豊橋鉄道田口線を訪ねて

廃止鉄道ノート東海  減速進行

 地区:愛知県新城市 区間:本長篠〜三河田口 軌間:1067mm 動力:電気

この路線は愛知県内でも人口の少ない地域で全線が山に囲まれており、よくぞこの場所に私鉄が開通したものだと感心する。人の輸送だけではなく木材搬出も大きな目的だったことは間違いなく、沿線二箇所で森林鉄道が接続していた。
晩年は豊橋鉄道に合併したが、貨物輸送の減少、自動車交通の発展と共に姿を消した。


 路線図  略史

* 地図上にマウスポインターを置くと田口線を表示します


 昭和 2 (1927) - 11/ 6 田口鉄道 設立
4 (1929) - 5/ 22   〃 開業
31 (1956) - 10/ 1 豊橋鉄道に合併 同社田口線となる
43 (1968) - 8/ 31   〃  田口線 当日を以て廃止

 廃線跡現況

A 現在の飯田線を形成した私鉄4社のひとつ、鳳来寺鉄道に接続する形で田口線はその路線を延していた。
開業時には鳳来寺口と称した本長篠(A参照)が起点で、当時の発着ホームがそのまま残されている。


全盛期の写真には田口線ホームにあふれんばかりの乗客が写っているが、まさに隔世の感がある。
93年9月
駅を出るとすぐ左カーブで北に向きを変える。この時点で既に上り勾配が始り、前途の多難さを予感させる。


視界から飯田線が消えると、一車線の舗装路への転用が始る。
まず国道151号線と交差(B参照)し、さらに進むと早速目の前にトンネルが現れる。
B
93年9月
C この道路はその先で伊那街道と呼ばれる県道32号線に合流してしまうが、田口線は未利用のまま、県道とその隣を流れる大井川に並んで進んでいく。
ただ、かなり高度のある場所でもあり、山林の中でもあるため、その放置された跡地に足を踏み入れる事は難しい。


そんな中で県道との交差箇所には、電柱とその身長を競うようにそびえる橋脚(C参照)を見つける事が出来る。
93年9月
三河大草は周囲に何もなく、その存在価値さえ疑いたくなるような場所に設けられている。
路盤には過去に車が乗入れた痕跡(D参照)が見受けられるが、どのように入ったのか不思議不思議。地元の林業関係者が使っているのかもしれない。


その先は一部の築堤が周囲から確認出来るに過ぎない。トンネルが多数存在した事も探索を妨げる要因となっている。
D
93年9月
E 廃止跡を直接トレース出来ないため、やや距離が離れた県道上をしばらく進むとT字交差点に突き当る。32号線は左に進路を取り、左折後すぐに左後方から田口線が合流してくる。


合流後、鉄道用地は県道の拡幅に利用されるが、一部だけ旧道と別ルートをとる箇所がある。ここが鳳来寺で当線の主要駅でもあり、駅名の由来となった寺への表参道がここから延びている。
93年9月
二階建ての駅舎は鉄道廃止後も食堂に改築され残されていたようで、県道拡幅によって取壊された後、その由来を示す説明書き(E参照)が隣地の新店舗前に立てられていた。
残念ながらこの新店舗も既に取壊されてしまった。


駅を出てしばらく進むと、田口線は県道から左に外れる。
分岐点にはトンネル(F参照)が残り未舗装ながら自動車も通行可能で、「トンネルを抜けると青少年旅行村」の案内標識もあったが、現在は通行止となっている。
F
93年9月
G 青少年旅行村を過ぎると再び鬱そうと茂る樹木に飲込まれ、跡地のトレースが困難になる。


しばらくは東側を走る県道上を進むしかないが、鳳来寺小学校まで来ると遊歩道に整備された廃線跡(G参照)が突如目の前に現れ、玖老勢の集落内に続いていく。
93年9月
この遊歩道は右に大きく曲り、その先に位置した橋梁も鉄道時代のガーダー(H参照)がそのまま利用されている。 H
93年9月
I 橋を過ぎれば玖老勢(I参照)に到着し、その跡地は地元の消防団に利用されている。遊歩道もこの地点では自動車通行可能になっているようだ。


駅の北で二車線の県道に合流するが、起点以降何度も顔を出す常連の32号線だ。
この先は鉄道の跡地を利用して県道が建設された。
93年9月
その県道上を道なりに進むと、途中に三河大石(J参照)が設けられていた。
現在はバス停が設置され、旧道からの進入路も残っているので場所の特定は容易だが、鉄道の痕跡は何も残されていない。


駅の数百メートル先で田口線は県道上から左に分岐し、その跡地は一車線の舗装路として海老川の対岸に渡り、地元の生活道と   して利用され始める。
J
93年9月
K この区間が県道へ転用されず、さらに拡幅もされなかった理由が、その地形の険しさにあることは道路を走れば容易に理解出来る。




途中にはトンネル(K参照)も現存し、その線形を含めて鉄道時代の面影をよく残している。
93年9月
二本のトンネルを抜け、海老川の支流を越えると三河海老(L参照)
駅舎や関連施設がしばらくの間残されていたが、今はきれいさっぱり取払われてしまった。
写真の駅舎左側、消えかけてはいるが「売店」の文字を読みとる事が出来る。
L
93年9月
M 駅の北からは再び一車線の生活道路として延びるが、しばらく北上すると東側を並走していた県道が海老川を渡って近づき、そのまま合流する。
その合流点手前の位置したのが滝上

合流後の県道は鉄道跡地を拡幅転換したもので、その中には田口線最長の稲目トンネル(M参照)も含まれる。さらに北側に短いトンネルが掘削されていたが、こちらは道路への整備時に切崩されている。

なおトンネルの手前で旧道が右に分れるが、こちらは与良木峠を越えるルートで現ルートとは大きく乖離している。
93年9月
トンネルを抜けると豊川(寒狭川)が現れ、これを渡ると田峯(N参照)。道幅がやや広がる駅跡にはバス停も設けられ、両側には行政施設やJAが建並ぶが、鉄道の雰囲気を感じ取る事は出来ない。
駅の南西に森林鉄道が拠点を構え、重要な運賃収入源である木材の受渡しが行われていた。


県道はここから緩やかに左カーブを描き、田峯交差点からはその名を国道257号線と変える。一方鉄道側はまっすぐ進んで寒狭川を越え、山林の中腹にその姿を隠してしまう。
N
93年9月
O 再び姿を現すのは、国道257号線が一時的に東に進路を向けた短い区間内にある清崎トンネルの東口付近からで、ここ以東の国道は田口線を拡幅利用したもの。
この国道トンネル、東側のポータルは田口線の第三清滝トンネルとほぼ重なるが、内部のルートは異なり、西側ポータルの位置は大きくずれている。


第三清崎トンネルの西付近、寒狭川の左岸には長原前が設けられていた。
93年9月
しばらく国道上を進むと清崎にたどり着く。駅名標と腕木式信号が道路脇に移設され(O参照)、道行く車に駅跡をアピールしていた。
現状をそのまま保存したような状況がファンを楽しませてくれたが、残念ながらその姿はもうない。


清崎の集落を過ぎ、徐々に北へと進路を変え始めると同時に国道から左に別れ、第三寒狭川橋梁(P参照)で川を横切り右岸へと出る。
P
93年9月
Q ここからは一車線の生活道路(Q参照)に変り地元の生活道として利用されるが、沿線に大きな集落もなく通行量は少ない。


その一本道を道なりに進むと、寒狭川を渡る最終橋梁、そして6本のトンネルを過ぎて終点三河田口(R参照)へと到着する。
93年9月
ここで廻りを見渡すが何もない。田口の集落へも2kmほどの距離がある。よくぞこの場所に終着駅を設けたものだと、ひとしきり感心させられる。
それもそのはず、ここは旅客のためではなく木材搬出を目的として設置された駅で、寒狭山周辺に路線を延す森林鉄道が当駅に接続し、貨物ターミナルの役目も果していた。

廃止後長期に亘ってその姿を保っていた駅舎も老朽化で崩壊し、今後は徐々にその記憶が薄らいでいくのかもしれない。
この場で全線を振返ると、合計24本のトンネル、橋梁の数等から改めて地形の険しさを思い知らされると同時に、行政の後押しがあればこそ完成した鉄道であったとの思いを強くした。
R
93年9月

 −保存車両

S 奥三河郷土館にて
93年9月

 参考資料


 参考地形図

1/50000 三河大野 [S15二修] 田口 [S32二要]
1/25000 海老 [該当無] 田口 [該当無] 三河大野 [該当無]

 
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2014-10/14最終更新  無断転載禁止 Copyright (C) 2013 pyoco3 All Rights Reserved.