琴平電鉄塩江線を訪ねて
廃止鉄道ノート四国 減速進行

 地区:香川県高松市  区間:仏生山~塩江16.3km  軌間:1435mm単線  動力:内燃

琴平電鉄の系列として開業した塩江温泉鉄道。今では珍しいと思われるガソリンカーでの運行だが、開業当時はこれが世の流れでもあった。琴平線と同様の標準軌を採用したが、動力の違いからか最後まで直通運転することなく、十数年の短期間でその使命を終えた。戦前に廃止された路線にもかかわらず、塩江美術館をはじめとする各機関の活動により、地元での関心が高いのも当線の大きな特徴となっている。

略史

昭和 4(1929) - 11/ 12  塩江温泉鉄道 開業
13(1938) - 5/ 1  琴平電鉄に合併  同社塩江線となる
16(1941) - 5/ 10     塩江線 廃止
18(1943) - 11/ 1  高松琴平電気鉄道に合同

路線図



廃線跡現況

A 琴平線仏生山の東側(写真A)、現在の留置線付近が塩江線の乗場となる。ここから南に向って舗装路が延び、これは廃線跡を転用したもの。
また駅北側に置かれている車庫の一部は、当時塩江線用として使われていた。
94年12月
線路敷を利用した道路は、車両にちなんでガソリン道と命名され、 沿線には案内看板(写真B)も設置されている。「汽車道」「電車道」の通称を持つ転用道路は各地に点在するが、ガソリン道と呼ばれるのは大変珍しい。ただしこの名前から、かつて鉄道が走っていたことを想像できる人がどの程度いるのか、やや疑問ではある。 B
95年1月
C 南南西に延びていた路線がほぼ真南に向きを変える地点に、船岡(写真C)が設けられていた。当地には大きな河川が少なく、農業用水を確保するための貯水池が各所に点在し、この駅も「平池」「船岡池」の両池に挟まれている。
19年4月
道なりに南へと進み、やはり貯水池の「市宮池」脇に設けられていたのが浅野(写真D)。駅跡を示すかのように道路にふくらみが見受けられる。 D
19年4月
E その後も続くゆるやかな登り坂が徐々にきつくなると、やがて伽羅土(写真E)に到着する。駅跡は駐車場が目印となっている。
95年1月
駅の先、ガソリン道は大きく屈曲したのち、突然右に折れて塩江街道と呼ばれる県道280号線に合流する。ここで鉄道側はまっすぐ進み、そのまま油山トンネル(写真F)に進入する。立ち入りは制限されているが、漏水もあまりなく状態は良さそうだ。 F
19年4月
G
20年8月
出口側には民家が建ち並び、路盤の確認は難しい。その一画を抜けると、左手に大きなため池、竜満池が現れ、塩江線は湖岸の緑地帯に変わっている。池の取水口に相当するのか、湖面に降りる階段が設けられ、ここに鉄道の橋台(写真G)が隠されている。新たなコンクリートで凹凸が埋められてはいるが、よく観察すると当時の姿が浮かび上がってくる。
H
19年4月
池を通り過ごすと再び道路に転用されるが、距離は短く、すぐ住宅地に飛び込んでしまう。この手前にも橋台(写真H)が残されている。水路と細い道路を同時に越えていたようだ。
I
19年4月
続いて県道13号線と交差し、さらに南へと向きを変えるカーブ途上に小橋梁跡(写真I)を見つけることができる。西側(写真奥)は民家の入り口として改修され、東側(写真手前)は以前からの状態を保っていると聞いた。その後、数軒の民家を過ぎると川東(写真J)へ達する。 駅の南は農地、民家、幼稚園等に取り込まれるが、中に一ヵ所だけ側溝用の橋台(写真K)が顔をのぞかせる。

J K
19年4月 19年4月

L
19年4月
ここからは国道193号線に平行し、その東奥を南下する。線路用地に沿ったと思われる境界線も一部の農地に認められ、さらに消防署、農協と連続して通り抜けた後、国道に接近し東隣に並ぶ。ここで倉庫の基礎に組み込まれた橋台(写真L)を見つける。確認は取れなかったが、その位置、形状から塩江線の遺構とみてよさそうだ。
M
95年1月
引き続き南に向かう路線は一旦国道から一車線の生活道脇に移り、やがて製材所として生れ変わった岩崎(写真M)へと至る。しかし19年時点で場内は閑散とし、木材も見当たらない。既に廃業したのかもしれない。
駅を出た直後は県道165号線と併走するものの、やがて右カ-ブで県道を横切り位置を変える。
N
95年1月
以降は線路跡を転換した一車線道路(写真N)が続く。しばらくして右手から香東川が近づき、目の前には高松空港の誘導灯が見えてくる。
高松市のポンプ場北付近に設けられ、上下列車の交換駅でもあった鮎滝(写真O)を過ぎると除々に地形が険しくなり、それに伴って道幅もかなり狭くなる(写真P)。以前は車止があったようだが、現在は自動車の通行も可能となっている。

O
19年4月
P
19年4月

Q
19年4月
ただし、行先に待ち構える第一香東川橋梁(写真Q)には重量制限があり、農耕車程度しか渡れない。
橋自体は鉄道用を改修した上で供用され、大きな特徴でもある円形の橋脚がそのまま生かされている。
R
19年4月
川を渡ると農地内へと入り込み、大半の痕跡が消える中、橋梁跡(写真R)が一ヵ所だけ残される。
同じ集落内に設けられたものの、旧版地形図から正確な場所を読み取ることが不可能な(写真S)は、白い二階建民家付近が駅跡と伝えられている、との情報を現地で得ることができた。駅の南に架けられた橋は第二香東川橋梁(写真T)と呼ばれ、第一橋梁同様改修されてはいるが丸い橋脚は健在だ。

S
24年3月
T
19年4月

U
95年1月
香東川の 右岸に戻った塩江線は、しばらくして安原(写真U)へ至る。以前は保育所として利用されていたが、過疎化の影響なのか19年時点で塩江古民館に変わり、自転車休憩所も兼ねる。
V
95年1月
駅の先は再び住宅や農地に取り込まれ、跡地を直接たどることは難しくなる。その中で民家脇に橋台跡(写真V)を発見し、注意深く探せば対岸分も確認できる。なお以前は線路用地のみ分筆された田圃があった、との話を地元で聞いた。
農地内を抜けると、左手から山肌が迫り、同時に一車線道路と合流する。ここからの道路は鉄道敷を転用してつくられている。
W
95年1月
道沿いにホーム跡が顔を出す中村(写真W)には案内看板が設置され、そのホーム上に墓が同居するのも、なかなかユニークだ。
X
95年1月
駅の東には跨道橋跡(写真X)が残される。下をくぐる道は河北八幡神社への参道らしく、香東川には珍しく沈下橋が架橋されている。同所のみ道路転用は一旦外れるが、跨道橋を過ぎるとすぐ元に戻る。
中村トンネル跡
Y
19年4月
直後に短いトンネル(写真Y)が現れる。中村隧道だ。香東川を中心に左岸に国道193号線、右岸に塩江線がひしめく狭隘地を通過するため、この区間にはトンネルが数カ所掘削されていた。
Z
95年1月
また地形の険しさを象徴するが如く、川沿いを縦断して進む橋梁も用意されていた。そのひとつが第三香東川橋梁(写真Z)で、円柱形状の橋脚が道路脇にずらりと並んでいる。この先は線路跡と道路が微妙にずれ、隣接する農地の中に水路用の橋台跡(写真AA)を認めることも出来る。しかし仔細に観察しても判断は難しく、地元での教示により、ようやく鉄道用との断定に至ることができた。
農地を抜けた後は再度道路と重なり、そのまま御殿場トンネル(写真AB)へと向かう。内部は緩やかなカーブを描き、戦時中は物資の保管庫として利用されていたとも聞いた。

AA AB
19年4月 19年4月

AC
19年4月
トンネルを抜けた後の右カーブ終了地点より、鉄道側は再び右手に分離し、途中にコンクリートの橋梁跡(写真AC)を見つけることができる。
AD
95年1月
また過去に農道(写真AD)として利用された区間もあったが、今は雑草に覆い尽くされ、ルートの確認は取れない。
続く第四香東川橋梁(写真AE)も川を縦断する橋梁で、若干低めの橋脚が右岸道路に平行する。川の先は再び農地内を突き進むが、その入り口にあるコンクリート橋(写真AF)は、当時のままと思われる。

AE AF
19年4月 19年4月

AG 岩部(写真AG)は二軒の民家に変り、鉄道の面影は消えている。西側に駅舎があったこと、今でも駅と呼ばれていること、道を挟んだ北側の住宅が線路跡に建てられたこと、等を現地で教えてもらった。
停車場の別名を持つ民家は各地でお目にかかるが、駅で通用するのはここが初めてとなる。それだけのことが、なぜか妙にうれしい。
19年4月
駅の南で塩江中学校の体育館内を通り抜けると、緩やかな左曲線を描き始める。以前は築堤(写真AH)が残されていた区間だが、19年時点ではきれいに整地され農地として再利用されている。 AH
95年1月
AI しかしこの先は放置状態に変わり、特に岩部トンネル(写真AI)は道路転用されるでもなく、また入口が封鎖されるでもなく、その存在を持て余しているようにも感じる。
なお内部は直線で出口側が見通せ、漏水も少なく状態は比較的良さそうだ。
95年1月
トンネルの先はやはり放置された路盤(写真AJ)が続き、そのまま一気に香東川を越える。橋は第五香東川橋梁と呼ばれ、その大きさを誇示するかの如く、独自の円筒形橋脚(写真AK)が今も一基だけ右岸にそびえて立つ。
左岸に移った路線は、公園を抜けたのち一車線道路に転用され、その途中で内場川(写真AL)を渡る。橋は鉄道用の再利用だが、橋脚は非円形のよく見慣れた一般的な形状を持つ。
AJ
19年4月

AK AL
19年4月 19年4月

AM
95年1月
川を渡ると終点塩江(写真AM)に到着する。高松の奥座敷と呼ばれる塩江温泉の玄関口を担っていたが、駅跡は既に駐車場等に変わり、鉄道の面影を感じ取ることは難しくなっている。

参考資料

  1. 鉄道ファン通巻299号/塩江温泉へのガソリン道を辿って/橋本正夫 著
  2. 香川町の民俗7/香川町文化財保存会

参考地形図

1/50000   志度 [S7鉄補]
1/25000   高松南部 [*S7鉄補]   川東 [該当無]

 No23に記帳いただきました。
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2024-4/2最終更新  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*  
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