地区:香川県坂出市 区間:坂出~電鉄琴平/15.7km 軌間:1067mm/全線単線 動力:電気
昭和 | 5(1930) - | 4/ | 7 | 琴平急行電鉄 | 開業 |
19(1944) - | 1/ | 〃 | 休止 | ||
23(1948) - | 7/ | 琴平参宮電鉄 | 琴平急行電鉄を合併 | ||
29(1954) - | 8/ | 30 | 〃 | 琴平急行線廃止 |
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A | 出発点の坂出(写真A)は瀬戸大橋建設に伴う大規模な再開発により大きく変貌を遂げている。隣にあった琴平参宮電鉄のホームは既になくJR駅も高架となり、当時の駅跡を示すものは何も残されていないため、今では位置の特定さえ難しい。 なお本州よりの渡航客を直接集客する目的なのか、予讃線を乗り越えて坂出港まで延長する計画図も残されている。 |
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02年12月
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丸亀を経由する琴平参宮電鉄とは逆方向に出発した琴平急行電鉄は、すぐ右に急カーブを描き大きく方向を変える。このカーブ地点はすべて宅地に取り込まれ、当時の鉄道境界線すら発見できない。徒歩で丹念に調べたが無駄足に終わった。これが坂出駅前の密集地を抜けるまで続く。 最初の駅は女学校前(写真B)で、跡地に開業していた商店も既に閉鎖され駐車場等に変わっている。 |
B | ![]() |
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02年12月 |
続く国道438号線との交差先には、以前川津のホーム跡(写真H)を確認できた。隠れた場所にあり探し出すには少し骨が折れたが、今は国道の拡幅によりその痕跡は過去の話となってしまった。 | H | ![]() |
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02年12月
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I | 駅の先で緩やかに右カーブを描く路線は、農地や宅地、さらには瀬戸中央道坂出ICに取り込まれ、その影を消してしまう。 ICを抜けるとすぐ大束川にぶつかるが、やはり橋梁の痕跡等を発見することはできない。ただ川の左岸に建つ民家裏に築堤の暗渠跡(写真I)、その西側の水路に橋台(写真J)が残り、今も国道11号線のすぐ南側に姿を見せている。 |
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16年03月 |
更に琴平急行電鉄跡は一旦国道に接近し、重なるか重ならないか微妙なところで再び離れる。付近は駐車場やバスターミナル、パチンコ店等に取り込まれ痕跡はない。 | J | ![]() |
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11年01月 撮影フリー切符さん |
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K | 国道に別れを告げ南に方向を変えると津ノ郷(写真K)跡。永くホームの一部が残されていたが、残念ながら現在は全て撤去されている。 ここから終点の金比羅さん方面を眺めると、目の前に広がるのは区画整理された広大な農地ばかり。この先の多難さを予想させるには、まさに十分過ぎる光景が広がる。 |
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95年01月
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一部に当時の鉄道境界線が現われる農地内をしばらく進むと、ため池を避けるように路線がやや西にふくらむ。ここに池ノ下が設けられ、現在は畑となり当時の構造物はなくなってしまったが、構内の境界線が今もくっきりと残されている。駅跡を示す表示もあるが、既にボロボロでほとんど役に立っていない。 また駅の北に土留めの擁壁として手直しされた橋台(写真L)を見つけることが出来る。 |
L | ![]() |
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16年03月 |
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M | 駅の南方に建つ数軒の民家を抜けると、こちら側にも当時の橋台(写真M)が残されている。その先も短い路盤跡が現存し、今は農機具の置き場として使用されている。 南に向かう鉄道跡は再び農地や宅地、店舗等に変わり痕跡は一旦消える。 |
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16年03月 |
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N | 下記参考資料によれば次駅は讃岐富士(写真N)となっているが、駅跡を示す標示(写真O)には登山口と記されている。 この案内板、地元自治会の手によるものらしいが、劣化が激しいため新規制作が検討されているとのこと。 |
O | ![]() |
19年4月 | 19年4月 |
余談だが讃岐富士は飯野山の別称で、地形図でもほぼまん丸く描かれ実際にも大変美しい姿を眺めることが出来る。ただ山の名称が急行電鉄当時の飯山から飯野山にいつのまにか変更されているのは何とも不思議。 その後は特別養護老人ホームを抜け再び農地の中を横切るが、その中に一箇所溝橋跡(写真P)を発見する。 |
P | ![]() |
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16年03月 |
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Q | R | ![]() |
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02年12月
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02年12月 |
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S | ここで南東から南西へとほぼ直角に向きを変えた琴平急行電鉄は、この地の主要河川である土器川を渡る。既に改修工事が終了したのか、右岸左岸共に痕跡は見つからない。 川を越えると再び農地の中に飛び込み、更に数軒の住宅を抜けると橋台跡(写真S)が顔を出す。以前はしっかりした輪郭を持っていたが、いつのまにか削られてしまったとの話を地元で聞いた。 |
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16年03月 |
この西側に位置したのが川西(写真T)。以前は併走する県道18号線からもホーム跡の一部を確認できたが、既に撤去されて雑木が茂っている。周囲にはボツボツ住宅も建ち始め、駅跡が宅地に変わるのも時間の問題かもしれない。 | T | ![]() |
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95年01月
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駅を出ると道池と呼ばれる溜池の端をかすめ、左カーブを描いて再度南に方向を取るが、ここに溝橋(写真U)と河川橋(写真V)の橋台跡を連続で見つけることができる。河川側の護岸工事は完成しているものの丈夫な橋台は取り壊しを免れ、当時の状態で法面に埋め込まれている。
再度農地の中を突き進み始めた、琴平急行電鉄の次駅は妙見。旧版地形図から判断して農地に戻されていると思われるが、こちらも場所を特定できる痕跡は見当たらなかった。さらに南下し、とある閉鎖された工場の西付近に小さな橋台を連続で発見(写真Y・Z)。用水路が発達しているため各所で橋梁跡を探し出すことが出来る。なお工場跡地は16年時点で小規模な住宅地として再開発されている。
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AA | 公文は県道47号線からやや北に入った白いビニールハウス(写真AA)が目印となる。 ハウスの東端付近にレールが敷設され、電柱の東側にホームがあったこと、取り壊しの際処分に困ってホーム擁壁を地中に埋めたこと、近くに当時の村長宅があり駅設置に政治力が働いたのではないか、等の話を地元で聞いた。 |
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16年03月 |
南へ向かう路線は農機販売会社を抜け、再び農地の中を進む。 以前はここにも橋台(写真AB)が認められたが、現在は撤去されている。ただ壊されたのはあぜ道として歩行に邪魔になる上部だけで、道より下の部分はいまだ健在のようだ。 そのまま県道200号線と鋭角に交差したのち左に小さくカーブを描くと、溝橋跡(写真AC・AD)が二箇所顔を覗かせる。 |
AB | ![]() |
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95年01月
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AC | AD | ![]() |
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16年03月 | 02年12月 |
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AE | 溝橋のすぐ南方に設置されていた高篠(写真AE)は、廃止後かなりの期間ホーム跡が残っていたが、今は取り壊された跡地に住宅が建てられ、駅跡の雰囲気は完全に消えてしまった。 | |
95年01月 |
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AF | 駅の南には相変わらず農地が広がり、一部は住宅に取り込まれものの、水路に関連する痕跡が相変わらず点在(写真AF・AG)している。 橋梁以外の痕跡を見つけられないといったほうがより正確かもしれない。 |
AG | ![]() |
16年03月 | 02年12月 |
農地の中をしばらく南下してきた路線が金比羅さんに向けて大きく右カーブを描くと、その途中に榎井が位置した。南北に延びる一車線の県道4号線と交差した西側で、今は農地となっている。 ホームが一本あったこと、県道には踏切があり駅員兼任で踏切警手がいたこと、東側の印刷会社入口が暗渠となった水路の橋台部にあたること、その水路を越えるために築堤が築かれていたこと等を地元で耳にした。また駅の西では路盤上に一軒の民家が建ち、その先は田圃や倉庫等として続いていく。 |
AH | ![]() |
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02年12月 |
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AI | 更にJR土讃線と交差したのちは高松琴平電鉄と並走を始める。今も交差跡(写真AH)は健在で、南(右)に琴電の複線用地、北(左)に琴平急行電鉄の廃線跡が見て取れる。 付近には小さな橋台跡(写真AI・AJ・AK)が数箇所残るが、いまのところこれといった再利用はされていない。 |
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02年12月 |
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AJ | AK | ![]() |
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02年12月 | 02年12月 |
左カーブの途中で琴電と別れると、最後の河川となる金倉川にぶつかる。川底には橋脚の土台(写真AL)が残り、大きな河川改修でもない限り当分の間は現状を維持しそうだ。 | AL | ![]() |
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02年12月 |
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AM | 川を渡り、路盤に沿って建つ住宅地を抜けると終点の電鉄琴平(写真AM)に到着する。駅跡は現在郵便局として利用されている。 当時は琴参琴平駅、あるいは琴電琴平駅と隣り合わせ、まさに金比羅さん参拝への一大ターミナルを形成していた |
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02年12月 |
1/50000 | ![]() |
[S32要修] | ||
1/25000 | ![]() |
[S7鉄補] | ![]() |
[S7鉄補] |