遠州鉄道奥山線を訪ねて
 地区:静岡県浜松市 区間:遠鉄浜松〜奥山 軌間:762mm 動力:蒸気→電気・内燃

廃止鉄道ノート東海  減速進行全国的な軽便ブームにのって三方原台地にも鉄道がやってきた。
我が世の春を謳歌した時期もあったが、やがて幾多の先達に引きずられるように惜しまれつつ姿を消した。


 略史

大正  1 (1912) - 10/ 16 浜松軽便鉄道 設立
 3 (1914) - 11/ 30    〃 開業
 4 (1915) - 5/ 浜松鉄道に改称
昭和 22 (1947) - 5/ 1 遠州鉄道 浜松鉄道を合併
39 (1964) - 11/ 1   〃 奥山線 廃止

 路線図




 廃線跡現況

浜松駅前は大規模な再開発が進行中で、訪れるたびに当時を偲ぶことが難しくなっている。
大きなスイッチバックで浜松駅に達していた遠州鉄道西鹿島線、今はルートを変え高架で市街地を越える。当時のスイッチバックは跡形もなく消え失せ、このあたりで残っているのはアクトシティーに連なる楽器博物館の東側境界線が当時の線路敷地に沿っていることだけか。

A その西鹿島線に隣接していた開業時の奥山線起点、板屋町(A参照)もすっかり姿を消している。写真奥にそびえるのは再開発のシンボル、アクトタワー。
起点はその後、東田町遠鉄浜松と細かく位置を変えるが、こちらも跡地に文化センター等が建ち痕跡はない。


ここから北田町までの新川沿いは宅地化され、次の元城へも宅地や一部が道路に転用されている。その元城跡にはホテルが建設された。
94年9月
西に向う奥山線は亀山トンネルを抜けると北に向きを変えるが、現在は歩行者専用道として供用され、トンネルも改装されて現存し、当時の雰囲気を味わうことが出来る。
途中には広沢名残池川上池川の各駅が設けられていた。

銭取(B参照)からは1車線の一般道に転換され、さらに数百メートル先からは拡幅された2車線道路へと広がる。

次の幸町はタクシー会社の営業所となり、駅跡を示す標柱が設置されている。小豆餅追分を過ぎると掘割り式で造られた東名高速と交差するが、交差部のみ鉄道用地と道路とのルートに食違いが見られる。
B
94年9月
C 主要駅でもあり、電車と気動車の乗換駅でもあった曳馬野は遠州鉄道系のスーパーに変身している。

2車線道路は引き続き北に向うが、奥山線はこの先しばらくの間、道路より若干西側を走っていた様だ。ただ跡地は全て住宅地の中にかき消され、何の痕跡も発見出来ない。
線路跡が再び道路に近づき、その拡幅に利用され始めるのは三方原付近と推測する。

豊岡を過ぎ、鉄道用地が道路から左に分離すると都田口に着く。駅がなくなり、その駅前道路だった袋小路がぽつんと取り残された形だが、ここに当時からの駅前商店である床屋が残り、現在も営業中。
94年9月
駅を出ると左に大きくカーブを描き、西に向きを変える。
ここは三方原台地の端にあたり、掘割りの中を一気に駆け降りていたと思われるが、現在はかなりの部分が埋め戻されている。その一部は農業用に地元で利用されている。

は平行する道路の整備により全く痕跡はないが、付近に築堤と橋台(C参照)を発見できる。
この先は国道257号線の整備に利用され、祝田を過ぎ、金指に着く手前にそれらしき緩やかな左カーブを描く土地境界線(D参照)を見つけることが出来る。


金指は旧国鉄の赤字ローカル線を受継いだ第三セクター「天竜浜名湖鉄道」の駅だが、この地に駅をつくったのは浜松軽便鉄道が先で、国鉄がそれに隣接し後から二俣線を敷設している。
この時、駅の西で両者の交差が必要であったが、本来は後発の国鉄側が奥山線をオーバークロスして工事すべきところを、逆に奥山線を上に押し上げてしまった。
D
94年9月
E いかに当時の国鉄の力が強いと言えども、先行した既設路線を変更させることはきわめて希で、どのようなやりとりがあったのか興味は尽きない。


この交差跡(E参照)が廃止当時からそのまま残り、貴重な生き証人として地元の人なら誰もが知るモニュメントとなるが、その天竜浜名湖鉄道も今や生き残りに全力を挙げる時代となってしまった。
08年7月
ここから天竜浜名湖鉄道と併走する岡地(F参照)までの区間は、廃止当時のまま放置されているはずだが、荒れ果てて確認が取れない。ただ駅跡の民家庭先にはホーム跡が顔を出す。


ハローワークとなった次の気賀口までは並行する国道362号線の拡幅に利用され、そこからすぐに右急カーブで反転し、しばらく井伊谷川の堤防沿いを走りそのまま対岸へ渡る。この川にはかなり長い期間橋台などが残っていたが、今はきれいに消えてしまった。
F
04年2月
G 川を渡った後しばらくは県道320号線の西側を走り、かすかに残った築堤の残骸なども県道上から目にすることが出来る。


正楽寺を過ぎたあたりから跡地は生活道に再利用され、小斎藤の手前まで続く。
この区間内、井伊谷四村間の神宮寺川に架かる橋梁は道路橋(G参照)として改良され、今でも現役のまま。
94年9月
神宮寺川は井伊谷川の支流、そしてその井伊谷川は都田川の支流。奥山線は同水系の名称の異なる三川を渡っていたことになる。


また四村(H参照)にはかつての駅舎が残るが、いつまでその姿をとどめることだろうか。最近は老朽化が激しい。
H
94年9月
I 田畑付近(I参照)は廃線跡のごく一部が2車線道路として整備され、観光地竜ヶ岩洞への導入路の一部を形成する。
写真奥へ向かうのが廃線跡で、右に曲がると竜ヶ岩洞。


この先再度地元の生活道に戻る軌道跡は、中村で県道303号線と交差し、右カーブで西に向きを変えると再び神宮寺川を渡る。
こちらの橋梁も改良され、今は自動車通行可能となっている。
94年9月
続く右カーブを終えると小斎藤。生活道はさらに続くが、奥山線跡は道路から右手に外れ、神宮寺川とこの生活道の間の農地内に位置していた。既に付近の区画は整理され、当時の路線をトレースすることは不可能。


平行する生活道と絡み合うように二度交差したのち、みたび神宮寺川を横切る。ここの橋梁跡(J参照)は以前藪に隠れていたが、今では北側の県道上からでもその姿を眺めることが出来る。
J
08年7月
K 最後の川を渡ると終点奥山(K参照)。のんびりした山奥の集落といった趣だが、駅跡はバスの発着場として活用されている。


ここから奥山半僧坊へも近く、近年では新東名もその北を横切るが、残年ながらインターチェンジが近くに無くその恩恵にあずかることは出来ない。
94年9月

 浜松駅前周辺変遷図





 参考資料


 参考地形図

1/50000  三河大野 [S15二修]    浜松 [T14鉄補]  
1/25000  浜松 [S32三修]  気賀 [S32三修]  伊平 [S32三修]

 
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