地区:富山県中新川郡上市町 廃止区間:滑川〜西滑川/新宮川〜五百石 軌間:762mm/全線単線 動力:蒸気・内燃
昭和初期には中小私鉄が乱立した富山県。その中の一社である富山電気鉄道は立山鉄道を合併、その路線は改軌・電化により大きく生れ変わり、一部廃止やルート変更も実施された。当時は日石寺を擁する大岩への延伸を視野に入れており、現在のような富山〜滑川の直通運転は重要視されず、富山〜大岩、滑川〜大岩がメインルートになる構想だったと思われる。軽便時代に通常の中間駅であった上市を線路改良に合わせてスイッチバック配置に変更し、同時に市街中心地近くまでレールを延したのは、その前段階と考えると納得がいく。延伸計画もいまでは完全に消え去り、スイッチバックが運転上のネックとして残ってしまった。大正 | 2(1913) - | 6/ | 25 | 立山軽便鉄道 滑川〜五百石 | 開業 |
6(1917) - | 立山鉄道に改称 | ||||
昭和 | 6(1931) - | 4/ | 6 | 富山電気鉄道に合併 | |
8/ | 〃 上市〜五百石 | 廃止 | |||
11/ | 7 | 〃 滑川〜上市の改軌電化に伴い新宮川〜上市ルート変更 | |||
〃 | 〃 上市口〜上市 | 延伸 | |||
18(1943) - | 2/ | 12 | 富山地方鉄道に改称 | ||
8/ | 30 | 〃 上市口〜上市廃止、上市口を上市に変更 |
A | 立山軽便鉄道時代は北陸本線との接続駅だった滑川(A参照)。現在は無人駅となり、開業時の始発駅としてはやや寂しい感じが否めない。隣接する北陸本線も、新幹線開業により第三セクターの「あいの風とやま鉄道」に移行している。 駅を西に進むと軽便線は現本線からすぐ左に別れ、一車線の舗装路に転換される。ただ道路建設に伴って当時の痕跡は消し去られ、見るべきものは何もない。 |
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16年4月 |
道なりにしばらく進むと、やがて二車線の市道に合流(B参照)する。 中滑川は田中新町交差点の東方に設けられていたが、やはり痕跡はなく正確な位置の特定は難しい。なおこの駅は当初晒屋と呼ばれていた。 |
B | ||
16年4月 |
C | 南西に向かう市道が小さな川を越えると、踏切が迫ってくる。 軽便線はここから左カーブを描いて道路と別れ、西滑川(C参照)で現本線に合流する。当時の路盤が一部残され、極端な急カーブであったことを示している。 |
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16年4月 |
駅を出るとしばらくは現在線と同一ルートで南下した後、新宮川(A参照)の南でやや東に向きを変え、直線的に上市の町を目指していた。 | D | ||
14年7月 |
E | 南東に向う路線は運送会社の倉庫を通り抜けると県道46号線(E参照)に転用され、二車線の道路として延びていく。直線路が終ると北から町道が合流し、右にゆるやかな曲線を描く。ただ鉄道はその手前で右に曲り、県道から分離しその西側を並走する。 跡地は住宅や工場用地等に変えられ、以前は道床が残っていたとの話を地元で聞いたが、いまでは正確なルートの確定は難しい。 |
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14年7月 |
軽便時代の上市(F参照)は今では運送会社の倉庫に利用され、構内の西側付近が駅跡と推測する。 その南で信号交差点を越えると、コンビニ付近で再び県道に合流し、現在の上市駅をかすめて通り過ぎる。 県道は先程までとは異なり交通量も多く歩道も完備し、地区の主要道としてその価値を発揮している。 |
F | ||
14年7月
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G | 横法音字交差点まで南下すると、鉄道跡は再び県道と別れ農地の中にその姿を隠す。ただ上市警察署の北では、線路用地に沿った田圃の境界線(G参照)を目にすることが出来る。 警察署の真ん中を横切ると、以後は農地や宅地、工場等に転換され、その痕跡をたどることは不可能となる。 |
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14年7月 |
ほぼ平坦で直線に続く路線を突如邪魔するのが白岩川。その右岸には橋梁跡(H参照)を見つけることが出来る。橋台と思われるが現状の姿から断定は難しい。 現在まで生残ることが出来たのは、河川改修から取残されたことが幸いしたと考えられる。 川の対岸は再び区画整理された農地の中に飲込まれ、再びルートのトレースは困難となってしまう。 |
H | ||
14年7月 |
I | その軽便跡が一瞬だけ姿を現すのが、横越集落にあった大岩口(I参照)。地面に埋れながらもホーム跡がほんの少しだけ頭を覗かせ、鉄道の存在を強烈に主張している。駅跡は農地に転換されるでもなく、現時点では空地のまま。 なお駅名の元となった大岩地区はここから南東方向に5km以上も離れている。 続く弓床は既に宅地に取込まれ、駅前通りは残るものの詳細な位置の確認は不可能。駅の南側を流れる栃津川にも痕跡は見つけられない。 その先は県道3号線を右手に臨み、ほぼ並行しながら田圃の中を南東へと進む。 |
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14年7月 |
近代的な薬品工場の中を突抜け、立山ICを過ぎた所で県道は南に進路を変え、直進する軽便線と交差する。と、すぐ寺田に到着するが駅跡は宅地や生活道等に分断され、鉄道の雰囲気はない。 引続き南東方向へ進む路線はやはり農地の中にその姿を隠すが、県道6号線に近づくとそれらしき境界線も見つけることが出来る。 |
J | ||
14年7月 |
K | 軽便線の五百石(J参照)は現駅(K参照)より北に位置し、今は製紙会社の工場に取り込まれ、残念ながら調査の手だてがない。 新旧両駅間は現在線のやや西を通っていたが、こちらもその痕跡を見つけることは既に不可能となっている。 |
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14年7月 |
立山軽便線廃止と同時に本線として延伸されたものの、10年余りで廃止された盲腸線とでもいうべき路線。 当時上市口と呼ばれていた現上市駅からそのまま東へ直進し、ほんの500m程で上市(L参照)到着となる。線路跡は二車線道路に転換され、駅跡には消防詰所や児童館が建つ。また道路南側の建設会社から駐車場にかけて機回し線等があったことを、地元で教えて頂いた。 |
L | ||
14年7月 |
1/50000 | 魚津 | 五百石 | ||||
1/25000 | 上市 | [S22資修] | 五百石 | [S23資修] | 滑川 | [S5修正] |