地区:山形県尾花沢市 区間:大石田~尾花沢/2.6km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
山形県には省線と接続する形で高畠鉄道、三山電気鉄道、尾花沢鉄道、庄内電気鉄道の各私鉄が敷設され、第二次世界大戦時この内3社が統合し山形交通が生まれた。尾花沢線は始発駅と終着駅しかない極小路線として活躍したが、残念ながら昭和40年代に廃止されてしまった。大正 | 15(1926) - | 8/ | 16 | 尾花沢鉄道 | 開業 |
昭和 | 18(1943) - | 10/ | 1 | 三山電気鉄道、高畠鉄道と合同 | 山形交通に改称 |
45(1970) - | 9/ | 10 | 山形交通 尾花沢線 | 廃止 |
A | 当線が発着していた奥羽本線の大石田(写真A)。構内東側にホームを設けていたが、山形新幹線の停車駅に昇格したことにより、現在は駐輪場等としてきれいに整備されてしまった。 傍らには立派な待合室も建ち、内部に旧型車両の動輪などが展示されている。しかしこの待合室、用途が不明な上、利用されている形跡がない。バスターミナルとして建設されたものの、乗り入れる路線がなかったとの推測も浮かぶ。 |
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02年08月 |
駅を南向きに出発すると、上り左カーブで東に向きを変える。線路跡(写真B)は道路として舗装され、車の通行も可能となっている。 | B | ||
02年08月 |
C | カーブの終了と同時に勾配も終わり、ここからは未舗装のあぜ道(写真C)として利用され始める。 工場近辺では舗装され、国道347号線の東方では轍が隠れる程の草が茂るなど、若干の変化も見られる。 |
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02年08月 |
その途中に小橋梁(写真D)が残され、橋台は鉄道時代のものと考えるが、コンクリート桁は後年換装されたと判断した。 | D | ||
19年10月 |
E | 続いて東北中央道と交差(写真E)する。杭打ちの時点では、高架橋もしくは盛土により建設されると考えていたが、掘割で通過する姿を見てやや驚かされた。自身の思い込みを反省した一瞬でもある。 | ||
02年08月
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線路はさらに東へと向い、北村山高校近くで一旦平行する県道121号線と交差し、位置を入れ替える(写真F)。 | F | ||
02年08月
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G | 同時に雑草の背丈が急に高くなり(写真G)、足を踏み入れることが難しくなる。ただしルートはそれなりに確認可能で、一部に舗装箇所や農作業用として利用される区間も混在する。 | ||
19年10月 |
その後、国道13号線を越えると、以前はルート上に遊歩道が続いていた。しかし19年時点では、柵に囲われた建設現場に変わり、その区画から、かなり大きな施設が建ちそうでもある。 これを迂回した先から、再び一車線の舗装路(写真H)に転用される。 |
H | ||
19年10月 |
I | 道路はすぐ終点の尾花沢(写真I)に突き当たって終了する。車庫を併設していたこともあり、一駅間の短い路線としては、不釣り合いと思われる程の大きな敷地を持っていた。 現在、跡地はスーパー等に利用されているが、テナントは時代とともに幾度か変わったようだ。 |
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02年08月
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1/50000 | 尾花沢 | [S40修正] |
1/25000 | 尾花沢 | [該当無] |