地区:石川県羽咋市 区間:羽咋〜三明/25.5km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
七尾線のルートから取り残された能登半島西側の外浦沿岸。羽咋と輪島を結ぶ新たな鉄道が富来町の有力者を中心として計画された。ただ全国的な鉄道ブームに浮かれていた時期でもあり、見通しの甘さは否めず、結果的には計画の半分にも満たない三明までの開通が精いっぱいで、運動の中心となった富来町にすら届かなかった。ただ北陸鉄道に合同したことが幸いしたのか、沿線に大きな集落が少ない割に廃止時期は比較的遅かった。
路線図 |
略史 |
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A | 七尾線との接続駅であり、能登線の起点でもあった羽咋(写真A)。JR駅の東側に隣接していた駅跡は、線路跡を転用した羽咋県民自転車道や東口の整備に利用されている。 | ||
17年9月 |
その自転車道を北に向けて出発すると河川が二本連続し、北側の羽咋川では鉄道の橋梁(写真B)がそのまま道路用として使われている。プレートガーダーには1961年の銘板が付き、廃止10年程前に更新されたことを示す。 南側の子浦川もおそらく再利用と思われるが、確認は取れていない。 |
B | ||
17年9月 |
C | 川を渡ると徐々に高度を上げつつ大きく左に曲がり、そのまま七尾線を乗り越える(写真C)。ここの跨線橋もやはり当時のものだ。 その後は一車線道路と並走しながら国道249号線をくぐる。左手に高校があるため、通学時間帯は自転車道もかなり混雑する。 |
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17年9月 |
緩やかな上り坂が終わり、のと里山海道の下を通り抜けると、右から二車線道路が合流してくる。この先の道路は、鉄道跡を拡幅転用して建設されたもの。 合流点では西側の歩道部分(写真D)が路盤に相当するが、途中で道路の東に移り、さらに右に分離して細い舗装路として現れる。 |
D | ||
17年9月 |
E | その細道の先が能登一ノ宮(写真E)。気多大社の大きな鳥居の前が駅跡で、正月に乗り入れてくる国鉄列車用に長いホームを備えていたため、今も大きな空き地が広がっている。 駅を出て道なりに進むが、この区間は自転車道に含まれていないのか、車両通行止等の標識はない。しばらく北上し一ノ宮公民館まで来ると、やっと車止が設置され、車の進入は不可能になる。 |
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17年9月 |
その後、左にカーブし、向き西へと変えた地点で道路下に小橋梁(写真F)を見つける。石積橋台は当時のものと考えられるが、桁に関しては判断が難しい。 全線を通して同様の橋梁が何か所もあるが、道路用に造り直されたり、あるいは当時の橋台が隠されていたりと、形態は様々だ。 |
F | ||
17年9月 |
G | 続く滝(写真G)は列車交換可能駅でもあり、その大きな構内は公園や空き地等に変わっている。 公園側に駅舎が設けられ、乗客は南の県道から出入りしていた。 |
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17年9月 |
駅を出ると一旦県道に合流し、その歩道(写真H)を担うものの、滝町の集落を抜けると再び単独の自転車道としてつながっていく。ただ、羽咋県民自転車道の案内が一切ないのは、なんとも残念なところ。 | H | ||
17年9月 |
I | この先は景色の良い海岸沿い(写真I)を走る。道路そのものに歩行者専用道の標識はなく、途中に置かれたコンクリート製の大きなブロックが車の通行を阻止している。 柴垣海岸の近くまで来て初めて標識に出会うものの、道路上にはなぜか車の走行跡が刻まれている。 |
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17年9月 |
柴垣(写真J)は公園兼自転車道の休憩所となり、南側に漁協の施設も建つ。夏季には海水浴客を満載した国鉄直通列車が乗り入れ、SL牽引の8連客車に対応する大きな構内、ホームを有していたはずだが、今その面影は微塵もない。 | J | ||
17年9月 |
Q | 駅の先で国道を越えた後は、一旦消滅した自転車道が復活する(写真Q)。ここからは国道の東側を並走しながら終点を目指す。連続した上り坂が終わり、緩やかな下りに入ると大笹(写真R)に着く。同名のバス停が目印となるものの、駅跡の雰囲気は一切感じられない。 次の米町[こんまち](写真S)にはトイレと駐輪場が備わっているが、一台の利用もないのはやや寂しいところ。 |
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17年9月 |
1/50000 | 能登高浜 | [S35資修] | 氷見 | [S35修正] | |||
1/25000 | 能登高浜 | [S41測量] | 羽咋 | 中島 | 柴垣 |