西日本鉄道宮地岳線廃止区間を訪ねて
大川鉄道 津屋崎軌道 廃止鉄道ノート九州 減速進行

 地区:福岡県福津市  廃止区間:西鉄新宮~津屋崎/9.9km  軌間:1067mm/単線  動力:蒸気→電気

西鉄の中で唯一狭軌となる宮地岳線。開業当初は福岡中心部に近い千鳥橋が起点だったが、貝塚までの区間は市内線に組み込まれたのち廃止され、西鉄新宮から先も平成なかばに撤去されてしまった。残存区間には地下鉄が接続するものの、いまだに直通運転は実施されていない。

略史

明治 37(1904) - 1/ 1  博多湾鉄道  開業
大正 9(1920) - 3/ 25  博多湾鉄道汽船に改称
14(1925) - 7/ 1       和白~宮地岳 延伸
昭和 17(1942) - 9/ 19  西日本鉄道に合同  
26(1951) - 7/ 1      宮地岳~津屋崎 延伸
平成 19(2007) - 4/ 1      西鉄新宮~津屋崎 廃止

路線図

西鉄宮地岳線路線図



廃線跡現況

西鉄新宮駅写真
A
20年9月
宮地岳線では中間駅だった西鉄新宮(写真A)。部分廃止により貝塚線と名称が変わり、今はここが終端駅となった。

駅の先は宅地や公園(写真B)として利用され、しばらくすると放置された路盤が現れる。一部は未舗装のまま駐車場として利用され、また一部ではバラストが残されたままの道床(写真C)が続き、路盤上に松の木が育つ箇所もある。

西鉄宮地岳線跡写真
B
20年9月
C
20年9月
西鉄宮地岳線跡写真

古賀ゴルフ場前駅跡写真
D
20年9月
古賀ゴルフ場前(写真D)はゴルフ場内に取り込まれ、線路跡は構内の道路に利用されている。
その先は空き地として放置されるが、なぜかその横に歩行者用通路がつくられている。
西鉄宮地岳線跡写真
E
20年9月
花鶴川では当時の橋梁(写真E)がそのまま歩行者橋として転用され、橋脚の端に残された架線柱の台座が、鉄道用であることを物語っている。
川を越えると再び空き地が続き、立ち入りを制限するフェンスで囲われる。
西鉄古賀駅跡写真
F
20年9月
西鉄古賀(写真F)も20年時点では放置状態だが、大きく広がっていた駅前広場は、既に新興の住宅によって埋め尽くされている。
西鉄宮地岳線跡写真
G
20年9月
路盤が放置されるといっても住宅街ではそれなりの手入れは欠かせず、訪問時はちょうど草刈り作業(写真G)の真っ最中だった。

中川に架かる東天川橋梁(写真H)は再利用が考えられているのか、コンクリート橋がそのまま残されている。おそらくPC桁だろうが、側面に細かなひび割れが多数みられるのが気になるところ。続く花見(写真I)も、更地の状態でフェンスで囲まれたままだ。

西鉄宮地岳線跡写真
H
20年9月
I
20年9月
花見駅跡写真

西鉄宮地岳線跡写真
J
20年9月
また駅の東側、同じフェンス内に、小橋梁跡(写真J)を確認することができる。

路線はさらに北へと向かうが、残された跡地の中には複線かと見間違えるほど幅員の広い箇所もある。しかし時折顔を出すバラストは、当然というべきか単線分しかない。
西鉄宮地岳線跡写真
K
20年9月
途中で見つけた溝橋跡(写真K)は枕木一本分程度の隙間しかなく、おそらく橋桁はなかったものと思われる。なぜ安上がりな暗渠としなかったのか、不思議な気もする。
西鉄宮地岳線跡写真
L
20年9月
未利用地の多かった線路跡は家庭菜園や駐車場、あるいは太陽光パネル設置(写真L)と目まぐるしく変化しはじめ、住宅が建ち並ぶ箇所も見かけるようになる。
この中で苅目川、西郷川と玄界灘に注ぎ込む河川を渡るが、共に痕跡は残されていない。
西鉄福間駅跡写真
M
20年9月
国道495号線を横断したのちは、路盤上に民家が建ち並び、そのまま西鉄福間(写真M)までつながる。新興の住宅地へと変わり細分化された跡地から、鉄道の面影を偲ぶことは困難と言わざるを得ない。唯一公園として生き残った駅前広場が、その存在を伝えるのみだ。
西鉄宮地岳線跡写真
N
20年9月
北に向かう路線は更に続く家並みを抜け、市道の高架下をくぐる。ここで開業時の旧線が右手に別れる。
左カーブを描く新線側のルート上(写真N)には、再び太陽光パネルや宅地が続く。
二代目宮地岳駅跡写真
O
20年9月
二代目宮地岳(写真O)にまで達する住宅群は、駅跡をも細かく分断し、まるで駅の存在を消去しようとしているかのようだ。東側の駅前商店は既にシャッターが閉じられ、店先に飲料自販機がポツンと置かれている。
この北側には放置された空き地(写真P)が広がり、さらに未舗装の駐車場、宅地を経て福津市複合文化センターの駐車場(写真Q)に利用される。

西鉄宮地岳線跡写真
P
20年9月
Q
20年9月
西鉄宮地岳線跡写真

津屋崎駅跡写真
R
20年9月
終点津屋崎(写真R)も新興の住宅団地へと変わり、電車延長記念と書かれた石碑だけが駅のあったことを伝えている。

全線を通じて新築住宅の需要は旺盛で、沿線の人口は増加しているようでもあり、なぜ鉄道が不要とされたのか不思議というほかない。
西鉄宮地岳線跡写真
S
20年9月
開業当初の旧線側は、分岐部から一車線道路に転用される。直後の手光今川には橋台が残され、道路橋(写真S)として活用されるものの車両は通行止となっている。
道路の先には当時の築堤(写真T)が続き、その中に用水路の橋台(写真U)が残されている。

西鉄宮地岳線跡写真
T
20年9月
U
20年9月
西鉄宮地岳線跡写真

初代宮地岳駅跡写真
V
20年9月
最後に県道502号線と交差し、初代宮地岳(写真V)に到着する。
駅跡は宮地岳神社の広大な駐車場に埋没し、正確な位置は掴めない。地形図では東側付近を指し示しているが、蒸気時代の終端駅であるため、給水、給炭をはじめとした各施設が周囲に点在していたことは間違いなさそうだ。
未成線橋台写真
W
20年9月
ここから若宮までの路線が東筑軌道によって計画され、工事にも着手されていた。その遺構が、鹿児島本線をまたぐ煉瓦積の橋台(写真W)として残されている。
博多湾鉄道汽船はこの権利を引き継いだが、その後の情勢変化によって工事は中断されたまま、いわゆる未成線となってしまった。

参考地形図

1/50000   津屋崎  [S11二修]   
1/25000   古賀 [H3修測]   津屋崎 [H3修測]

 97年当時の各駅

 No52に記帳いただきました
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制作公開日2020-11/12 
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