山形交通高畠線を訪ねて
尾花沢線 三山線 廃止鉄道ノート東北 減速進行

 地区:山形県東置賜郡高畠町  区間:糠ノ目~二井宿/10.6km  軌間:1067mm/単線  動力:電気

山形県にはJRと接続する形で、高畠鉄道、三山電気鉄道、尾花沢鉄道、庄内電気鉄道の各私鉄が敷設され、第二次世界大戦中この内3社が統合し山形交通が生まれた。しかし昭和40年代にすべて廃止されてしまった。

略史

大正 11(1922) - 3/ 16  高畠鉄道  糠ノ目~高畠間 開業
13(1924) - 8/ 31    二井宿まで延長
昭和 18(1943) - 10/ 1  山形交通に合同、高畠線となる
43(1968) - 10/ 1   〃 高畠~二井宿 廃止
49(1974) - 11/ 16    高畠、三山線 廃止

路線図



廃線跡現況

A
02年08月
山形新幹線対応のため、近代的な駅に生まれ変わった奥羽本線の糠ノ目(写真A)。駅を跨ぐ東西連絡橋が設けられ、駅名も高畠に改められている。隣接して無料の駐車場も整備され、JR利用者に提供されている。
高畠線はこの変貌の激しい東口広場付近から、北に向かって路線が続いていた。
B
02年08月
駅を出ると廃線跡を利用した遊歩道、まほろばの道(写真B)が始まる。しばらく奥羽本線と平行したのち右にカーブを描いて向きを変え、東北中央道(写真C)をくぐったのち、当地出身の童話作家「浜田広介記念館」をかすめる。
この先に流れる和田川の橋梁(写真D)は橋台と桁が更新されるものの、橋脚は鉄道用をそのまま再利用した模様だ。桁には1980年の銘板が付く。

C
18年10月
D
02年08月

E
18年10月
続く導祖神川の鉄橋(写真E)も、橋台橋脚は当時のものを改修した上で歩道者橋に転用されている。現在は緑道一号橋と名づけられ、前者が二号橋となる。
F
18年10月
二本の川を渡ってすぐ一車線の市道と交差(写真F)し、その片隅にはアンカーボルトの埋め込まれた踏切機器の台座が残されている。
G
02年08月
踏切のやや北側に設けられていた一本柳(写真G)には駅前広場が残され、舗装はされているが今のところ単なる通路として利用されるのみだ。広場に面していた農業倉庫も既に取り壊され、更地に変わってしまった。
H
18年10月
北東方向へと続くまほろばの道(写真H)は両脇に街路樹が植えられ、所々にベンチも置かれる等、快適さへの工夫も見られる。また途中に設置された動物のモニュメントが通行人の目を楽しませてくれる。
I
18年10月
大半が舗装路となる中、屋代小学校脇(写真I)の区間のみなぜか未舗装となる。照り返し防止なのかもしれないが、はっきりとした理由は不明だ。
J
02年08月
竹ノ森(写真J)は石積の立派な駅舎を持っていたが、今は休憩所を兼ねた公園となり当時のホームが一部残るだけとなる。ただ、鉄道や駅跡に関する説明表示等が一切無いのは残年なところでもある。

ここからは南東に進む事になるが、やがて目に飛込んでくるのが熊野神社を擁する相森山で、のどかな田園風景の中での違和感が際立っている。
K
02年08月
高畠(写真K)には当地産の高畠石を使用した駅舎や車両等が展示保存されている。取付け道路は二車線の立派なもので、敷地面積も大きく、当線の中心駅だったことは十分に偲ばれる。
しかし町の中心から若干距離があるため、残年ながら再利用の価値は低そうだ。
L
18年10月
駅の端からジークライト工業(写真L)へ向かう側線が分岐する。ほぼ直線で屋代川を渡り、そのまま工場内に入り込んでいたが、閉鎖された工場跡は細かく分割された住宅地に変わり、屋代川にも橋梁跡は見つけられない。
M
18年10月
本線側は遊歩道への転用が続き、小橋梁(写真M)を経て側線と同様に屋代川(写真N)を渡る。こちらは新たな歩行者橋が架橋され、まほろば大橋の名が付く。
川を越え、道なりにしばらく進むと国道113号に合流(写真O)する。同所が遊歩道「まほろばの道」の終点となり、高畠線の路盤はこの先、二車線の国道建設に利用される。

N
02年08月
O
02年08月

東高畠駅
P
18年10月
国道上の最初の駅が東高畠(写真P)となる。地形図に記載はないが、T字交差点の真ん中に位置し、南へ伸びる道が駅前道路に相当すると教えてもらった。

八幡宮前(写真Q)はその名の通り、安久津八幡神社の玄関口にあたる。
八幡宮前駅
Q
02年08月
続く蛭沢(写真R)は南北に走る新旧道路の中間地点に位置し、南側のビニールハウス側にホーム、北側には貨物線と倉庫を併設していたと聞いた。なお高畠駅舎にも使われた石材の採掘場が駅のやや北奥にあり、今は瓜割石庭公園として一般公開されている。
上駄子町(写真S)も道路転換により痕跡の発見は難しく、旧版地形図による確認にとどまる。

R
23年09月
S
18年10月
上駄子町

T
18年10月
右手に平行していた屋代川を渡り、続く旧道との交差箇所で国道への転用は終了する。線路跡は一旦藪地を抜けた後、今度は一車線の生活道(写真T)へと変わる。
U
02年08月
道の突き当りが終点の二井宿(写真U)となる。廃止後製材所として利用され、敷地内にホーム跡があるとの情報もあったが、夏草に覆われて発見することは叶わなかった。
現在は全ての建物が撤去され、資材置き場として活用されている。また当時の駅前通りも未舗装まま残されている。

-保存-

V
02年08月
高畠駅には駅舎と共にホーム、車両(写真V)も保存されている。

参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻128号/山形交通/川上幸義 著・・・私鉄車両めぐり
  2. 鉄道廃線跡を歩く Ⅲ/宮脇俊三 編著/JTB
  3. RM LIBRARY 82/山形交通 高畠・尾花沢線/鈴木洋・若林宣 著/ネコ・パブリッシング

参考地形図

1/50000   赤湯 [S6修正]   米沢 [S6修正]   上山 [S38資修]
1/25000   赤湯 [*S45測量]   糖野目 [S48測量]   二井宿 [該当無]

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最終更新日2023-10/10  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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