小房線 |
地区:奈良県橿原市 |
区間:旧久米寺~畝傍(3.5km程)
新橿原神宮前~分岐点(1.5km程) |
軌間:1067mm/単線 |
動力:電気 |
畝傍線 |
地区: 同上 |
廃止区間:八木西口~旧橿原神宮駅(2.1km程) |
軌間:1435mm/複線 |
動力:電気 |
大阪電気軌道、大阪鉄道、吉野鉄道と三社の路線が集中した橿原神宮。紀元2600年を控え、神宮と共に神武天皇陵を擁する橿原市は周辺の整備を進め、二路線が都市計画によって付け替えられた。現在は、それぞれが近鉄の路線網に組み込まれ、盲腸線となった小房線だけが廃止されている。
略史
大正 |
12(1923) - |
3/ |
20 |
大阪電気軌道 畝傍線 平端~旧橿原神宮前 |
延伸 |
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13(1924) - |
11/ |
1 |
吉野鉄道 旧橿原神宮前~畝傍 |
延伸 |
昭和 |
4(1929) - |
8/ |
1 |
〃 大阪電気軌道に合併 吉野線となる |
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14(1939) - |
7/ |
28 |
大阪電気軌道 八木西口~橿原神宮駅、線路移設 橿原線となる |
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〃 |
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〃 橿原神宮駅~畝傍、線路移設 小房線となる |
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16(1941) - |
3/ |
15 |
関西急行鉄道に改称 |
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19(1944) - |
6/ |
1 |
近畿日本鉄道に合同 |
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27(1952) - |
4/ |
1 |
〃 小房線 |
廃止 |
路線図
廃線跡現況
-小房線-
桜井線に隣接していた畝傍(写真A)。島式ホームを中心として計4線を有していた駅跡は道路と宅地に細かく分割され、終着駅の雰囲気は一切感じ取れない。その中でJR駅構内の片隅に一対の橋台(写真B)が姿を見せている。河川は既に埋められ南半分が道路下となるものの、その位置から小房線の遺構と考えてよさそうだ。
駅を出た後、桜井線に沿って西に向かう路線上にも、小橋梁跡(写真C)が残されている。
ここから大きな右カーブで一気に向きを変える。直後には路盤上に建つ数軒の民家(写真D)も認められるが、その先は区画が整理された市街地に飲み込まれてしまう。
路線がほぼ南に向いた地点で、再び跡地を利用した建物が数軒現れる。
この一画に設けられた側溝(写真E)はコンクリートが幾層にも重なり、一番下の層が当時の橋台に相当すると聞いた。
右カーブはさらに続き、今度は線路跡(写真F)に住宅がずらりと建ち並ぶ。
途中で飛鳥川を越えるが、堤防に取り付く築堤もきれいに撤去され、徐々に広がる用地幅に当時の勾配を思い描くのみだ。
川を越えた後、建ち並ぶ住宅の間に、突如として橋台(写真G)が姿を見せる。径間は短く開渠レベルだが、前後の盛土が取り除かれているためか、相当な圧迫感がある。越えていたはずの水路は、既に跡形もない。
さらに進み左手に公園が見えると、中間駅の小房(写真H)に着く。線名と同じく[おうさ]と発音する。
駅の先で国道169号線を横切るが、その後は街の区画が変わり、跡地のトレースは不可能となる。
途中の畝傍北小学校内で新旧路線が分離する。旧線側はそのまま区画整理された市街地を抜けるため、やはりルートの特定は難しい。都市計画による付替であったことが大きく影響しているようだ。
畝傍線との接続駅でもある初代橿原神宮前(写真I)も正確な位置は掴み切れず、おそらく神社前駐車場の一角と推測する。
この先は軌間の異なる畝傍線車両の乗入れに対処するため、標準軌をプラスした三線軌条が敷設され、二代目橿原神宮前(写真J)の南大阪線側まで続いていた。当初の駅名は久米寺と呼ばれ、吉野線や大阪鉄道との接続駅でもあった。
畝傍北小学校内で分離した新線側は、小さな左カーブを描いて現橿原線に合流する。
東側にそれらしき空き地が残されるものの、昭和20年代の空中写真を重ね合わせると線路跡の中心は隣接する市道との境界付近(写真K)にあり、一部が道路に転用されたことを確認できる。
二代目畝傍御陵前(写真L)は下りホームが島式でつくられ、上屋も両端が跳ね上がるY字型となる等、小房線と共用していた形跡が残されている。
ホーム幅分だけ離れていた両線は駅の南方で距離を縮め、そのまま横に並んで進む。
しばらく南下し道路への転用が終了すると、今度はルート上に残されたレール(写真M)が目に入る。しかし軌間は1435㎜で、小房線の1067㎜と異なる。改軌の上、新たに橿原線の側線として再利用されたようだ。
支線は二代目橿原神宮前(写真N)までだが、線路はさらに吉野線に直通していた。その名残なのか、駅構内には狭軌の留置線が今も多数残されている。
-畝傍線-
現在の橿原線は八木西口の南で飛鳥川を渡り、ゆるやかな左曲線を描く。畝傍線と呼ばれていた時代の旧線はここで別れ、そのまま真っすぐ南下していた。
分岐点(写真O)には病院が建ち、続けて警察署を抜け、さらに国道165号線を横切る。
国道南側の駐車場を過ぎると、今度は樹木帯(写真P)がはじまる。いわゆる鎮守の森と呼ばれる一帯で、この東端を旧線が走っていた。
途中、やや場違いとも思えるコンクリート塊(写真Q)を見つける。位置としては初代畝傍御陵前付近にあり、駅設備の残骸と考えてもおかしくはない。
駅のすぐ南にある大久保神社参道の側溝には橋台(写真R)が残され、さらに南下すると水路向けの橋台(写真S)も姿を見せる。径間は短いが複線用でもあることから、なかなかの存在感を見せつけている。
最後に県道125号線と鋭角に交差し、終点の初代橿原神宮前(写真T)に到着する。旧小房線と隣接し両線の接続駅となっていたが、やはり正確な場所は把握できず、神社前駐車場付近と推し測るのみだ。
参考資料
- 近畿日本鉄道80年のあゆみ
- 鉄道史料第8号/橿原神宮付近の電鉄路線の変遷について/高山礼蔵 著/鉄道史資料保存会
参考地形図
1/50000 |
桜井 |
|
吉野山 |
|
1/25000 |
桜井 |
[S4鉄補] |
畝傍山 |
[S4鉄補] |
最終更新日2021-7/7 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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