地区:栃木県足利市 区間:野州山辺~借宿(1.3km)/中川分岐~只上(2.9km程) 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気
砂利採取を目的として建設された貨物専用路線。運用期間が短いうえに廃線からすでに90年近くを経て、今では地元での記憶も薄らぎ、正確なルートの把握すら難しくなっている。
略史
昭和 |
3(1928) - |
2/ |
1 |
東武鉄道 借宿線 |
開業 |
|
10(1935) - |
7/ |
7 |
〃 〃 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
東武伊勢崎線の野洲山辺(写真A)が借宿線の出発点となる。当時は西側に側線が広がっていたようだが、高架化された現時点では何も痕跡は見当たらない。
南西に向かう路線は、県道40号線を越えたあたりで伊勢崎線から右に別れ、そのままドラッグストアを巻き込むような右カーブで、北西方向に反転する。
カーブ終了後は住宅地の中に埋没し、当時の用地境界線すら見つけることができない。道しるべは昭和4年の旧版地図しかなく、その精度に若干の疑問符が付く中、中川分岐(写真B)まで進むと線路が二手に分岐する。
右方向に分かれた路線は、渡良瀬川の河川敷に設けられた借宿(写真C)まで真っすぐ延びていた。砂利採取の拠点のひとつでもある。
現在の堤防なら乗り越えに築堤が必要となるが、当時はもっと低いか、あるいは自然堤防の可能性もあり、河川と直交に線路を敷設することが可能だったと思われる。
分岐を直進する側の路線は、相変わらず痕跡の消えた住宅地内を通り抜ける。
一部の道路や空き地(写真D)がルートに重なるものの、地図の精度を考慮に入れると、線路跡と断定することは難しい。
足利と太田の市境近く、つまり栃木を群馬の県境でもあるが、ここまで来て初めて砂利線が通っていたとの話を聞くことができた。ただし正確なルートに関しては不明とのことだった。
その先、両市境を流れる三栗谷用水の右岸に、初めての遺構となる橋台跡(写真E)を発見する。ただ旧版地図に描かれた位置とは若干の乖離が認められ、むしろ昭和20年代の空中写真から読み取るラインがより近く、西に進むにしたがって両者の差が徐々に大きくなっていく。
用水を越えた後はプラスチック工場(写真F)付近を抜けていたとの教示もあり、空中写真側が旧版地図より精度が高いと捉え、ここから先の道案内に利用することとした。
工場を過ぎてからは小さな牧場や八幡神社の北側を通るが、相変わらず線路跡と判断できるほどの痕跡は見つけられない。地元での情報も一切得られないままに、渡良瀬川堤防下に広がる太陽光パネル内(写真G)を抜ける。
そのまま河川敷に入り、砂利採取の拠点となる只上(写真H)へと達する。更にスイッチバックして採取範囲を広げているが、廃止からの経過時間を考えると当然というべきか、当時の面影はどこを探しても見つからない。
なお駅周辺では、地形図に描かれた南寄りのラインを空中写真からも読み取ることができる。どちらのルートが正しいのか、あるいは両者不正解なのか、現時点では結論が出せていない。
参考資料
- 鉄道ピクトリアル通巻799号/東武借宿線位置の同定/小野田恵一・林信宏 共著
参考地形図
1/50000 |
深谷 |
[S4修正] |
桐生及足利 |
[S4修正] |
1/25000 |
足利北部 |
[該当無] |
足利南部 |
[該当無] |
制作公開日2022-10/28 *路線図は国土地理院地図に追記して作成*
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