静岡鉄道秋葉線を訪ねて
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 地区:静岡県袋井市  区間:新袋井~遠州森町(12.1km)可垂口~可垂(1.1km)  軌間:737→1067mm単線  動力:馬力→電気

東海道線が駅を設置した袋井と、太田川沿いの森町を結ぶ目的で建設された秋葉線。大正期に電化され、路面電車として未舗装の道路上を走っていた。始発の新袋井をはじめとしてホームが無い駅も多く、路上から直接乗降する光景も随所で見られたようだ。なお一部には専用敷を持つ区間も存在したが、やはり軌道はモータリゼーションの波を受けやすく、自動車に押されて昭和の半ばに廃止されてしまった。

路線図

略史

路線変遷図


明治 35(1902) - 12/ 28  秋葉馬車鉄道 開業
大正 8(1919) - 12/  秋葉鉄道に改称  (譲渡)
12(1923) - 6/ 23  静岡電気鉄道に合併
15(1926) -    〃  秋葉線改軌電化
昭和 18(1943) - 5/ 15  静岡鉄道に改称
37(1962) - 9/ 20   〃  秋葉線 廃止

廃線跡現況

A 新袋井駅跡 起点の新袋井(A参照)は東海道線の袋井駅前に設けられ、そのまま駅前通を併用軌道で抜けていた。現在は駅前整備が終了し道路も拡幅されたため、当時の面影を偲ぶことは難しい。

県道275号線上をしばらく北上したのち、原野谷川を専用橋で越えるため、新聞販売店付近で道路から東に分離する。
16年4月
川に橋梁の痕跡は認められないが、対岸からは一車線道路として提供され始める。満員時には堤防までの坂を登り切れず、乗客が降りて押したとの話を地元で耳にした。電気鉄道としては、かなり珍しい逸話かも知れない。

道路上を進み、最初の十字交差点北側に袋井町(B参照)が位置した。
B
16年4月
C 駅の北方、原野谷川支流の沖の川にも専用のコンクリート橋(C参照)が架けられ、こちらは手直しの上、道路橋として再利用されている。

橋を渡ると県道に再合流する。道路上に続く永楽町一軒家可睡口も痕跡は消え、対応するバス停も見あたらない。
なお県道は、途中で275号線から58号線へと番号を変えている。
16年4月
曹洞宗の名刹可睡斎へ向かう可睡支線も、道路上の併用軌道であったため見るべきものは何もない。

支線の終点可睡(D参照)は、寺院手前の信号交差点北側に置かれていた。
D
16年4月
E 本線側は宇刈川を専用橋で渡ったのち、平宇を過ぎると県道から左に別れ、信州街道と呼ばれる旧道上を進む。さらに山梨学校前の先は旧道からもはずれ、専用軌道上に移る。跡地は生活道(E参照)に転用され、周南中学校直近のみ車両通行禁止となっている。

住宅街を走る路線は下山科を越すと再び県道に合流し、次の山梨からは軌道跡を拡幅転用して県道が建設されている。途中の市場には同名バス停が設置されるものの、痕跡は認められない。
16年4月
県道はしばらくして南側から近づく旧道と合流するが、その手前で秋葉線は右手に分岐し、一車線の舗装路(F参照)に変わる。
集落の南側を通り抜けると再び県道に合流し、ここからは短い併用軌道区間が続く。

同名バス停が設けらた天王で両者は再度分かれ、東側を進む鉄道側は一車線道路として続いていく。途中の上飯田に痕跡はないが、飯田は道路にやや広がりが見受けられる。
F
16年4月
G 県道上に戻ると観音寺福田地戸綿口と各駅が続き、それぞれ同名のバス停が置かれているものの、駅位置の正確な特定は不可能だった。

太田川左岸を北上してきた県道は、天竜浜名鉄道をくぐると道路橋で右岸に渡る。橋のたもとに森川橋が設けられ、秋葉線はそのまま左岸堤防上を北進する。
しばらくして左手に堰が見えると、その北側で河川を渡り、今も左岸側に専用橋時代の橋台(G参照)を確認することが出来る。
16年4月
対岸に渡った路線は、右急カーブを描いて終点遠州森町(H参照)に滑り込む。言わずと知れた清水次郎長の子分、森の石松で有名な町だ。

現在、駅跡はグループ企業の秋葉バス本社営業所として利用されている。当時は転車台も備えていたようだが、路面電車になぜ方向転換が必要だったのか、今もその理由を解明できずにいる。
H
16年4月

参考資料


参考地形図

1/50000   磐田 [S26応修]   天竜 [S26応修]
1/25000   袋井 [S31三修]   山梨 [S31三修]   森 [S31三修]

 No143に記帳いただきました。
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2021-11/9更新 
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