山形交通三山線を訪ねて
尾花沢線 高畠線 廃止鉄道ノート東北 減速進行

 地区:山形県寒河江市  区間:羽前高松~間沢11.4km  軌間:1067mm単線  動力:電気


略史

大正 13(1924) - 12/ 23  三山電気鉄道 高松~海味間 開業
昭和 3(1928) - 9/ 17     間沢まで延長
18(1943) - 10/ 1  尾花沢鉄道、高畠鉄道と合併、山形交通に改称
49(1974) - 11/ 16  山形交通  三山線、高畠線 廃止

路線図


廃線跡現況

省線の羽前高松(写真A)が三山線の起点でもあった。北側ホームの一面を使用し、西寄りに駅を設けていた。

跡地は駐輪場等に利用されるが、無人化され閑散とした構内からは、ここに私鉄が乗り入れていた気配すら伺えない。
A 羽前高松駅跡
02年08月
B 駅の直近には水路跡(写真B・C)が二箇所連続する。左沢線との連絡線分岐地点で、駅構内とも呼べる場所だ。
以前はほんの少し、小高い築堤跡(写真D)を確認できたが、今は若干輪郭がぼけている。
19年10月

C D
19年10月 02年08月

路盤はそのまま小さな鉄橋(写真E)につながる。長く残されていた橋桁は既に取り除かれ、橋台もうっかりすると見逃しそうな状況に変わっている。

ここからは二度の右カーブで北西に向きを変えていくが、大半が耕地整理された農地に変わり、ルートの追跡は不可能となる。中には当地の名産、さくらんぼ畑も多々見受けられる。
E
04年06月
F 農地に続いて国道112号線を横切ると、高松堰用水路沿いにポツンと取り残された橋梁(写真F)を見つける。旧水路に架けられていたものを保存展示し、三山広場として公園化されたようで、傍らには説明看板も立てられている。

橋台は当時のままと判断するが、ガーダーはあまりにも細く、底上げされていることからも、後から換装したことは歴然としている。レール、枕木も寄せ集めなのかもしれない。
19年10月
新田(写真G)の駅跡は電力会社の敷地に変わっている。変電所でもなさそうで、外見からはその用途を掴み切れない。

線路跡は駅の西から舗装路に変わり、体育館の脇をすり抜けて最上川の支流、寒河江川にぶつかる。
G
19年10月
H 川を越える「みやま橋」(写真H)は架替えられ、今は歩行者と上水道管の共用橋となる。送水管は普段目にすることがない程太く、ここから上流に向かって鉄道用地の下に埋設されているとのこと。

橋の先は生活道に転換されるが、国道112号線と平行し近年はさらにバイパスも完成したため、利用する車は限られ通行量も少ない。
19年10月

次の白岩はこの道路上で、現在の中町公民館周辺に置かれていた。敷地の隅に駅跡を示す記念石碑(写真I)が建つ。

白岩駅跡 I 貨物ホーム跡(写真J)も残されるが、19年時点で土地が売りに出され、今後の用途次第では取り壊される可能性もある。 J 貨物ホーム跡
02年08月 19年10月

上野(写真K)は信号のない十字路付近に位置し、交差点北東角が駅舎跡、国道へ延びる道が当時の取付道路となる。

線路跡は引き続き舗装路に転用され、小橋梁はすべてコンクリート橋に架け替えが済んでいる。走行車両の少なさも相変わらずだ。
K
02年08月
L 道路上を道なりに西へ進むと、羽前宮内(写真L)に達する。現在は暫定の児童遊園等に変わり、北側の変電所建屋は個人の農業倉庫として利用されている。
19年10月
駅西方の熊野川で、道路は一旦遮断される(写真M)。道路橋の代わりに水道の送水管が架かるためだ。寒河江川と同様の大きな径管で、上部には点検用の通路も設けられているが、関係者以外の立ち入りは禁じられている。

橋の先から再び転用道路が始まる。ただ幅員はやや狭くなり、あぜ道を舗装したといったレベルに変化する
M
19年10月
N 続いて山形道をくぐると国道112号線に合流し、同所には石田(写真N)が置かれていた。西端にコンクリート橋を認めるが、当時のものか判断は難しい。

ここからの線路跡は国道に拡幅転用され、自動車にとっては走り良い道となっている。
19年10月
道路に飲み込まれた睦合(写真O)は地元で情報を集めることができず、旧版地形図から同名のバス停付近と推測するにとどめた。 O
02年08月
P 国道が緩やかに右に曲がり始めると鉄道側は左に別れ、一旦県道291号線に利用された後、さらに自転車道へと転換され、これが終点近くまで続く。

自転車道に変わった直後の駅が海味(写真P)となる。開業当初の終点として大きな面積を有し、今は公園として整備されるものの利用者は決して多くない。
02年08月
駅を出て勾配がきつくなった道を進むと、廃止された跨線橋の橋脚(写真Q)なども目に入る。続く海味川のプレートガーダー橋(写真R)は今も健在で、そっくり自転車用に再利用されている。

連続した上り勾配の終了地点に西海味(写真S)が設けられ、構内は一般道との交差点付近を中心に、前後へと広がっていた。
Q
19年10月

海味川橋梁跡 R S 西海味駅跡
02年08月 19年10月

T 自転車道(写真T)はやがて二車線道路に合流する。両側に歩道を完備した上さらに北側を自転車道が並走するという、なんとも贅沢な構成の道路となっている。

ただし線路跡はしばらくして道路を乗り越え、その南脇に位置を移す。
02年08月
少し進んで間沢川を渡ったのちは、両サイドの歩道が消滅し道幅は一気に減少する。以前は三山線の間沢川橋梁(写真U)が自転車道化され、南側の歩道(写真V)を兼務していたが、19年時点で橋桁は既に撤去され、橋台だけが両岸に残されている。

狭くなった車道を西に向かうと、民家脇の水路に橋台(写真W)を見つけることができる。廃線跡が宅地化された証拠でもある。
U
04年06月

V W
02年08月
02年08月

X 終点間沢(写真X)はタクシーの事務所などに変わる。建物には「ばすのりば」と書かれた大きな文字が目立ち、山交バスの路線廃止後も、代替となる西川町コミュ二ティーバスが一日十数本発着する。

終着駅でもあり車庫を併設していたことから敷地は広く、ホームは東側のコンビニ店舗にかけて、構内はその先の民家まで続いていた。
02年08月

-保存車両-

月山の酒蔵資料館に保存される車両(写真Y) Y
04年06月

参考資料

  1. RM LIBRARY78/山形交通三山線/鈴木洋・若林宣 著/ネコ・パブリッシング・・・沿革と現役時代の紹介

参考地形図

1/50000   楯岡   左沢
1/25000   寒河江 [S6測図]   左沢 [S45測量]   海味 [S45測量]

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2019-12/16最終更新 
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