既に撤去され、その跡に設置された売物件の看板が目を引いている。
傍らに鉄道跡を利用してつくられた道との説明板も立つが、駅に関しての記載がないのは残念なところ。
BL
08年3月
遊歩道は東海環状道の手前で終了し、再び放置状態の路盤が続く。
高速道をアンダーパスした後は小さく右に曲がり、県道281号線及び曽代用水(写真BL)を順に横切る。用水のプレートガーダーは撤去されたが、やや変わった形状の橋台は今なお確認することができる。
BM
08年3月
未利用のまま続く路盤(写真BM)は特に藪地化することもなく、定期的に人の手が入っていることを窺わせる。
一部にはバラストが残され、また轍の刻まれた箇所もあることから、地元の作業道として使われている可能性もある。
BN
08年3月
赤谷川橋梁跡
突き当たりの赤谷川では、当時の橋梁(写真BN)が歩行者橋として供用されている。ただ場所が中途半端で、利用者はかなり限定されそうだ。

川を越えると再び舗装路に転用され、入口に車止が設置されるため歩行者専用道と思われるが、車両通行止の標識はない。
BO
08年3月
松森駅跡
道なりに進むと、すぐ次の松森(写真BO)に着く。ここだけ舗装が途切れ、路面には枕木が連続して埋め込まれている。残されたホームと共に、駅跡としてのモニュメント感が強い。
BP
21年4月
さらに歩行者道を北上し、東海北陸道を過ぎてしばらくするとコンクリート橋(写真BP)が現れる。多少の補修はあるかもしれないが、鉄道用をそのまま流用しているように見える。
BQ
21年4月
次の十字路で遊歩道は終了し、ここに設けられたコンクリート製ゲートには、「チンチン電車遊歩道」の銘板が掲げられている。

その後は一般道に変わり、そのまま二車線の市道(写真BQ)に合流する。ここからの市道は線路跡を転用して建設され、鉄道らしい勾配と曲線が続く。
BR
08年3月
二代目美濃駅跡
若干の上り坂を経て大きな左カ-ブを描くと、今度は連続勾配で一気に駆け下り、終点の二代目美濃(写真BR)へと滑り込む。
駅跡は公園となり、駅舎や車両がきれいな状態で展示保存されるが、駐車場がないためか、訪れる人は決して多くはない。
BS
21年4月
終点が二代目ということは初代も存在したわけで、そこにつながる開業時のルートは、東海北陸道をパスしてすぐの地点(写真BS)から始まる。

新線側は遊歩道として緩やかな右曲線を描きはじめるが、旧線はまっすぐ進み、建ち並ぶ住宅の中を抜ける。
BT
21年4月
さらに市道との交差後に現れる生活道(写真BT)が、旧線のルートに一致する。ただその距離は短く、最初の小さな右カーブ地点(写真BU)で道路から左に離れ、やや西奥を並走する。1939年の美濃町土地宝典に線路跡とおぼしき用地が描かれ、地元でもそれに符合する教示を受けた。

跡地に建つ住宅が途切れると細長い空き地(写真BV)が現れ、常唱寺裏の竹藪で終了する。以前はその竹藪付近にホーム跡が残されていたとの話も聞いたが、残念ながら駅名に関しては確認が取れなかった。

BU
21年4月
BV
21年4月

BW
21年4月
ここから先は上記土地宝典からも読み取りが難しく、路線の詳細は判然としない。
大雑把だが、東側を平行していた旧道と線路跡を一体化し、新たな生活道(写真BW)に整備されたのではないかと推測する。
BX
21年4月
初代美濃駅跡
道路は真っすぐ北上し、余取川を渡ったのちに県道80号線と交差する。旧線はその手前で左に曲り、終点の初代美濃町(写真BX)へと至る。

旧版地形図や美濃町全図を駆使しても正確な位置の割り出しは難しいが、広岡町交差点の南西角が駅跡で道路を挟んだ北側が車庫跡であること、近くでは旅館も営業していたこと、等の話を現地で教えてもらうことができた。

 

-保存車両-

BY
08年3月
保存車両
二代目美濃に4両の車両(写真BY)が展示保存されている。

参考資料

  1. とろりいらいんず136/美濃駅の変遷/服部重敬 著/日本路面電車同好会

参考地形図

1/50000   美濃 [T2鉄補]   岐阜 [S7三修]
1/25000   美濃 [S62修正]   美濃関 [H4修正]   岐阜北部 [T9測図/H4修正]   岐阜 [T9測図/H4修正]

 99年当時の各駅

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制作公開日2021-5/24 
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