博多湾鉄道汽船津屋崎軌道線を訪ねて
大川鉄道 北九州線 宮地岳線 廃止鉄道ノート九州 減速進行

 地区:福岡県福津市  区間:福間~津屋崎(3.7km)/道辻~宮地岳駅前(0.2km)  軌間:914mm/単線  動力:馬力

官設鉄道の駅とやや離れた町村を結ぶ、各地でよく見られたタイプの鉄道。沿線に有名な神社を擁していたため参宮鉄道の役割も担い、収支は好調に推移した。しかし蒸気動力の宮地岳線が建設されると利用者は減少し、やがてその役目を終えた。
馬車鉄道であったことも要因となるのか、廃線跡に関しては現地での聞き取りが思うに任せず、推測の積み重ねとなってしまったのは歯がゆいばかりだ。

略史

明治 41(1908) - 4/ 28  津屋崎軌道  開業
13(1924) - 1/ 1  博多湾鉄道汽船に合併
大正 14(1925) - 7/ 11       津屋崎軌道線 全通
昭和 14(1939) - 4/ 14         〃 廃止

路線図

路線変遷図



廃線跡現況

A
20年9月
福間駅跡
始発の福間(写真A)は、接続する鹿児島本線側の駅移動に合わせ、新旧二ヶ所の乗り場があった。当初は駅前広場のタクシー乗り場付近、移転後は広場南端の交差点付近かと推測する。
B
20年9月
乗り場移動に合わせ経路も一部変更され、南側の新線側(写真B)は現在二車線道路に利用されている。旧線(写真C)は当時の駅前道路に敷設されていた。線路を付替えた要因の一つとして、細道に馬車鉄道が走ることへの反対があったのではないかと考える。

新旧両線共いったん西に進んだのち、県道502号線(写真D)で右折し、道路上を北に向かう。

C
20年9月
D
20年9月

E
20年9月
道辻駅跡
しばらく走ると同社の宮地岳線と平面交差し、その先に道辻(写真E)が置かれていた。後年開通した支線との合流点でもある。
F
20年9月
宮地岳駅前駅跡
支線は宮地岳線との連絡を目指したもので、宮地岳駅前(写真F)まで延びていた。現在は宮地岳神社の大きな駐車場が広がるだけで、乗り場の位置は判然としない。
G
20年9月
本線との合流後は、一車線の生活道(写真G)としてつながっていく。地形図には専用軌道として描かれるため、線路跡を道路に転用したものと思われる。
H
20年9月
ゆるやかな右カーブを進むと、やがて神社の駐車場(写真H)に突き当たる。ここがおそらく、宮司と本社屋の跡地ではないかと考える。地形図に記載はあるが、当時の精度では正確な位置を読み取ることは難しい。

この先で一旦県道502号線上を走ったのち、すぐに真光寺の参道脇(写真I)へと移り、そのまま寺の横を抜けて再度県道に合流(写真J)する。

I
20年9月
J
20年9月

K
20年9月
しかしこれもごく短い区間で終了し、県道が右に曲がり始めた地点で左に分かれ、住宅地に飲み込まれる。地形図には専用軌道として描かれている区間だ。
この一画で西鉄宮地岳線の廃線跡を横切った後、ほんの少しだけ舗装路(写真K)が続く。軌道敷を転用した可能性が高いものの、残念ながら地元での教示は得られなかった。
L
20年9月
なお西鉄線とは開業期間が異なり、実際にレールが交差していた時期はない。

更に数軒の民家を抜けて旧県道(写真L)に合流、ここからは再び道路上の併用軌道となる。
M
20年9月
津屋崎駅跡
終点津屋崎(写真M)は、在自川に架かる天神橋の左岸詰となる。
参考資料では道路上とされ、地形図では道路から外れた北側に描かれている。いずれにせよ、ホームすらなかったと思われる馬車鉄道、今となってはその痕跡を探し出すことは不可能に近い。

参考資料

  1. 鉄道ジャーナル通巻201・202号/津屋崎軌道と宗像郡の鉄道軌道/谷口良忠 著

参考地形図

1/50000   津屋崎  [S11二修]
1/25000   津屋崎 [該当無]

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制作公開日2020-11/14 
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