琴平参宮電鉄を訪ねて
琴平急行電鉄 廃止鉄道ノート四国 減速進行

 地区:香川県丸亀市  区間:坂出~琴参琴平(20.8km)/多度津桟橋通~善通寺赤門前(6km)  軌間:1067mm  動力:電気

本州から金比羅さんへの参拝客輸送を、大きな目的のひとつとして設立された路線。今でこそ本四間を結ぶ瀬戸大橋がこの地区につながるが、大橋建設以前は宇野~高松間が主要な航路でもあり、大半の渡航客は県都である高松を経由していた。さらに遡れば四国の玄関口だった時期もある丸亀と多度津。しかし次第にその勢いは衰え、本州からの利用客が漸減した琴平参宮電鉄は軌道用の車両で細々と営業を続け、一時は休止状態の琴平急行電鉄を合併もしたが、時の流れには逆らえず昭和の中期に姿を消すこととなった。

略史

大正 11(1922) - 10/ 22  琴平参宮電鉄 丸亀通町~善通寺赤門 開業
昭和 3(1928) - 3/ 20     全通
23(1948) - 7/ 1      琴平急行電鉄を合併
38(1963) - 9/ 15      当日を以て廃止

路線図



廃線跡現況

-坂出線-

坂出駅跡
A
16年03月
坂出(写真A)付近はJRの高架化工事にともなって大きく再開発され、駅跡はまったく不明。聞き取り調査も試みたが、変貌が大きすぎるためか納得のいく返答はなかった。地元での記憶も、かなり曖昧になってきていると感じる。
同じ場所に琴平急行電鉄の駅も並んでいたはずだが、こちらも既に痕跡はない。
B
23年04月
路線は単線で、駅を出るとしばらく予讃線と並行して西進する。最初の富士見町(写真B)は駅のあった面影すらないが、JRの高架工事前は西方に小橋梁の橋台(写真C)が残されていた。
予讃線と共用の築堤上を進むと次の新浜(写真D)に着く。既に盛土は撤去されたが、駅の東方に位置する防災用スピーカーは、いまだ同じ場所にそびえ立つ。

C
95年01月
D
95年01月





E
95年01月
かつて駅西方の小道にも、跨道橋の橋台(写真E)を認めたが、こちらも既に過去の話となっている。
宇多津町との境界付近まで予讃線と併走した後、両者は分離し、琴参側(写真F)は二車線道路として転用されはじめる。道路上となった宇多津新町(写真G)を過ぎ、右急カーブを描くと今度は大束川にぶつかる。

F
16年03月
G
16年03月

H
03年10月
米田氏提供
鉄道橋跡に架けられた歩行者橋の下に、当時の橋脚の基礎(写真H)が顔をのぞかせ、川を渡った先が宇多津駅前(写真I)となる。しかし瀬戸大橋架橋に伴い駅名の元となった予讃線が遠く離れてしまい、今では駅前の呼称が意味不明となってしまった。
線路跡は再び二車線道路に転換されるものの、やがて道幅を狭め、地元の生活道(写真J)へと変化する。

I
16年03月
J
95年01月

K
16年03月
その道も青ノ山の途中で途切れ、雑木の茂る山腹を南東方向に進む。
山を抜け出た先、宅地化された一角に過去の遺構(写真K)を見つけることができる。橋台のようだが近くに河川はなく、道を越える陸橋の跡と考えられる。
L
23年04月
宇多津から丸亀に入って最初の駅が宇夫階(写真L)で、北側の水路にレールを利用した桁(写真M)が架かる。用途は断定できないが、おそらくホームへつながる乗客用の橋だったのではないかと考える。この西側に鉄道用と思われる布積の橋台も並んでいる。
駅の先は再度道路に転用され、しばらく進んだのち土器川右岸で県道33号線に合流する。河川に架かる道路橋の蓬莱橋は上下別線となるが、両者の間に鉄道時代の橋脚(写真N)が倒壊した状態で放置されている。

M
23年04月
N
03年10月
米田氏提供

O
16年03月
川を渡り、丸亀市街地に入った直後に置かれていたのが渡場(写真O)となる。
当時の路線は道路の南端に沿って走っていたが、現在は全て県道の拡幅に飲み込まれている。
P
95年01月
当地の中心で主要駅でもあった丸亀通町(写真P)も、今ではその面影はどこにも残されていない。
なお全線が四路線に分かれていたため、当駅からの路線名は丸亀線に変わる。ただし各線の実際の運用は一体化されていた。

-丸亀線-

Q
95年01月
坂出線同様、単線のまま駅を出ると丸亀城の外堀に沿って向きを南に変える。開業当初の起点堀端はこの交差点東に設けられていた。計画では予讃線丸亀駅前を出発点としていたが、土地買収の問題からか、最後まで延伸されることはなかった。
後年設けられた亀山公園前(写真Q)は、交差点の南側となる。
R
95年01月
丸亀線はこの先県道33号線に隣接して進むが、跡地は既に道路の拡幅に利用され、残念ながら当時の活躍を示す痕跡はどこにも残されていない。
途中にグランド前(写真R)、本社移転後中府から駅名変更された中府本社前(写真S)番神(写真T)田村(写真U)(写真V)原田(写真W)と各駅が続いていた。

S
23年04月
T
16年03月

U
23年04月
V
23年04月

W
23年04月
県道が国道319号線と交差したのち右にカーブを描くと、鉄道側は道路を離れ、その南脇を並走し始める。両者同時に渡る金倉川に痕跡は見られないが、左岸に建つ空きビルの西に小橋梁の石積橋台(写真X)が残されている。
さらに事務所等の建物を抜け、金倉寺の北側を通り過ぎたのち左に曲がると、鉄道用地に沿って建つスレートの倉庫や住宅(写真Y)を見つけることができる。

X
16年03月
Y
16年03月





Z
16年03月
ここで再び左に曲がり、伊予街道と呼ばれる県道25号線に合流する。同所に金蔵寺(写真Z)が設けられ、道路の西脇を走っていたこと、廃止後は道路拡幅に利用されたこと、等を地元で耳にした。
AA
23年04月
次の樫藪変電所前(写真AA)は当初車庫前と呼ばれていた。火災のため車庫が焼失し、善通寺へ移転したことによる駅名変更と考えられる。続く稲木(写真AB)も現県道上だが、旧版地図を含め駅を印した地図を見つけられず、やむなく同名バス停付近かと推測するのみだ。
県道と共に進んできた路線は、上吉田町交差点の手前で小さなカーブを描いて西に別れ、そのカーブ終了地点に石積橋台(写真AC)が姿を見せている。

AB
23年04月
AC
16年03月

AD
16年03月
ここからは土讃線を乗り越えるため築堤で高度を上げる。勾配途上のたこ焼き店駐車場に残る石積擁壁(写真AD)は、農業用水路向けの暗渠跡と考えられる。
土讃線との交差後は再度南東へと向きを戻し、車庫跡を転用した農協内を通り抜け、その先で県道24号線に突き当たる。
AE
16年03月
同所正面に一方通行の細い路地(写真AE)が現われ、これが開業時のみ置かれた善通寺駅前(写真AF)への線路跡に相当する。この区間は地形図等に記載がなく、唯一1922年の最新善通寺市街図だけが頼りとなる。廃止時期や正確な駅位置は不明だが、レールが敷設されていたことは現地でも確認が取れた。
北側の県道24号線上では西に向う路線が分岐し、その直後に設けられていたのが善通寺車庫前(写真AG)となる。

AF
16年03月
AG
16年03月

AH
23年04月
単線で続いてきた丸亀線だが、車庫への入出庫の便を図るためか駅から西は複線での併用軌道に変わる。また善通寺の市街地では駅間距離も短くなり、次の本郷通(写真AH)もすぐ近くだ。
AI
95年01月
街の中心には善通寺赤門前(写真AI)が設けられていた。永く駅舎が残され民間の店舗として活用されていたが、残念ながら現在は取り壊されて更地となってしまった。
ここで多度津線と合流し、新たに琴平線と名を変えて複線で最終目的地琴平を目指す。

-琴平線-

AJ
23年04月
大通りと呼ばれる県道24号線上を進むと、すぐ次の農協前(写真AJ)に至る。資料によって護国神社前等の名称も挙がるため、駅名の変遷があったことは間違いなさそうだ。
続く善通寺南口(写真AK)を過ぎると併用軌道を脱し、再び専用の軌道敷を進むことになる。その跡地は現在道路(写真AL)として活用されているものの、国道が平行するためか交通量はいたって少ない。

AK
16年03月
AL
16年03月

AM
23年04月
途中の生野(写真AM)風折(写真AN)は共に千鳥配置の相対式ホームを持ち、大麻(写真AO)は対向式となっていた。しかし今では痕跡ひとつなく、道路さえ当時の複線用地から幅を削られた上で転用されている。

AN
23年04月
AO
23年04月

AP
23年04月
岩崎(写真AP)南方の農業用水路に残る石積橋台(写真AQ)も若干幅が不足気味で、一部を撤去して再利用したと思わざるを得ない。
同所で並走していた土讃線を離れ、象頭山につながる山裾に掘削された岩崎トンネル(写真AR)へ向かう。こちらは今も複線用の原形を保ったまま、道路トンネルとして活用されている。

AQ
23年04月
AR
94年12月

AS
94年12月
大麻神社前(写真AS)からは県道208号線沿いの民家や店舗に変わるが、その中で見つけた複線分の石積橋台(写真AT)は地区のゴミ収集場として利用されている。
やや距離を置いた先にも、煉瓦積の橋台(写真AU)が残される。この区間は土讃線の旧線路敷を転用したため、同線付替後も未撤去だった単線用の設備を、コンクリートで複線用に改修、補強して再利用したようにも受け取れる。

AT
16年03月
AU
16年03月

AV さらに南下すると土讃線の初代琴平駅構内に入り込み、駐車場に変わった跡地(写真AV)は徐々に広がりを見せる。
16年03月
終点琴参琴平(写真AW)もやはり土讃線の駅跡に設けられ、廃止後は地元での通称を冠する大きな観光ホテルに生まれ変わっている。 AW
94年12月

-多度津線-

AX 当線も複線として開業したが、晩年は片側のレールが取り外され、単線としての運行だった。
出発点の多度津桟橋通(写真AX)はタクシーの営業所に利用されていたが、既に閉鎖されてしまった。
95年01月
AY
16年03月
駅の西方に唯一の遺構である桜山トンネル(写真AY)が残されている。

他線同様大半が専用軌道で、その路盤跡は県道212号線及び216号線に転用され、今は二車線の快適な道路に変わっている。
AZ
16年03月
途中には多度津鶴橋(写真AZ)青木(写真BA)三井(写真BB)筆岡(写真BC)中村(写真BD)吉田(写真BE)と人名を想像するような駅が北から順に並んでいたが、現状から当時の様子をうかがい知ることは難しい。

BA
95年01月
BB
95年01月

BC
95年01月
BD
23年04月

BE
16年03月
最後に金毘羅宮へつながる多度津街道と交差、その東脇を併走しつつ善通寺の琴平線を目指していた。同区間も既に道路の拡幅に利用されるが、やけに広い四車線道路が当時の線路跡を物語っている。

参考資料

  1. 60年史/琴平参宮電鉄株式会社
  2. 琴平参宮電鉄/RM LIBRARY 202/宮武 浩二 著/ネコ・パブリッシング

参考地形図

1/50000   丸亀 [S32要修]
1/25000   丸亀 [S7鉄補]   善通寺 [S7鉄補]

 丸亀市在住の米田さんより、土器川と大束川に残る橋脚跡の写真を送っていただきました。

 No64・67・76・80・88・105・115・129に記帳いただきました。
お断り    ↑ページtop
最終更新日2023-4/28  *路線図は国土地理院地図に追記して作成* 
転載禁止 Copyright (C) 2002 pyoco3 All Rights Reserved.