東武鉄道徳川河岸線を訪ねて
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 地区:群馬県太田市  区間:木崎~徳川河岸(3.2km)/徳川河岸~平塚河岸(0.9km程)  軌間:1067mm/単線  動力:蒸気→電気

利根川の砂利採取を目的として開業した徳川河岸線。コンクリートの普及に合わせるように活況を呈していたが、昭和の半ばに操業を停止し、同時に路線も廃止された。なお採取場所が広範囲に及ぶため、本線に直通する鉄道線よりも、河川内で砂利を積み込むトロッコ軌道のほうが数倍の路線長を有していた。

略史

大正 14(1925) - 11/ 27  東武鉄道 徳川河岸線 開業
昭和 43(1968) - 6/ 10       〃  廃止

路線図


廃線跡現況

A
22年5月
東武伊勢崎線の木崎(写真A)。相対式ホームを持つ一般的な対向駅だが、以前は利根川砂利採取の拠点を担っていた。接続していたのが貨物専用の徳川河岸線で、もう一つがそれ以前の主力と思われる、河川敷から直接乗り入れていた軌道だ。構内西側の空き地や側線が当時の置き土産と考えられる。
B
22年5月
伊勢崎線から南西に別れた路線は、国道354号線をくぐった後はほぼ直線で利根川を目指す。
区画整理の済んだ農地の中を進むため、これといった発見はなく、線路用地に沿った住居(写真B)を一軒だけ見つけるにとどまる。ただし境界線のどちら側を鉄道が通っていたかの確認は取れなかった。
C
22年5月
最初に渡る石田川は既に改修が済み、痕跡は見つけられない。が、右岸に並ぶ太陽光パネルを抜けた先に、短い路盤(写真C)が現存する。廃止後、元の所有者に戻されたものの、手つかずの状態で放置されていると聞いた。

再び農地内に戻った路線は、国道17号線と県道142号線を同時に越える。
D
22年5月
さらにしばらくして南北に延びる市道と鋭角に交差し、この西側に三角形の空き地(写真D)が残される。あまり活用されてないようだが、ルートに一致することから、当時の路盤跡と考えてもよさそうだ。
E
22年5月
その後も痕跡の消えた農地の中を進み、やがて県道298号線を横切る。ちょうど沿線の青果倉庫東寄りを抜けていたと聞いた。

続く早川では、川底に沈むコンクリート構造物(写真E)を見つける。破壊された橋脚あるいは橋台が流された可能性も考えられる。
F
22年5月
川の右岸には、堤防からつながる築堤(写真F)がそのまま残されている。残念ながら距離は短く、すぐ終点の徳川河岸(写真G)に到着となる。砂利採取線からの積込場でもあり大きな土場を抱えていたが、現在は大半が太陽光パネルの下に隠されてしまった。
そのパネルの中にカーブを描く隙間(写真H)が設けられ、これがちょうど平塚側線のルートに一致するのは面白い。

G
22年5月
H
22年5月

I
22年5月
側線はそのまま利根川左岸堤防下を走り、砕石場となった平塚河岸(写真I)に至る。こちらも当然採取線が接続し、その距離は広瀬川を越え、しまむらラグビーグラウンド付近までの3km以上に及んでいた。
J
22年5月
砂利採取終了からすでに半世紀以上が経ち、きれいに整備された河川内(写真J)から、昔日の様子を思い浮かべることは難しい。
また右岸では高崎線の深谷から日本煉瓦専用線が延び、これに採取軌道が接続していたようだが、詳細は調べ切れていない。いずれにせよ品質の良い砂が大量に存在していたことは間違いないようだ。

参考地形図

1/50000   深谷 [S4修正]
1/25000   上野境 [S33測量]   深谷 [S33測量]

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制作公開日2022-7/27  *路線図は国土地理院地図に追記して作成* 
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