地区:岐阜県多治見市 区間:多治見~笠原/4.9km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
東海地方には有名な陶磁器の生産地が数多く点在する。「せともの」の語源となった愛知県の瀬戸、中部セントレア空港の地元常滑、万古焼の三重県四日市等。また岐阜県の多治見を中心とする東濃地方で焼かれた陶器は美濃焼と呼ばれ、こちらも古くからその名が知られている。地場の主力産業である陶磁器やその原材料の輸送を目的に、中央線と連絡すべく設立されたのが笠原鉄道。しかし短距離であることから経営は苦しく、東濃鉄道として統合後も電化されずにその使命を終えた。昭和 | 3(1928) - | 7/ | 1 | 笠原鉄道 | 開業 |
19(1944) - | 3/ | 20 | 駄知鉄道と合併 | 東濃鉄道となる | |
46(1971) - | 6/ | 13 | 東濃鉄道 笠原線 | 旅客営業廃止 | |
53(1978) - | 11/ | 1 | 〃 | 廃止 |
I | 本多治見(写真I)の跡地は関連会社に利用され、以前見つけることができたホーム跡は、遊歩道化に伴って撤去されたようだ。 沿線には各駅跡を示す案内板も設置されるが、なぜかここは遠く離れた場所に立てられ、あまり役にはたっていない。 |
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93年6月
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遊歩道は笠原川に沿って南東方向に続き、市之倉口(写真J)へと至る。 陶器工場に隣接し荷の積み込み場となっていた構内は、大半がその敷地内に取込まれている。 |
J | ||
93年6月 |
K | 次の下滝呂(写真K)も遊歩道の途中だが、既に駅跡の雰囲気は完全に消滅し、案内板によりその位置を確認するにとどまる。 当時、駅までは民家の裏庭を通るような細道を利用していたが、これが私道だったと地元で教えてもらった。 |
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07年2月 |
この先、市道との交差箇所は陸橋(写真L)で越える。桁は変えられたものの、両側の橋台はその風化具合から鉄道用を再利用したと判断してよさそうだ。 | L | ||
21年2月 |
滝呂(写真N)は一旦笠原川を渡った右岸に置かれていた。以前は何もない漠然とした広場だったが、今は大きな樹木も育ち公園としてきれいに整備されている。東側には、引き込み線の貨物ホ-ム(写真O)と思われる遺構も残されている。
川はここで左右に屈曲するため、笠原線には続けて橋梁が設けられ、こちらは平行する県道13号線から両岸の橋台(写真T・U)を望むことも可能だったが、現在は歩行者橋の新設により撤去された模様だ。 笠原川の左岸で線路跡と遊歩道が再び一致し、荒れ放題だった路盤(写真V)はきれいな舗装路に生まれ変わっている。 |
T | ||
07年2月 |
W | 平成の大合併により多治見市に組込まれた笠原町。市街地手前の平園川に残されていた橋梁痕と、それに続く築堤(写真W)は既に削られ、一般道に切変わっている。 | ||
93年6月
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貨物輸送が主力の鉄道だけに終点の笠原(写真X)は広い構内を備え、機関区も併設されていた。 鉄道廃止後はバスターミナルとして活用されるが、その敷地をやや持て余しているようにも見える。 |
X | ||
93年6月 |
1/50000 | 瀬戸 | |||
1/25000 | 多治見 | [S48修正] | 高蔵寺 | [S52修正] |