地区:静岡県静岡市 区間:港橋~横砂/4.6km 軌間:1067mm/一部単線 動力:電気
次郎長やちびまる子で有名な旧清水市。現在は合併により静岡市清水区となったが、駿河湾沿いに広がる市域を結ぶ目的で昭和初期に市内電車が開通している。しかし北部は国道1号線上を走るため、車社会になってからは絶えず渋滞に巻き込まれ、全国の都電、市電等と歩調を合わせるように廃止されている。
略史
昭和 |
3(1928) - |
12/ |
24 |
静岡電気鉄道 清水市内線 |
開業 |
|
4(1929) - |
7/ |
24 |
〃 〃 |
全通 |
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18(1943) - |
5/ |
15 |
静岡鉄道に改称 |
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昭和 |
50(1975) - |
3/ |
22 |
〃 清水市内線 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
清水市内の起点湊橋(写真A)は清水港から西に少し入った場所で、路面電車らしく県道75号線の道路中央に置かれていた。路線は複線で北に向い、すぐ次の万世橋(写真B)に到着する。ただ道路上の併用軌道区間にはホームがなく、白線で区切られた安全地帯と呼ばれる路上からの乗り降りを強いられていた。
さらに市役所前(写真C)と続くが、1936年の清水市全図では、これに代わって一本南の交差点に郵便局前が描かれている。
静岡清水線との接続駅新清水(写真D)は、南北両方向から鉄道駅への連絡線を設け、当初は波止場へ向かう路線とも平面交差していた。
この先すぐに陸橋で東海道本線を越え、橋を下り終えた地点が仲浜町(写真E)となる。交差点を中心に千鳥配置された安全地帯は、市内電車の定石ともいえる。
JR駅とは若干離れていた清水駅前(写真F)。ここからは国道1号線上に入るため、渋滞により運転を中止せざるを得ない時もあったようだ。
次が辻町(写真G)となるが、前記清水市全図での駅名は辻本町とされている。
さらに秋葉神社への入り口秋葉道(写真H)を過ぎると、新旧両線の分岐駅西久保(写真I)に着く。同じく清水市全図では、やや北方に駅が記されている。
ここで東にカーブする新線を横目に、開業時の旧線側は引き続き国道上の併用軌道として北上する。
袖師小学校入口バス停が目印となる初代嶺(写真J)、全く目標物のない駐在所前(写真K)と続いた後、庵原川が目の前に迫る。その右岸堤防手前に置かれていたのが庵原川(写真L)。ここからは国道上を離れ専用軌道となるため、軌道用の橋梁が下流側に架橋されていたが、今どこにもその痕跡は見つからない。なお、既に単線区間に入っているため、橋梁も当然単線用として建設されていた。
川を越えると区画整理された住宅地に入り込み、跡地を追うことが難しくなる。
混雑する国道を避け、東海道本線脇にルートを移した新線。単線ではあるものの全て専用軌道で敷設され、道路渋滞の影響を受けずに運行することができた。
西久保で旧線と別れたあとは住宅公園(写真M)の中を通り、その後、遊歩道(写真N)に変わる。しばらく走るとJR線の真横に並び、同所には愛染町(写真O)が置かれていた。
続く二代目嶺(写真P)は島式ホームを持つ列車交換駅で、用地に余裕があるためか小さな公園が併設され、ベンチ等も置かれている。駅の北で県道338号線を越えるが当時は踏切の時代で、現在の立体交差は廃線後に形作られている。
そのまま東海道本線と並進し、途中で両岸に橋台(写真Q)が残された小さな河川を越える。ただし橋と遊歩道は位置に微妙なずれがみられる。
川のすぐ東側が鈴木島(写真R)となり、ここからは一車線の生活道に変わる。
しかし道路はすぐT字路で終了し、住宅に行手を阻まれてしまう。さらにこの東を流れる庵原川に橋の痕跡は認められない。
川の左岸からは緑地帯を併設した遊歩道が再び始まり、すぐに痕跡を消された旧線と合流する(写真S)。
道なりに進むとやがて二車線道路と交差し、この東側に袖師(写真T)が置かれていた。交換可能駅としての広がりを持っていた跡地は、一部を隣接する住宅や店舗に提供した模様だ。
遊歩道の突き当りが終点横砂(写真U)となり、駅跡は保育園として活用されている。同様の例は各地で散見されるものの、近年はこのような施設を撮影するだけで不審者扱いされることもあり、周囲からの目視調査だけでもかなり神経を使わざるを得ない。
参考資料
- 鉄道ピクトリアル通巻140号/静岡鉄道 電車線/奥田愛三 著
参考地形図
1/50000 |
吉原 |
[S27応修] |
清水 |
[S27応修] |
1/25000 |
興津 |
[S45改測] |
清水 |
[S23資修/S45改測] |
制作公開日2021-10/29 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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