静岡鉄道静岡清水旧線を訪ねて
秋葉線 静岡市内線 清水市内線 駿遠線 廃止鉄道ノート東海 減速進行

 地区:静岡県静岡市  区間:新静岡~波止場/12.7km  軌間:762→1067mm/単線→複線  動力:蒸気→電気

静岡に集められた特産の茶葉を、清水港まで運ぶために建設された軌道。いざ開通すると予想外に旅客数が増え続けたため、改軌・電化・複線化工事を実施して輸送力を増強した。現在、貨物輸送は終了し港への端部も廃止されたが、きめ細かな駅配置とフリークエンシーサービスで、平行するJR東海に対抗している。

略史

明治 41(1908) - 5/ 18  静岡鉄道 開業
8/  大日本軌道に合併、静岡支社となる
12/ 9      全通
大正 8(1919) - 5/ 1  駿遠電気に譲渡
9(1920) - 8/ 2    改軌・電化
12(1923) - 3/ 12  静岡電気鉄道に改称
昭和 9(1934) - 8/ 21      複線化、一部新線に切り替え
18(1943) - 5/ 15  静岡鉄道に改称
24(1949) - 3/ 25    新清水~波止場 廃止

路線図



廃線跡現況

初代長沼駅跡
A
21年5月
開業時の路線は新静岡の位置が若干異なるものの、あとは初代長沼(写真A)までが現路線と重なる。駅を出た後は南側に隣接する旧東海道(写真B)上に乗り入れ、併用軌道として進むことになる。

しばらく走ると国道一号線に合流するため、その軌道敷は四車線道路にかき消されてしまう。初代古庄(写真C)もこの区間に置かれていた。

B
21年5月
C
21年5月
初代古庄駅跡

D
21年5月
ただ旧東海道はすぐ国道から南に別れ、旧線もルートを共にする。

その後ゆるやかなS字カーブを描くと、鉄道側は道路上から北に分離する(写真D)
東海道本線交差部
E
21年5月
跡地は住宅地に取り込まれて直接たどることは難しく、その先に流れる大谷川にも痕跡はない。

続いて現線の南側(写真E)で東海道本線をオーバークロスするが、線路移設時に一度、さらに新幹線開業時にもう一度位置を変えたため、当時の様子を偲ぶものは何も見つからない。
初代運動場前
F
21年5月
跨線橋を渡った先が初代運動場前(写真F)となるが、昭和5年の地形図には記載がなく、駅名の元となる競技場も描かれていない。従ってその位置は、昭和35年の地形図から読み取ることになる。
二代目県総合運動場駅
G
21年5月
名称変更され、東側へ移動した二代目県総合運動場(写真G)で現線と合流し、しばらくは軌を一にする。

県立美術館前を過ぎ、ゆるやかな左カーブ開始地点(写真H)で旧線は右に分離し、再度旧東海道上に乗り入れる。但し道路はすでに県道407号線として四車線化され、併用軌道時代の面影は一切ない。
初代草薙(写真I)もこの道路上で、現在の二代目よりかなり東方に設けられていた。

H
21年5月
I
21年5月
初代草薙駅跡

初代有度学校前駅跡
J
21年5月
次の初代有度学校前(写真J)は、新線では御門台と駅名が変わっている。
これを過ぎると道路は二方向に分かれる。直進方向が昭和後期に完成した県道で、当時の路線はやや北に向きを振る旧東海道上を引き続いて進む。
初代狐ヶ崎駅跡
K
21年10月
狐ヶ崎(写真K)は地形図に記載がなく、「最新清水市全図」や「静岡清水付近明細図」等の市街図により位置を確認する必要がある。当時は合併前の有度村に属し、駅に隣接して村役場が設置されていた。なお当駅も駅名に変遷があり、開業時は上原と称している。
L
21年5月
駅の東で旧東海道上から離れ、専用軌道敷となって再び東海道本線をまたぐ(写真L)。線路跡には既に住宅が立ち並び痕跡は認められないが、撤去された跨線橋の南側には静鉄の名を冠したアパートが建てられている。
M
21年5月
交差後は右急カーブで東に向きを戻すが、やはり区画整理された住宅地内を通るため、跡地を直接たどることはできない。
しかし、途中から一本だけ斜めに走る細道(写真M)が現れる。昭和20年代の空中写真を重ねると、この南沿いに建ち並ぶ住宅が線路跡に一致するようだ。
追分駅跡
N
21年5月
築堤上から地上に降りた路線はやがて旧東海道に再合流し、道路上の併用軌道に形を戻す。しばらく道路上を走ると次の追分(写真N)に到着する。現在の弁当販売店付近で、やはり市街図から位置を読み取る必要がある。

ここで鉄道側は道路から再び南に分離し、密集地内を斜めに進むため、跡地を直接たどることは難しくなる。
初代入江町駅跡
O
21年5月
その一区画を過ぎ、県道197号線との交差後に現れる一車線道路が、旧線のルートに一致する。専用軌道区間であったことから、線路跡を道路に転用したと考えられる。

初代入江町(写真O)は、この道路が県道75号線に突き当る手前に置かれていた。
P
21年5月
駅の先で東海道本線が南側から接近し、三度目となる立体交差(写真P)を経て位置を入れ替える。軌道側はS字急カーブを描き、前後には築堤も築かれていたが、既に住宅や駐車場に置き換えられ当時の様子は偲べない。

交差後は徐々に高度を下げ、現線の南側を併走する。跡地に建つアパート(写真Q)が正面道路と若干の角度を違えるのは、旧線の用地境界線に沿っているためではないかと考える。その後、両者は徐々に距離を縮め、巴川の西方(写真R)で合流する。

Q
21年5月
R
21年5月
新旧合流点

新清水駅
S
21年5月
現在の終点は新清水(写真S)となるが、鉄道建設の目的が茶の輸出であったため、開業時はさらに清水港まで線路がつながっていた。
なお駅名は当初辻村と称し、駅前を走る国道149号線もまだ未開通の時代だった。
T
21年5月
駅を出るとそのまま東進し、新世界と呼ばれる小さな飲み屋街を抜ける。さらに突き当りの市道(写真T)で右に折れ、この上を併用軌道として南下する。
また年代不詳の「清水港付近案内図」のみに、市道上を北へ向かい旧江尻駅付近まで達する支線が描かれている。
松原町駅跡
U
21年5月
本線側はその先にS字カーブが待ち受け、中間点に松原町(写真U)が設けられていた。ただ現在はゆるやかな屈曲に手直しされたため、若干のずれが生じている。
波止場駅跡
V
21年5月
拡幅された道路上を進むと途中から国道149号線の名称が付され、やがて海上輸送との中継点となる終点の波止場(写真V)に到着する。大正4年の地形図では道路から東に逸れた地点を示しているが、昭和5年版では道路上に駅が描かれている。東側に敷設された清水港線に用地を譲ったのかもしれない。1944年の米軍地図と駅位置が異なる点も興味深い。
なお、開業時には清水町を名乗っていた駅でもある。
路線終端部
W
21年5月
さらに「大日本職業別明細図」では、日の出町(写真W)の造船所前まで線路が延びている。ただし終端に駅記号がないことから、貨物線あるいは荷扱用の側線だった可能性も考えられる。

参考地形図

1/50000   静岡   清水
1/25000   静岡東部 [S5部修]   清水 [T4測図/S5鉄補]

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制作公開日2021-10/14 
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