富山地方鉄道笹津線を訪ねて

射水線 旧黒部鉄道線 立山軽便線 廃止鉄道ノート北陸 減速進行

 地区:富山県富山市  区間:南富山~地鉄笹津/12.4km  軌間:1067mm/単線  動力:蒸気/電気

大正初期、富山駅と飛騨街道の要衝でもある笹津を結んだ富山軽便鉄道。飛騨神岡からの鉱産品等の輸送も手掛け、経営は順調に推移したが、競合する省線の開業により大きなダメージを受け、20年足らずで大半の区間を失った。その約20年後、今度は富山地方鉄道の手によって消失区間の再生が図られ、笹津線と命名された。系列のバス会社が跡地を所有していたことも、追い風になったと考えられる。再開業は鉄道法に準拠するが、軌道用の低床車両を使用し富山市内線への乗り入れも実施された。

路線図

略史

笹津線路線図

大正 3(1914) - 12/ 6  富山軽便鉄道  開業
4(1915) - 10/  富山鉄道に改称
昭和 8(1933) - 4/ 20  富南鉄道に譲渡  
〃         堀川新~笹津 廃止
  16(1941) - 12/ 1  富山電気鉄道に譲渡  
  18(1943) - 2/ 12  富山地方鉄道に改称  
  27(1952) - 8/ 15      笹津線  再開業
  50(1975) - 4/ 1       〃 廃止

廃線跡現況

A
16年4月
富山軽便時代は堀川新とされ、復活した富山地方鉄道(地鉄)時代に南富山(写真A)へと変わった笹津線の起点。一時期は三路線が乗り入れて別々の駅名を名乗ったため、乗客の混乱ぶりは想像に難くない。 また接続したレールも前者は現不二越線、後者は市内線と各々異なる。
B
16年4月
駅を出た路線は一車線の舗装路(写真B)に転換され、市内線の車庫を横目に南西へ向かう。最初は車も少ないが、大町(西)交差点から通行量が一気に増え、幅員も二車線(写真C)に拡幅される。交差点のやや先に置かれていたのが、地鉄時代に追加された日本繊維前(写真D)で、同工場内までの構外側線が延びていた。道路東手に広がるショッピングセンターが、その跡地に相当する。

C
26年5月
D
26年5月

E
26年5月
線路跡の転用道路はやがて緩やかな左曲線で南へと向きを変え、太田用水を渡った先の上袋神明社前には(写真E)が設けられた。やはり地鉄時代の駅だ。
F
26年5月
次の蜷川(写真F)は富山軽便から引き継がれた駅で、道路脇に若干の余地が広がるものの、鉄道とは直接の関係はなさそうだ。富山時代は利用者が少なく大正9年には早くも閉鎖されたが、地鉄で復活し、のちに赤田と駅名変更された。さらにほぼ真南に進む路線上には相対式ホームを備えた上野(写真G)、安養寺(東)交差点のど真ん中に位置した熊野(写真H)と連続し、後者が旧来からの駅となる。

G
26年5月
H
26年5月

I
26年5月
神通川支流の熊野川は橋梁長を最短にすべく大きく屈曲して渡り、その先に伊豆ノ宮(写真I)が置かれた。富山時代の昭和6年に追加された上栗山が元となる。なお道路には県道318号線の名称が付され、歩道付二車線道路への転換により、橋梁痕はもちろん鉄道関連の遺構は何一つ発見できない。
J
26年5月
東西に延びる県道188号線との交差先に大久保町(写真J)が設けられた。貨物側線や倉庫等を備えた主要駅で、その一部は今も公園等に利用される。西側を平行する旧国道沿い、大久保郵便局から東へ入る道が当時の駅前通りに相当する。
K
26年5月
転用道路上にはさらに上大久保(写真K)大沢野から再開業時に名称変更された大沢野北口(写真L)田村町(写真M)と各駅が続く。また道路は途中から県道の肩書が外れ、市道への格下げと同時に西側の歩道が消滅する。

L
26年5月
M
26年5月

N
26年5月
富山時代と地鉄時代で唯一駅の移動を確認できるのが八木山(写真N)となる。ただ初代駅の描かれた大正期の地形図は精度に若干の不安もあり、今のところ正確な駅位置の特定には至っていない。
O
16年4月
前駅との駅間距離を調整したのか、あるいは貨物扱いの用地確保のためか、二代目大沢野町八木山(写真O)はやや南方に移された。ここからの線路跡は引き続き道路転換されるも、今度は自歩専用の細道(写真P)に変わる。ただ専用道の標識はあるものの車止等の設置が無い箇所も多く、一部区間では地元車両の通行が黙認されているようだ。途中の敷紡前(写真Q)を過ぎて緩やかな右カーブを描いたのち、西側を走る国道41号線にぶつかり歩行者道は終了する。

P
16年4月
Q
16年4月

R
26年5月
国道との交差後、小さな公園内を抜けると、今はシキボウと名を変えた敷島紡績工場への貨物線が西に分岐(写真R)し、同工場南側の入口には鉄道用の門扉(写真S)が残る。さらに中をのぞくと、原形を保ったままの貨物ホーム(写真T)を確認できる。

S
26年5月
T
26年5月

U
16年4月
本線側は分岐部から再度二車線道路(写真U)へと転換され、ゆるやかな下り勾配で南へと向かう。終点笹津(写真V)は富山側が開設し、後輩となる高山本線がその一部敷地を借用して西隣に乗り入れた。ただ、これが致命傷となり、省線に客貨を奪われて早々の廃止を余儀なくされている。地鉄としての再開時、駅は既に国鉄専属となり、低床車両への対応も含めて直接の乗り入れは難しく、二代目地鉄笹津(写真W)はやや手前の消防施設近くに設けられた。

V
16年4月
W
26年5月

参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻211・213号/富山地方鉄道/秋山隆 著・・・私鉄車両めぐり
  2. RM LIBRARY107/富山地鉄笹津・射水線/服部重敬 著/ネコ・パブリッシング

参考地形図

1/50000   八尾 [S28応修]   富山 [S34部修]
1/25000   速星 [S29資修]   八尾 [S28資修]   富山 [S48修正]

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制作公開日  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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