近畿日本鉄道法隆寺線を訪ねて
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 地区:奈良県天理市  廃止区間:近畿日本法隆寺~平端(4.1km)天理市内  軌間:762mm単線  動力:蒸気→内燃

天理といえば真っ先に有名な宗教団体が頭に浮かぶ。豊田市と同様、団体名が市の名称に採用される程大きな影響力を持ち、その信者輸送を主な目的として天理軽便鉄道が建設された。当時はまだ丹波市町と呼ばれていた時代で、鉄道名もこの宗教団体にあやかったと考えられる。近鉄の傘下に入ったのちは東西に分断され、西半分は早々に廃止されたが、東半分は改軌電化を経て現天理線として路線網の一端を担っている。

略史

大正 4(1915) - 2/ 7  天理軽便鉄道 新法隆寺~天理 開業
10(1921) - 1/ 1  大阪電気軌道に合併
11(1922) - 4/      平端~天理  改軌・電化
昭和 16(1941) - 3/ 15  関西急行鉄道に改称
19(1944) - 6/ 1  近畿日本鉄道に合同
20(1945) - 1/      近畿日本法隆寺~平端 休止
27(1952) - 4/ 1          〃 廃止

路線図

天理軽便鉄道路線図



廃線跡現況

A 初代新法隆寺駅跡写真 新法隆寺(写真A)はJR駅前広場の南、現在の駐車場付近に設けられ、西側には車庫や転車台も備えていた。ただし内燃化後は規模を縮小し、東側の市道脇(写真B)に移設されている。廃止時の駅名は近畿日本法隆寺に変わっている。

また駅の東を流れる水路に煉瓦造りの橋台(写真C)が残り、今は歩行者用の小さな橋桁が乗る。
20年2月

B 二代目新法隆寺駅跡写真 天理軽便鉄道廃線跡写真 C
19年4月 19年4月

水路の先は住宅地に入り込むためルートを直接追えないが、一画を抜けると、あぜ道に変わった路盤が農地の中に現れる。この中にも橋梁跡(写真D)が認められ、両岸の煉瓦橋台は今も健在だ。 天理軽便鉄道廃線跡写真 D
19年4月
E 天理軽便鉄道廃線跡写真 対岸の作業小屋を迂回すると、狭いながらも舗装された小道(写真E)につながる。特に表示はないが、農作業車と歩行者の専用道かと思われる。また、道に沿って電柱が立ち並び、廃線跡と認定する末席の条件をひとつクリアしている。
19年4月
しばらく進むと小道は終了し、その東側には当時の築堤(写真F)が姿を見せている。藪地化していないのは人の手が入っている証拠で、一部には畑もつくられている。

築堤で高度を上げ富雄川を越えるが、堤防のかさ上げを含む改修工事が実施され、橋梁の痕跡は見つけられない。
天理軽便鉄道廃線跡写真 F
19年4月
G 天理軽便鉄道廃線跡写真 続く木戸池は真ん中を鉄道が通り抜け(写真G)、貯水をつなぐ欠損部に橋が架けられていた。今は築堤を含め安堵町の文化財に指定され、西側に案内表示も添えられている。
池を過ぎると農地や民家に取り込まれるため、跡地を直接たどることは難しくなる。
19年4月
旧版地図は安堵(写真H)を現在の交番付近に描き、地元でも同様の教示を複数得た。しかしながら、当時の写真あるいは歴史民俗資料館に展示された模型からは、東隣の二階建商店舗付近を指し示すようでもあり、今のところ駅位置の特定はできていない。なお店舗南側の路地は鉄道ルートに重なる。

東進する路線は県道109号線と鋭角に交差し、数軒の住宅を過ぎた後、再び農地内に入る。
安堵駅跡写真 H
19年4月
I 天理軽便鉄道廃線跡写真 岡崎川の手前で寸断され放置された築堤を発見するものの、鉄道の遺構なのか、現状からは判断が難しい。
川の先で西名阪道を北から南へとゆっくり横断し、更に食品工場の一角を横切ると、今度は一車線道路(写真I)への転用が始まる。生活道レベルの幅員だが、路線バスも運行されている。
19年4月
道路が徐々に細くなり、やがて額田部(写真J)に着く。十字路北東の痕跡が駅跡とされるが、一見しただけでは判断不能で、真偽の確認は未だ取れていない。 額田部駅跡写真 J
19年4月
K 平端駅跡写真 駅の東方で県道148号線と斜めに交差した後、線路跡は道路南沿いの民家側に移る。一画を抜けた先が平端(写真K)となり、現在は近鉄の施設に利用されている。

以東が標準軌化されて現天理線に組み込まれたため、残された軽便線用に新設された終端駅で、小規模ながら転車台も備えていた。内燃化後は場所が若干北側に移動されたようだ。
19年4月
初代駅から真っすぐ進むと橿原線を越え、そのまま天理線に合流する。
改軌、電化、複線化を経ているため当初の遺構は少ないが、佐保川に平行する中川の煉瓦積橋台(写真L)は、天理軽便鉄道時代の流用ではないかと考える。
天理軽便鉄道廃線跡写真 L
19年4月
M 天理軽便鉄道廃線跡写真 旧版地形図を最新図に重ねると、開業時の路線と現天理線でルートの異なる箇所が見受けられる。これを地図の精度誤差と捉えるのか、あるいは実際の手直しを反映したとみるのか、ここも判断が難しい。

ただ一箇所、星塚古墳近辺では線路北側に空き地(写真M)が広がり、ここは地図に記された旧路線と一致する。
19年4月
終点天理(写真N)は現駅とやや離れた場所に置かれ、移設前の省線駅に近接していた。都市計画による桜井線の線路付替え後、その旧駅は市街地の中に埋没し、また天理軽便側は大半が駅前広場に生まれ変わったため、共に当時の姿を思い浮かべることは不可能に近い。 天理駅跡写真 N
19年9月

参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻455号/開通当時の天理軽便鉄道/武部宏明 著
  2. 鉄道史料39号/天理軽便鉄道
  3. 鉄道史料99号/大正期・大軌関連資料を探る/今井健夫 著

参考地形図

1/50000   大阪東南部 [S7要修]   桜井
1/25000   信貴山 [S6鉄補]   大和郡山 [T11測図]

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制作公開日2020-3/5 
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