地区:香川県坂出市 区間:坂出~電鉄琴平/15.7km 軌間:1067mm/全線単線 動力:電気
琴平参宮電鉄線と同様、本州から金比羅さんへの参拝客輸送を目的の一つに建設された。開通は昭和に入ってからだが、第二次世界大戦中に不要不急路線として資材を供出し休止された。休止状態のまま琴平参宮電鉄と合併したが、その後復活することなく廃止されている。全線を35分で運行する鉄道らしい鉄道だったが、十数年の短命で地元でもこの名を知る人は少ない。
さて、この地方の地図を眺めると、なんと溜池の多い土地かと驚かされる。近年では早明浦ダム(吉野川水系)の水不足で一躍有名になったが、昔から農業用水の確保に苦心していた様子がよくわかる。この各所に散在する溜池からは用水路が縦横無尽に延び、これが廃線跡と大いに結びつく。鉄道の用地は敷設前の所有者に返却された箇所が多いと聞いたが、その結果としてほぼ全域にわたり農地に戻されている。このような廃線跡の場合何の遺構も残らないのが普通だが、上に記した多数の用水路のおかげで当時の橋台などが散見され、廃止時期を考えれば遺構の多い鉄道といえる。
略史
昭和 |
5(1930) - |
4/ |
7 |
琴平急行電鉄 |
開業 |
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19(1944) - |
1/ |
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〃 |
休止 |
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23(1948) - |
7/ |
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琴平参宮電鉄 |
琴平急行電鉄を合併 |
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29(1954) - |
8/ |
30 |
〃 |
琴平急行線廃止 |
路線図
廃線跡現況
出発点の坂出(写真A)は瀬戸大橋建設に伴う大規模な再開発により大きく変貌を遂げている。隣接していた琴平参宮電鉄のホームは既になく、JR駅も高架となり、位置を特定する痕跡は何ひとつ残されていない。
なお本州よりの渡航客を直接集客する目的なのか、予讃線を乗り越えて坂出港まで延長する計画図も残されている。
丸亀を経由する琴平参宮電鉄とは逆方向に出発した琴平急行電鉄は、すぐ右に急カーブを描き大きく方向を変える。このカーブ地点はすべて宅地に取り込まれ、当時の鉄道境界線すら発見できない。徒歩で丹念に調べたが無駄足に終わった。これが坂出駅前の密集地を抜けるまで続く。
最初の駅は女学校前(写真B)で、跡地に開業していた商店も既に閉鎖され駐車場等に変わっている。
南西に続く路線は更に住宅地や農地を抜け、一部に鉄道用地に沿った土地境界線(写真C・E)が残されている。
また市街地の十字交差点の北西角に三角の敷地を持つ住宅(写真D)を見つけ、この区画内を琴平急行電鉄が通っていたと聞いた。場所としては南部公民館の南にあたる。
更に地形図を頼りにルートをたどり、国道11号線の二本北の生活道に橋台跡(写真F)を発見する。地元で確認は取れなかったものの、その形状から当時の遺構と判断した。
国道の南側へ進んだ後も、鉄道用地に沿った連続した地割りが見られ、ソーラーパネル東側の白いフェンス(写真G)が目印となっている。
続く国道438号線との交差先には、以前川津のホーム跡(写真H)を確認できた。隠れた場所にあり探し出すには少し骨が折れたが、今は国道の拡幅によりその痕跡は過去の話となってしまった。
駅の先で緩やかに右カーブを描く路線は、農地や宅地、さらには瀬戸中央道坂出ICに取り込まれ、その影を消してしまう。
ICを抜けるとすぐ大束川にぶつかるが、やはり橋梁の痕跡等を発見することはできない。ただ川の左岸に建つ民家裏に築堤の暗渠跡(写真I)、その西側の水路に橋台(写真J)が残り、今も国道11号線のすぐ南側に姿を見せている。
更に琴平急行電鉄跡は一旦国道に接近し、重なるか重ならないか微妙なところで再び離れる。付近は駐車場やバスターミナル、パチンコ店等に取り込まれ痕跡はない。
国道に別れを告げ南に方向を変えると津ノ郷(写真K)跡。永くホームの一部が残されていたが、残念ながら現在は全て撤去されている。
ここから終点の金比羅さん方面を眺めると、目の前に広がるのは区画整理された広大な農地ばかり。この先の多難さを予想させるには、まさに十分過ぎる光景が広がる。
一部に当時の用地境界線が残る農地内をしばらく進むと、ため池を避けるように路線がやや西にふくらむ。そのまま池の北東角をかすめるが、ここに土留めの擁壁として手直しされた橋台(写真L)を見つけることが出来る。
道を一本隔てた南側に設けられていた池ノ下(写真M)。現在は畑となり当時の構造物はなくなってしまったが、構内の境界線がくっきり残されている。駅跡を示す表示もあるが、既にボロボロでほとんど役に立っていない。
駅の南方に建つ数軒の民家を抜けると、こちら側にも当時の橋台(写真N)が残されている。その先も短い路盤跡(写真O)が現存し、今は農機具の置き場として使用されている。
南に向かう鉄道跡は再び農地や宅地、店舗等に変わり痕跡は一旦消える。下記参考資料によれば次駅は讃岐富士(写真P)となっているが、駅跡を示す標示(写真Q)には登山口と記されている。この案内板、地元自治会の手によるものらしいが、劣化が激しいため新規制作が検討されているとのこと。
なお讃岐富士は飯野山の別称で、地形図にはほぼまん丸く描かれ、現地でも大変美しい姿を眺めることが出来る。
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Q |
その後は特別養護老人ホームを抜け再び農地の中を横切るが、その中に一箇所水路痕(写真R)を発見する。 |
R |
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19年04月 |
16年03月 |
ここからは右に大きくカーブを描き、讃岐飯野(写真S)へとつながっていく。車庫や変電所も備えた主要駅で、廃止後は丸亀市の苗木センターとなり駅跡の表示(写真T)もあったが、現在は保育園の建設が進み19年中の完成を目指している。
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S |
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T |
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02年12月
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02年12月 |
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U |
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さらに南西へと向きを変えた琴平急行電鉄は、この地の主要河川である土器川を渡る。既に橋梁の撤去作業は完了した模様で、橋脚跡を含めて痕跡は見つからない。
川を越えると再び農地の中に飛び込み、続く数軒の住宅を抜けると用水の橋台跡(写真U)が顔を出す。以前はしっかりした輪郭を持っていたが、いつのまにか削られてしまったとの話を地元で聞いた。 |
16年03月 |
この西側に位置したのが川西(写真V)。以前は併走する県道18号線からもホーム跡の一部を確認できたが、既に撤去されて雑木が茂っている。周囲にはボツボツ住宅も建ち始め、駅跡が宅地に変わるのも時間の問題かもしれない。 |
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V |
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95年01月
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駅を出ると道池と呼ばれる溜池の端をかすめ、左カーブを描いて再度南に方向を取るが、ここに水路(写真W)と河川(写真X)の橋台跡を連続で見つけることができる。河川側の護岸工事は完成しているものの丈夫な橋台は取り壊しを免れ、当時の状態で法面に埋め込まれている。
この先もアパートや農地等に転用され、当時のルートを直接トレースすることは難しい。ただ一部の農地には鉄道路盤に沿った土地の境界線が見受けられ、また用水路に架けられた橋梁の遺構(写真Y)も残されている。
重元生活改善センターを抜けると市道と斜めに交差する。この南側に設けられていたのが郡家(写真Z)で、道路にやや広がりも認められる。
ここからの廃線跡は一車線の舗装路に転換され、通行車両も比較的多い。
この先しばらくは転用道路上を進んだ後、「立の外」バス停付近から東に離れ垂水(写真AA)に到着する。その跡地は現在、倉庫や畑に利用されている。
再度農地の中を突き進み始めた琴平急行電鉄の次駅は、妙見(写真AB)となる。場所は旧版地形図から判断したが、こちらも既に農地に戻され、駅跡を示す痕跡等は見当たらなかった。
さらに南下し、とある閉鎖された工場の西付近に小さな橋台を連続で発見(写真AC・AD)。用水路が発達しているため各所で橋梁跡を探し出すことが出来る。なお工場跡地は16年時点で小規模な住宅地として再開発されている。
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AE |
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公文(写真AE)は県道47号線からやや北に入った白いビニールハウスが目印となる。
ハウスの東端付近にレールが敷設され、電柱の東側にホームがあったこと、取り壊しの際処分に困ってホーム擁壁を地中に埋めたこと、近くに当時の村長宅があり駅設置に政治力が働いたのではないか、等の話を地元で聞いた。 |
16年03月 |
南へ向かう路線は農機販売会社を抜け、再び農地の中を進む。
以前はここにも橋台(写真AF)が認められたが、現在は撤去されている。ただ壊されたのはあぜ道として歩行に邪魔になる上部だけで、道より下の部分はいまだ健在のようだ。
そのまま県道200号線と鋭角に交差したのち左に小さくカーブを描くと、小橋梁跡(写真AG・AH)が二箇所顔を覗かせる。 |
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AF |
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95年01月
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AG |
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AH |
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16年03月 |
02年12月 |
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AI |
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橋のすぐ南方に設置されていた高篠(写真AI)は、廃止後かなりの期間ホーム跡が残っていたが、今は取り壊された跡地に住宅が建てられ、駅跡の雰囲気は完全に消えてしまった。 |
95年01月 |
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AJ |
駅の南には相変わらず農地が広がり、一部は住宅に取り込まれものの、水路に関連する痕跡が相変わらず点在(写真AJ・AK)している。
橋梁以外の痕跡を見つけられないといったほうがより正確かもしれない。 |
AK |
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16年03月 |
02年12月 |
農地の中をしばらく南下してきた路線が金比羅さんに向けて大きく右カーブを描くと、その途中に榎井(写真AL)が位置した。南北に延びる一車線の県道4号線と交差した西側で、今は農地に戻されている。
ホームが一本あったこと、県道には踏切があり駅員が踏切警手を兼ねていたこと、東側の印刷会社入口が暗渠となった水路の橋台部にあたること、その水路を越えるために低い築堤が築かれていたこと、等を地元で教えてもらった。
また駅の西方には、民家への進入路(写真AM)として私道に転換された線路跡も確認できる。
更にJR土讃線と交差したのちは高松琴平電鉄と並走を始める。今も交差跡(写真AN)は健在で、南(右)に琴電の複線用地、北(左)に琴平急行電鉄の廃線跡が見て取れる。付近には小さな橋台跡(写真AO・AP・AQ)が数箇所残るが、いまのところ道路等に再利用する様子はうかがえない。
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AP |
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AQ |
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02年12月 |
02年12月
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左カーブの途中で琴電と別れ、最後の河川となる金倉川にぶつかる。川底に橋脚の土台(写真AR)が残り、大きな河川改修でもない限り当分の間は現状を維持しそうだ。 |
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AR |
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02年12月 |
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AS |
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川を渡り、路盤に沿って建つ住宅地を抜けると終点の電鉄琴平(写真AS)に到着する。駅跡は現在郵便局として利用されている。
当時は琴参琴平駅、あるいは琴電琴平駅と近接し、まさに金比羅さん参拝への一大ターミナルを形成していた |
02年12月 |
参考資料
- 鉄道ピクトリアル通巻509号/琴平急行電鉄おぼえ書き/三木理史 著
参考地形図
1/50000 |
丸亀 |
[S32要修] |
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1/25000 |
丸亀 |
[S7鉄補] |
善通寺 |
[S7鉄補] |
No1・25・92・107に記帳いただきました。
最終更新日2023-4/17 *路線図は国土地理院地図に追記して作成*
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