地区:石川県金沢市 廃止区間:北鉄金沢~七ツ屋(0.8km)/内灘~粟崎海岸(1.7km) 軌間:1067mm/単線 動力:電気
略史
大正 |
14(1925) - |
5/ |
10 |
浅野川鉄道 |
開業 |
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15(1926) - |
5/ |
18 |
〃 金沢駅前~七ツ屋 |
延伸 |
昭和 |
4(1929) - |
7/ |
14 |
〃 新須崎~粟ヶ崎海岸 |
延伸 |
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21(1946) - |
2/ |
26 |
北陸鉄道に合併 |
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47(1974) - |
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〃 内灘~粟ヶ崎海岸 |
休止 |
平成 |
13(2001) - |
3/ |
28 |
〃 北鉄金沢~七ツ屋 |
移設 |
路線図
金沢駅周辺 |
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内灘周辺 |
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廃線跡現況
-金沢駅周辺-
開業当初の初代金沢駅前(写真A)は、現在の駅前広場に食い込むような形で駅を設け、北陸線とつながる貨物受渡線も北に延びていた。ただ二度にわたる駅前整備事業を経て、今では痕跡はおろか正確な位置を把むことも難しい。
昭和中期のバスターミナル新設時に、駅用地を供出し路線を短縮した浅野川線。二代目北鉄金沢(写真B)も駅前広場に臨む地上駅として長く活躍したが、21世紀初頭の地下化に伴ってその姿を消した。
駅を出た旧線はビル群の中でS字急カーブを描き、東寄りに位置を移す。この一画には同社のバスプール(写真C)も含まれるが、既に当時の痕跡は消え、正確な線路跡の追跡は困難といわざるを得ない。
堀川町中交差点で一旦県道200号線に並び(写真D)、遊戯店内を抜けたのち一車線の舗装路(写真E)に転換される。この途中に置かれた堀川(写真F)は地形図に記載がなく、昭和前期の市街図を参照する必要がある。
駅の先は緩やかな左カーブを描きつつ、北陸線の高架橋(写真G)をくぐっていたが、現在は新幹線が追加され、北陸線は第三セクターのIRいしかわ鉄道へと変わる。
少し進むと左から地下新線が接近し、そのまま合流する。同所に位置したのが初代七ツ屋(写真H)で、新線移行後の二代目は若干南方へ移動した。
-内灘海岸周辺-
浅野川線の終点となる内灘(写真I)。当初はカーブ途中の中間駅として構内南側の駐車場付近に置かれ、その後一旦東寄りに移り、現状の三代目に変わったのは以北の路線が廃止されてからとなる。ただし初代の粟ヶ崎遊園前を記載した地図はなく、また次駅と一文字違いの駅名は混乱を招くこと必定で、初代駅は旅客扱いのない貨物駅だった可能性が高い。
駅を出て海岸へと進む路線は、左カーブ終了地点で四車線の市道脇に並ぶ(写真J)。市道側が後輩にあたり、鉄道廃止と時期を合わせたように開通した。
並んだ直後の両者は高低差が大きいものの、鉄道側が小さな段丘を越えるべく徐々に高度を上げ、粟ヶ崎遊園(写真K)でほぼ同レベルに達する。
この区間の南側には北陸の宝塚とも称された一大レジャー施設「粟ヶ崎遊園」が広がり、同駅がその玄関口を担っていたと考えられる。
続く右カーブで緑台二丁目交差点を通り抜け、海岸方向に向きを戻す。ここからは内灘砂丘と呼ばれる一帯に入り、当初は廻りに人家のない地区を進んでいた。やがて住宅地としての開発が進むと線路の西隣に街路が設けられ、徐々に戸数が増えていった。鉄道廃止後の跡地(写真L)もやはり住宅用地に変わり、一部は街路東側の歩道に利用された模様だ。
海岸の一歩手前に置かれた二代目粟ヶ崎海岸(写真M)。一旦路線が廃止され、数年を経たのち再開された時期の終点となる。現在は粟崎やすらぎの林と名付けられた公園内の一角を占め、駅までの通路がほぼ線路跡に一致する。
初代粟崎海岸(写真N)はさらに進んだ砂浜沿いに設けられていた。しかし路線を確認できるのが精度にやや難のある昭和22年の地形図と、歪の大きな1946年の空中写真のみで、正確な経路の割り出しは難しく駅位置を含めて大雑把な把握にとどまった。
参考地形図
1/50000 |
金沢 |
[S35資修] |
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1/25000 |
粟崎 |
[S23資修/S43改測] |
金石 |
[S22資修] |
金沢 |
[S22資修/S63修正] |
94年当時の各所
制作公開日2024-10/19 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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