大阪電気軌道長谷線を訪ねて
小房/畝傍線 信貴山 法隆寺線 旧大和鉄道 廃止鉄道ノート関西 減速進行

 地区:奈良県桜井市  区間:桜井~初瀬5.4km  軌間:1067mm単線  動力:蒸気→内燃

地域輸送とともに、名刹長谷寺への参拝客を取り込む目的で開業した初瀬軌道。当初は珍しい蒸気動車を採用していた。しかし昭和に入り現近鉄大阪線が延伸されると、並行する当線は大幅に乗客を奪われ廃止へと追い込まれた。

略史

明治 42(1909) - 12/ 11  初瀬軌道  開業
 初瀬鉄道に改称
大正 4(1915) -  長谷鉄道に譲渡
昭和 3(1928) - 2/ 7  大阪電気軌道に合併
13(1938) - 2/ 1     〃  長谷線 廃止
16(1941) - 3/ 15  関西急行鉄道に改称
19(1944) - 6/ 1  近畿日本鉄道に改称

路線図


廃線跡現況

A 桜井線との接続駅桜井(写真A)はJR駅の東側に位置した。今は駅前交番や駐輪場等に変わっている。
東に向いて出発するとすぐ近鉄大阪線をくぐる。後から建設された近鉄線がオーバークロスするのは自然の流れだが、当線と桜井線を一気に越えるため急なS字カーブを描かざるを得ず、長年スピ-ドアップの妨げになっていた。
18年03月

その近鉄との交差付近に設けられていたのが北口(写真B)。起点からは短区間の場所に設けられていたが、すでに痕跡はない。駅を過ぎると近鉄線が南側を並走する。線路跡は空き地(写真C)として残されるが、柵で囲われ立ち入りは不能。

B
18年03月
C
18年03月

D
18年03月
近鉄線が地上に降りた最初の踏切横に橋台(写真D)が残されている。ただ明治期に敷設された鉄道では一般的にレンガ積や石積構造が用いられるため、どのような経緯でコンクリート製橋台を奢ったのか、若干の違和感とともに興味を惹かれる点だ。
E
18年03月
続く人道用踏切横にも橋台跡(写真E)が残され、東側の栗原川にもコンクリート製橋台(写真F)が認められる。そのまま県道200号線に近づくと、やはりカラオケ店隣の防草用シートから小橋梁跡(写真G)が顔をのぞかせている。ただし水路側は既に消滅しているようだ。

F
18年03月
G
18年03月

H
24年10月
その後は線路跡を利用して県道が建設され、外山(写真H)を含め鉄道の痕跡はすべて消し去られている。
宇田ヶ辻(写真I)は県道が大阪線と分かれ、北に向きを振る手前に置かれていたようだ。その後国道165号線上へとルートが移り、最初の慈恩寺(写真J)は同名バス停付近との話を聞くことができた。ただ当時の地図を見ると若干南寄りにあったとも考えられる。

I
18年03月
J
24年10月

K
18年03月
また国道(写真K)が鉄道跡を利用しているとも聞いたが、地図上にはかなり屈曲した路線が描かれるため、完全に一致するとも思えない。道路転換時にかなり修正が加えられたとみて間違いなさそうだ。
L
18年03月
黒崎(写真L)は白山比咩神社の東方となり、同名バス停とはかなりの距離を置く。ただ今のところ詳細な位置の把握には至っていない。
M
24年10月
路線は駅の先で旧道と交差し、更に東へと進む。途中で越える白河川は道路橋の北側が石積橋台(写真M)で支えられ、その形状から長谷線の設備が再利用されたと捉えてよさそうだ。
N
18年03月
終点初瀬(写真N)は駐車場となる。北側に古い倉庫が残り、長谷線の機材が置かれていたことや、駐車場の中に転車台があったことも教えてもらった。残念ながら今は何も残されていないとのこと。

参考資料


参考地形図

1/50000   桜井 [S6鉄補]
1/25000   桜井 [T11測図]   初瀬 [S6鉄補]

 NO145に記帳いただきました。
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最終更新日2024-10/20  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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