鶴居村営軌道を訪ねて
阿歴内線 久著呂線 標茶町営軌道 当別町営軌道 仁々志別線 真狩線 廃止鉄道ノート北海道 減速進行

 地区:北海道釧路市  区間:新富士〜中雪裡(28.7km)/下幌路〜新幌路(19.2km)  軌間:762mm/単線  動力:馬力→内燃

北海道には入植者のために数多くの簡易軌道が建設されその足を支えたが、やがて道路の整備とともに消えていった。その中でも、この鶴居村営軌道は遅くまで活躍した軌道の一つだった。大地に戻った簡易軌道が多い中で、当線には路線の位置を特定できる遺構が比較的多く残る。

略史

昭和 2(1927) - 11/  殖民軌道 雪裡線/幌呂線  開業
29(1954) -  鶴居村営となる
42(1967) - 8/ 20    軌道   廃止

路線図




廃線跡現況

-雪裡線-

A
23年6月
根室本線の初代駅前に設けられた新富士(写真A)。貨物受渡を目的としたループ線の図面も残るが、実際に敷設されたかは確認できていない。ただ構内配置に変遷があったことは、各種資料から読み取れる。
なお現JR駅前は、当時から一区画西に移動している。
B
23年6月
駅を出た路線はすぐ右に曲がり、現在の駅前道路(写真B)を北上する。線路に沿って建設され、軌道廃止後その用地を吸収して拡幅された道だ。途中で平面交差する雄別鉄道とは、乗越型と呼ばれる珍しい方式がとられていた。
C
23年6月
鳥取神社の横に設けられていたのが鳥取(写真C)。鳥取県からの移住者で形成された鳥取村が地名、駅名の起源となっている。
なお地図に記載のない途中駅は距離計測で位置を推定したが、資料により数値に若干の差異が認められるため、その精度にはやや不安も抱えている。
D
23年6月
駅の北で新旧ルートが別れる。開業時のルートはすぐ左折し、国道38号線(写真D)の南側を西進する。その跡地は既に道路拡幅に利用され、当時の雰囲気を感じ取ることは不可能と言わざるを得ない。
E
23年6月
国道の緩やかな左カーブ地点で軌道側は逆の右に曲がり、両者は分離する。ここに国道口(写真E)が置かれ、駅を出た路線はそのまま住宅地に飛び込んでしまう。
F
94年5月
道道113号線との交差後は、住宅地の先に一部の路盤(写真F)が放置されたまま残されている。
同所の民家隣地には無数の鹿の足跡が刻まれ、さすが北海道と感心させられた。
G
94年5月
さらに仁々志別川を渡ったのち、既に廃止となった雄別鉄道をオーバークロスする。その雄別鉄道跡を転換した自転車道を利用すると、モアイ像のような跨線橋台跡(写真G)を間近に観察することが可能だ。
H
23年6月
立体交差の北側に雄別線との貨物受渡用の側線(写真H)を設けていたが、湿原内でもあるため跡地の確認は難しいと言わざるを得ない。
I
94年5月
なお鳥取市街地では国道の交通量増加や冬季の除雪問題が運行に障害となり、解決策として北方への線路移設が決定された。
その新線側は鳥取からまっすぐ北上し、仁々志別川と雄別鉄道を左急カーブで同時に越えたのち、徐々に地上へと降りる。この築堤上に置かれていたと思われるのが昭和地区(写真I)だが、既に盛土は撤去され、文字通り、架空の駅となってしまった。
J
94年5月
地上に戻された跡地は住宅地の舗装路(写真J)に転用され、特養ホームを過ぎると未舗装路(写真K)に変わる。しばらくは歩行も可能だが、やがて背の高い雑草が一面を覆いだす。
さらに北上を続けると、建設中の道東道インター真下付近で旧線が左から合流してくる。この北方に置かれていた鶴野(写真L)は長年放置状態のようで、今のところ現地にたどり着く術はなく、当時のアクセス方法も疑問点として残される。

K
94年5月
L
23年6月

M
94年5月
路線はそのまま釧路湿原道路と呼ばれる市道(写真M)に合流する。94年時点で車の通行は制限されていたが、今は二車線の舗装路として供用され、ここからの道路は線路跡を拡幅転用したものとなる。
N
23年6月
北東に向かっていた市道はやがて右に大きく反転し、軌道のルートから外れる。残された路盤(写真N)は湿原内を直進し、北海道自然歩道と名付けられた小径に変わる。
O
23年6月
湿地帯の中をしばらく進むと、丘陵につながる草地が左手に広がる。駅へのアプローチを考えるならここしかない、といった場所で丸松(写真O)の置かれた場所でもある。最新の地形図にも、北斗遺跡方面からの細道が描かれている。
P
23年6月
駅の先でほぼ真北に向きを変えた路線上には、ひだまり広場、湿原展望台への各分岐点、さらに温根内ビジターセンターまで2.3kmの距離標示が順に現れる。
この北に小橋梁跡(写真P)が残され、桁は換装されたもののコンクリート製の橋台は軌道時代の遺構と考えられる。
Q
23年6月
途中で枕木の跡を刻んだと思われる路面の凹凸を確認しつつ、さらに北上を続けると、再び丘陵から連なる草地が接近する。三号(写真Q)の設けられていた場所だが、地形図にアクセス路の記載はなく、近くに人家、農地の類も確認できない。
R
23年6月
ここで若干西に向きを振った路線は、やがて木道(写真R)で整備された温根内探勝コースに組み込まれる。湿原の貴重な植物が数多くみられ、観光客に人気のスポットとなっている。ただし軌道のルートと木道が若干ずれる箇所があるため、注意が必要となる。
S
23年6月
周遊路の中心施設ビジターセンターまで進むと、木道は舗装路(写真S)に転換され、そのまま新釧路川右岸堤防に突き当たって終了する。この北側に置かれていたのが温根内(写真T)で、地形図に描かれた最初の駅でもある。
駅の先で道道53号線と交差し西側に出ると、すぐ温根内川を渡る。以前は湿原内の橋台(写真U)とそれに続く築堤を認めたが、既に撤去されてしまったようだ。

T
94年5月
U
94年5月

V
23年6月
川を越えた後は、再度道道と交差し位置を東に戻す、と同時に線路跡(写真V)が再び姿を現す。ただし二車線分の幅員ときれいに整地された現状からは、以前道路として使用されていた、あるいは道道への転換計画が途中で中止された、等々の推測が浮かぶ。ちなみに現在の道道53号線は、軌道廃止後に建設されている。
W
23年6月
連続した上り勾配が終わると一旦痕跡は消え、やや飛んだ先の小さな集落内に坂ノ上(写真W)が設けられていた。傍らには軌道のレールを再利用したと思われる支柱(写真X)を見つけることもできる。なお道道を挟んだ東側には夢の杜と呼ばれる住宅団地が造成され、部外者にはかなり不便な場所と映るが、地元での人気は上々のようだ。
駅の北に未舗装路が続くものの、すぐ背の高い雑草に行く手を阻まれ、次いで牧草地の中に入ってルートは消えてしまう。

X
23年6月
距離計測による南四線(写真Y)は酪農施設内を指し示すものの、住所は南三線とのことでやや腑に落ちない点でもあるが、それ以上の追求は諦めた。
Y
23年6月

Z
94年5月
ここからは雑草地となった路盤を確認することが可能で、配管の埋設を示す第四号幹線等の標示(写真Z)が立つことから、地元のインフラ基盤に活用されていると考えられる。
AA
23年6月
一旦掘割を進んだのち道道53号線に近づくと、土地の起伏に合わせるべく今度は築堤(写真AA)に変わる。路面に雑木がないのは、定期的に人の手が入っていることを物語っている。
AB
94年5月
続く藪地を抜けた先が、地形図に記載のある下幌呂(写真AB)となる。幌呂線との分岐駅で、両線が双方向に直通できるようなデルタ線を設けていた。廃止後しばらくは駅周辺に家屋も立ち並んでいたが、23年時点ではすべて撤去されている。
AC
23年6月
駅北方の幌呂川を渡ると道道に近づき、その西側を併走する。道路脇に水路、その西に藪地化した軌道路盤、さらに水路と並び、この区間に眼鏡型の暗渠(写真AC)を見つけることができる。
AD
94年5月
以前、湿原内に築堤と橋台跡を垣間見ることができた鶴居芦別川(写真AD)も、生い茂る雑木によって存在の確認が不可能となってしまった。
AE
23年6月
定番の藪地を抜けたのちは再度道道と交差し、その直後に位置したのが下雪裡(写真AE)だ。
駅の先は丹頂鶴観察の人気スポット、鶴見台(写真AF)を横目に進む。軌道跡に沿って柵が設けられ、見学者の立つ場所が線路跡となる。なお北側に水路(写真AG)が続き、これを軌道跡と捉えてよさそうだ。

AF
94年5月
AG
23年6月

AH
23年6月
北六線(写真AH)は当時のアクセス路が見つからず、場所の推測が難しい。駅間距離だけを頼りに、下雪裡6号線沿いの牛舎北側あたりかと判断するのみだ。
ほぼ真北に向いた路盤上には風防林のような樹木が茂り、牧草地の中でひときわ目立つため、ルートの追跡は比較的容易になる。
AI
23年6月
下雪裡7号線との交差後は酪農場に入り、抜け出た先の道路沿いに北八線(写真AI)が置かれていたと思われる。ここからは一旦舗装路(写真AJ)に転用されるものの、すぐに終了し、再び線路跡のみが樹木帯となって北に向かう。
しばらくして西から道道が近づき、軌道と並んだ地点が十一線(写真AK)で、道路脇に若干の空き地が認められる。

AJ
23年6月
AK
23年6月

AL
94年5月
その後は区画整理された農場内に入り、痕跡は消える。以前この区間に、林の中を切り裂くような線路跡(写真AL)を確認できたが、現在は藪地化が進み、一見しただけの判別は不可能となってしまった。
AM
23年6月
この先、鶴居市街地では道道に平行する舗装路に転換され、道なりに進むと、廃止時の終点二代目中雪裡(写真AM)に至る。鶴居中学校の南西にあたるが、道路化に伴って駅跡の雰囲気はどこにも残されていない。
AN
23年6月
初代中雪裡(写真AN)はやや北に位置し、機関庫なども備えた大きな構内を有していたが、こちらも温泉の駐車場などに利用され、当時の詳細図と照らし合わせて何とか位置の特定ができるといった状況だ。
また軌道建設の主な目的のひとつが農産物出荷にあったため、レールは駅北方の農協内(写真AO)へと伸び、さらに北西に設けられた牛乳工場(写真AP)まで続いていた。ただ工場はすでに閉鎖され、23年時点でタクシー会社の営業所に変わっている。

AO
23年6月
AP
23年6月

-幌呂線-

AQ
94年5月
下幌呂から西に分岐した幌呂線は、道道243号線の北側を併走する。今も道路脇の空き地として残される路盤(写真AQ)上には、送電線の電柱が建ち並び、これもインフラ基盤への再用と言えるかもしれない。
AR
23年6月
最初の緩い右カーブ途上に置かれていたのがブロック工場入口(写真AR)となり、珍しく地名以外の駅名が採用されている。
AS
23年6月
比較的短距離で次の製粉所前(写真AS)が続く。おそらく開業時は新幌呂と呼ばれ、その後改称したものと思われる。また雪裡線位置図には杉尾前の名称を見つけることもできる。
AT
23年6月
同所で道道から離れ一旦藪地化するが、すぐに再合流しそのまま幌呂川を越える。この区間の道道は珍しく軌道跡を転用して建設されている。
川を渡ると両者は再度別れ、軌道側は道路東奥の藪地内を進むことになる。一画を過ぎたのち、北四線との交差箇所では道路横断工の標示があり、道路側に配管を埋め込んだと思われる舗装の切れ目(写真AT)が横切る。
AU
94年5月
北側は牧草地となり、さらに幌呂のコミュニティーセンターを抜けると再び道道と交差(写真AU)、ここから舗装路への転用がはじまる。
AV
23年6月
集落の中をしばらく北上すると、やがて中幌呂(写真AV)に到着する。幌呂保育園が目印となり、Aコープ横から入る駅前道路も健在だ。幌呂線では、地形図に記載された最初の駅でもある。
AW
23年6月
駅の先で転用道路は途切れ一旦藪地化するものの、その中にも雑木のない路盤(写真AW)が見え隠れする。以前、この区間で築堤と橋台(写真AX)も確認したが、すでに撤去されたのか23年時点で探し出すことは難しく、いまだ場所の特定ができていない。
その築堤同様、はっきりしないのが茂幌呂入口(写真AY)。住所から北八線を流れる支幌呂3号川の前後と考えられるが、全て牧草地の中となるため、地理的な判断材料が何もないのが痛い。

AX
94年5月
AY
23年6月

AZ
23年6月
北上を続ける路線は、一旦道道829号線(写真AZ)に合流する。道路は線路跡の転用となるが、距離は短くすぐ旧道側のルートへと戻る。片や軌道側は牧草地や藪地に痕跡を消されつつ、支幌呂2号線沿いの支幌呂(写真BA)まで進む。
駅の北側は線路跡の狭小部のみ雑木が茂るため、ルートの把握は容易だ。さらに酪農施設を抜けた先の牧草地では、片隅に放置された路盤(写真BB)が姿を見せている。

BA
23年6月
BB
23年6月

BC
23年6月
やがて道道に再接近し、そのまましばらく併走すると次の旧駅逓(写真BC)が近づいてくる。地形図には駅の記載がないもの、ホロロ植民地増設区画図に上幌呂として描かれる。これは開業当初の駅名のようで、資料によっては元駅逓の名称を見出すことも可能だ。
BD
94年5月
上幌呂(写真BD)は機関庫なども備えた主要駅で、開業当初は幌呂線の終着駅を担っていた。ここも上記植民地増設区画図には新幌呂と印され、駅名の変遷があったことを物語っている。
BE
94年5月
その広い構内は消防施設等に転用され、当時の面影がほぼ消えた中、唯一機関庫(写真BE)だけが生き残り、今は地元の共用倉庫として活用されているようだ。

この先、道道の北側を併走していた軌道の大半は道路用地内に取り込まれ、おそらく送電線ルートに充てられていると考える。また路盤が直接道路に転換された区間も一部に確認できる。
BF
94年5月
次の新幌呂下は参考資料2に示されるものの、距離表示がないため計測が不可能で、痕跡も認められず、位置の推定は今後の課題とした。

終点新幌呂(写真BF)はバス停が目印となっていたが、今は予約時のみ運行されるデマンドバスの出発点となっている。当時から近くに大きな集落はなく、23年時点でバス停周辺に人家はない。通常の鉄道ではありえないような終点だが、殖民軌道とはこんなものだと強引に疑問点を抑え込んだ。

-保存車両-

BG
23年6月
鶴居村ふるさと情報館に保存される車両(写真BG)

参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻470号/鶴居村営軌道/清水一史・飯塚卓治 著 ・・・失われた鉄道・軌道を訪ねて
  2. 釧路根室の簡易軌道/石川孝織・奥山道紀・清水一史・星匠 編著/釧路市立博物館
  3. 殖民軌道関係資料3/北海道立図書館北方資料デジタルライブラリー

参考地形図

1/50000   中雪裡 [S30測量]   徹別 [S30測量]   大楽毛 [S30測量/S36修正]   釧路 [S30測量]
1/25000   上幌呂 [S34測量]   下幌呂 [S33測量]   大楽毛 [*S33測量]   鶴居 [S33測量]
  釧路港 [S33測量]   徹別 [S34測量]

お断り    ↑ページtop
最終更新2023-7/23  *路線図は国土地理院地図に追記して作成* 
転載禁止 Copyright (C) 2000 pyoco3 All Rights Reserved.