富山地方鉄道射水線を訪ねて
旧黒部鉄道線 立山軽便線 廃止鉄道ノート北陸・甲信越 減速進行

 地区:富山県富山市  区間:新富山〜新港東口(14.4km)  軌間:1067mm単線  動力:電気

富山湾沿いに線路を延ばした射水線。加越能鉄道や市内線と連絡し、富山と高岡を結ぶルートを形成していた。専用軌道を走るものの法規上は軌道として免許を受けたためか、路面電車と同じ低床車両を使用し、多客時には4連で運行されていた。ただ昭和の中頃に富山新港が開港し、路線が分断されて廃止の危機に立たされた。この時は行政側の協力ではなんとか持ちこたえたが、やがて時代の流れによりその使命を終えた。

略史

大正 13(1924) - 10/ 12  越中電気軌道  開業
昭和 2(1927) - 2/ 13  越中鉄道に改称
8(1933) - 12/ 25      新富山〜六渡寺 全通
18(1943) - 1/ 1  富山電気鉄道に合同
2/ 12  富山地方鉄道に改称
41(1966) - 4/ 5      新港東口〜越ノ潟 廃止
     越ノ潟〜六渡寺を加越能鉄道に譲渡
55(1980) - 4/ 1      射水線 廃止

路線図




廃線跡現況

A 市内線との接続駅新富山(A参照)は跡地にマンションが建設され、連絡線跡を含めて今や見る影もない。北に向かう路線は二車線道路に転換されるものの、県道が並行するためか通行車両は少ない。

道なりにしばらく進むと畑中交差点で道路は終了し、その先は駐車場に入り込む。
16年4月
ここで左カーブを描くと最初の停車駅、富山北口(B参照)に着く。跡地は道路等に取り込まれ、痕跡を見つけることは出来ない。

駅の先には住宅が建ち並び、さらに県道7号線と交差すると線路跡は一車線道路に変わるが、すぐ新幹線に突き当たって途切れてしまう。北側を平行する北陸本線をオーバークロスするための築堤は既に取り崩され、その跡地は新興の住宅地に衣替えしている。
なお北陸本線は新幹線の開業に伴い「あいの風とやま鉄道」へと移行している。
B
16年4月
C 築堤を後にすると、再び一車線の舗装路が現われる。ただこちらは入り口に柵が設けられ(C参照)、自動車の通行は出来ない。

これは鉄道廃止後バス専用道として利用されていた名残で、人と自転車の通行は黙認されているようだ。途中には行き違い設備や、踏み切り遮断機の基礎と思われる構造物も残されている。
16年4月
しばらく進むとやや道が細くなり、ゆるやかな勾配を登りつつ、切り通しの中を通り抜ける。沿線には既に住宅等も建ち、地元の生活道の雰囲気も漂う。
坂を上り切ると八ヶ山(D参照)。ホーム屋根が残され、鉄道路線の描かれた看板が無造作に転がっている。

駅の先は自動車通行可能な舗装路となり、北へと続いていく。やがて道路は二手に分かれるが、左手が鉄道跡に相当し、ここからはセンターラインのある二車線道路に変わる。ただ田舎の一本道と言った雰囲気で、鉄道跡らしさはどこにもない。
D
16年4月
E 北西に向かう路線は、国道8号線をアンダーパスし右に曲がる。このカーブ途中に八町があったと思われるが、正確な位置の確認は取れなかった。

やはり痕跡の消えた布目を過ぎると、道の両サイドに一軒ずつの温泉設備が近づいてくる。ここに設けられていたのが鯰鉱泉前(E参照)
16年4月
温泉を過ぎると道幅が狭くなり、同時に歩行者専用道に切り替わる。ここで左に大きくカーブし西に進路を変えるが、四方(F参照)はこのカーブ途中に位置していた。

列車交換設備を持ち、車庫も備えた大きな構内跡は既に保育所等に再利用されている。
F
16年4月
G 射水線の跡地を利用した歩行者道は海岸に沿って進んでいくが、安全対策のためか一般道との交差点には柵が複雑に設置され、一旦停止を余儀なくされる自転車にとっては、やや走りずらい道となっている。

その道路上を進み、平行する国道に同名のバス停が設置された打出、正確な場所の特定が難しい打出浜、さらに本江を過ぎると、休憩所に利用される練合(G参照)に到着する。
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続く海老江(H参照)には道路脇に島式ホームが残り、その駅前広場からもかなり大きな駅であったことが偲ばれる。

西に向かう歩行者道は一旦国道415号線の南脇に並び、道路沿いには射北中学校前が設けられていた。駅の西方で国道から再び左に別れ、八幡宮の南に位置した堀岡を過ぎると、新湊大橋と呼ばれる大きな斜張橋が目に飛び込んでくる。
H
16年4月
I 射水線はそのまま富山新港に突き当たり、新港東口(I参照)で終点となる。当初は高岡側の万葉線とつながり六渡寺まで直通していたが、新港建設により分断され、駅のなかったこの場所に新たに終点が設置された。

近年新港の東西は新湊大橋で結ばれたが、当時の駅前からは今なお富山県営渡船が発着し、人と自転車を乗せたフェリーが両岸を無料で往復運航している。
16年4月

駅の西方は製材工場や民家が建ち並び、その先にはかなり削られているものの、越の潟開口部に架けられた堀切橋の橋台跡(J参照)を確認することも出来る。さらに河口先端に遊歩道が整備され、当時のルートを示す二本のレール(K参照)が埋め込まれているのはうれしい限り。

J K
16年4月



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参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻211号/富山地方鉄道/秋山隆 著・・・私鉄車両めぐり
  2. RM LIBRARY107/富山地鉄笹津・射水線/服部重敬 著/ネコ・パブリッシング

参考地形図

1/50000   富山 [S34部修]
1/25000   富山港 [S51修測]   富山 [S48修正]   伏木 [S48修正]

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制作公開日2016-7/7 
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