北陸鉄道能登線を訪ねて
浅野川線 石川線 金石線 河南線 金名線 小松線 能美線 廃止鉄道ノート北陸 減速進行

 地区:石川県羽咋市  区間:羽咋〜三明25.5km  軌間:1067mm単線  動力:蒸気→内燃

七尾線のルートから取り残された能登半島西側の外浦沿岸。羽咋と輪島を結ぶ新たな鉄道が富来町の有力者を中心として計画された。ただ全国的な鉄道ブームに浮かれていた時期でもあり、見通しの甘さは否めず、結果的には計画の半分にも満たない三明までの開通が精いっぱいで、運動の中心となった富来町にすら届かなかった。ただ北陸鉄道に合同したことが幸いしたのか、沿線に大きな集落が少ない割に廃止時期は比較的遅かった。

路線図

略史



大正 14(1925) - 3/ 3  能登鉄道  開業
昭和 18(1943) - 11/ 25  北陸鉄道に合同
47(1972) - 6/ 25     能登線 廃止

廃線跡現況

A
17年9月
七尾線との接続駅であり、能登線の起点でもあった羽咋(写真A)。JR駅の東側に隣接していた駅跡は、線路跡を転用した羽咋県民自転車道や東口の整備に利用されている。
B
24年5月
その自転車道を北に向けて出発すると河川が二本連続し、南側の子浦川は昭和中期の河川改修時に国鉄線と一体化した橋梁(写真B)が建設され、今も橋脚部はつながったままだ。北陸鉄道の橋桁は撤去されることなく、現在の自転車道に利用されたと思われる。
北側の羽咋川(写真C)も同様で、こちらはプレートガーダーに1961年の銘板が付き、廃止10年程前に更新されたことを示す。 C
17年9月
D 川を渡ると徐々に高度を上げつつ大きく左に曲がり、そのまま七尾線を乗り越える(写真D)。ここの跨線橋もやはり当時のものだ。
その後は一車線道路と並走しながら国道249号線をくぐる。左手に高校があるため、通学時間帯は自転車道もかなり混雑する。
17年9月
緩やかな上り坂が終わり、のと里山海道の下を通り抜けると、右から二車線道路が合流してくる。この先の道路は、鉄道跡を拡幅転用して建設されたもの。
合流点では西側の歩道部分(写真E)が路盤に相当するが、途中で道路の東に移り、さらに右に分離して細い舗装路として現れる。
E
17年9月
F その細道の先が能登一ノ宮(写真F)。気多大社の大きな鳥居の前が駅跡で、正月に乗り入れてくる国鉄列車用に長いホームを備えていたため、今も大きな空き地が広がっている。
駅を出て道なりに進むが、この区間は自転車道に含まれていないのか、車両通行止等の標識はない。しばらく北上し一ノ宮公民館まで来ると、やっと車止が設置され、車の進入は不可能になる。
17年9月
その後、左にカーブし、向き西へと変えた地点で道路下に小橋梁(写真G)を見つける。石積橋台は当時のものと考えられるが、桁に関しては判断が難しい。
全線を通して同様の橋梁が何か所もあるが、道路用に造り直されたり、あるいは当時の橋台が隠されていたりと、形態は様々だ。
G
17年9月
H 続く(写真H)は列車交換可能駅でもあり、その大きな構内は公園や空き地等に変わっている。
公園側に駅舎が設けられ、乗客は南の県道から出入りしていた。
17年9月
駅を出ると一旦県道に合流し、その歩道(写真I)を担うものの、滝町の集落を抜けると再び単独の自転車道としてつながっていく。ただ、羽咋県民自転車道の案内が一切ないのは、なんとも残念なところ。 I
17年9月
J この先は景色の良い海岸沿い(写真J)を走る。道路そのものに歩行者専用道の標識はなく、途中に置かれたコンクリート製の大きなブロックが車の通行を阻止している。
柴垣海岸の近くまで来て初めて標識に出会うものの、道路上にはなぜか車の走行跡が刻まれている。
17年9月
柴垣(写真K)は公園兼自転車道の休憩所となり、南側に漁協の施設も建つ。夏季には海水浴客を満載した国鉄直通列車が乗り入れ、SL牽引の8連客車に対応する大きな構内、ホームを有していたはずだが、今その面影は微塵もない。 K
17年9月
L
17年9月
続く甘田(写真L)は駅跡と思われる小さな空き地が残され、当時の取り付け道路は既に構内を貫通し海岸まで突き抜けている。
M
18年7月
引き続き北に向かう自転車道は、両脇を藪地に囲まれながら緩やかにアップダウンを繰り返す。
大島(写真M)は集会所が目印となる。東西の二車線道路が駅前通りに相当し、駅舎は羽咋寄りにあったと聞いた。
N
17年9月
更に自転車道を道なりに進むとやがて二車線道路へと変わり、ほどなく能登高浜(写真N)に到着する。駅跡はバスターミナルに利用され、待合室には当時の駅名標、運賃表なども展示されている。
O
17年9月
駅を後にした道路は於古川を渡り、右手のJA施設を過ぎると左急カーブで向きを変える。直進する能登線側は単独の自転車道に戻り、そのまま北東へと向かう。
その最初の十字路に志賀町(写真O)が位置した。道路がやや広がり、三角の駅前広場らしき空き地も残る。
P
17年9月
次第に雑草が増え始めた自転車道を進むと、国道249号線との交差手前で突然通行止標識に行く手をふさがれる。迂回して廻り込んだ国道の北側には、築堤が一部残され、橋梁(写真P)も一か所健在だ。
路面は舗装されているものの既に自転車道としては放棄され、遠くない将来に圃場整備で姿を消す可能性が高い。
Q
17年9月
さらに橋梁の撤去された米町川を渡ると、再び一車線の舗装路に転換される。ただこの道も、すぐ国道に突き当り終了する。堀松(写真Q)はその手前に設けられていた。
R 駅の先で国道を越えた後は、一旦消滅した自転車道が復活する(写真R)。ここからは国道の東側を並走しながら終点を目指す。連続した上り坂が終わり、緩やかな下りに入ると大笹(写真S)に着く。同名のバス停が目印となるものの、駅跡の雰囲気は一切感じられない。
次の米町[こんまち](写真T)にはトイレと駐輪場が備わっているが、一台の利用もないのはやや寂しいところ。
17年9月

S
17年9月
T
18年7月

U
18年7月
直海(写真U)は国道に隣接しつつ、一段低い路盤に沿って置かれていたようだ。同名バス停もあるが鉄道駅は北側の三叉路付近となる。
志賀町せせらぎ自然公園を過ぎたのちは小さな峠越え(写真V)に挑む。この区間は国道側の拡幅工事により、線路跡と自転車道のルートが完全一致とならない。峠を越え、緩やかな下り坂が終わると米町川を渡る。ここでは鉄道時代の橋梁(写真W)が、道路用として再利用されたことを確認できる。

V
17年9月
W
17年9月

X
17年9月
そのまま国道沿いを北西に進み、わずかな距離で終点三明(写真X)に到着する。小さな集落に設けられた駅で鉄道の終点としてはやや寂しいが、当時の能登鉄道に輪島まで延伸する余力はなく、以北の建設は断念せざるを得なかった。
鉄道廃止後はバスターミナルに転用されていたものの、現在は駐車場と公園に変わり、駅を偲ぶ石碑も飾られている。なおルートを共にしてきた羽咋県民自転車道は、この先巌門まで続いていく。

参考資料


参考地形図

1/50000   能登高浜 [S35資修]   氷見 [S35修正]
1/25000   能登高浜 [S41測量]   羽咋   中島   柴垣

お断り    ↑ページtop
最終更新日2024-8/1  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
転載禁止 Copyright (C) 2016 pyoco3 All Rights Reserved.