高松琴平電気鉄道高松市内区間を訪ねて
塩江線 廃止鉄道ノート四国 減速進行

 地区:香川県高松市  廃止区間:築港前~公園前~瓦町・他/4.4km程  軌間:1435mm/一部単線  動力:電気

宇高航路の開設以来、四国の玄関口となった高松では三社の私鉄が各々三方に路線を延ばした。各社とも瓦町を中心としたが、のちに志度線となる東讃電気軌道は市街地を一周して高松港を目指した。しかし戦争の空襲により市内の路線は破壊され、代わって最短距離で結ぶ琴平線が延伸され今日に至っている。

路線図

略史


-市内線・志度線-

明治 44(1911) - 11/ 18  東讃電気軌道 開業
大正 4(1915) - 4/ 22      公園前~出晴 延伸
5(1916) - 12/ 25  四国水力電気に合併  
6(1917) - 7/ 14    〃  築港前~公園前  延伸
昭和 17(1942) - 4/ 30  讃岐電鉄として独立
18(1943) - 11/ 1  高松琴平電気鉄道に合同
20(1945) -       市内区間 休止
32(1957) - 8/ 15        〃 廃止

-長尾線-

明治 45(1912) - 4/ 30  高松電気軌道 開業
18(1943) - 11/ 1  高松琴平電気鉄道に合同
26(1951) - 12/ 26       花園~瓦町 線路移設

廃線跡現況

-市内線-

A
95年1月
予讃線三代目高松駅の正面付近に置かれていた築港前(写真A)。宇高連絡船との接続駅となっていたが、航路廃止に伴って臨海地区の再開発が進み、昔日の面影はどこを探しても見つからない。
B
19年4月
軌道を擁した道路も既に消滅し、二代目高松駅前広場の片隅に位置した駅前(写真B)は市街地内に埋没する。なお市内線は併用軌道で建設されたため、当時の遺構を発見することは不可能に近いと考えられる。
C
95年1月
駅の先は市道上(写真C)に乗入れ、南南東へと向きを変える。道路のポジションから駅前通りと呼びたくなるが、特に地元での通称名は無いようだ。
県道173号線との交差後は道幅が一車線に減少する。当時のメインストリートに相当し複線の路面電車が往来した道だが、その後の再開発によりビル街の路地へと変容してしまった。
D
19年4月
広場(写真D)はこの中に含まれ、線路位置すらまともに把めない状況だ。さらに駅の南方では道路も消滅し、市街地(写真E)の中に飲み込まれてしまう。
寺院が集中する法泉寺前(写真F)周辺。この一画も換地による区画整理が進み、当時の道路は既に同名寺院の敷地内に取り込まれる。その正門から南は、再び一車線の舗装路が始まる。先程の路地よりは広いが、複線の市内線を敷設するにはやや物足りず、道幅は若干縮められたようだ。

E
19年4月
F
25年3月

G
19年4月
道路はやがて五番丁(写真G)で突き当り、東側にクランクを描く。引き続き舗装路として南下するが今度は両側に歩道が付き、これが当時に道幅と言われればそれなりに納得のいく広さに変わる。同所には馬場跡の案内板があるものの、残念ながら電停跡の案内はない。
H
95年1月
道路は南行一方通行で、七番丁(写真H)を過ぎると歩道分が狭くなる。しかも同所から、なぜか両方向に通行できる対面交通に移行する。
大護寺前(写真I)で今度は西にクランクする。当時の市街図を見ると、八本松バス停の北側ビル付近に駅が置かれていたようにも読み取れる。若干西へとずれた道には県道173号線の番号が振られ、歩道付きの二車線道路に変わる。馬場前(写真J)はこの途中に設けられていた。

I
95年1月
J
19年4月

K
19年4月
県道が高徳線をくぐる手前、レールは道路上を外れて東に向きを変える。ここに位置した公園前(写真K)は、既に市街地に飲み込まれ跡形もない。当駅で市内線は終了し、単線ではあるが専用軌道となる志度線に接続する。ただ列車は直通運転され、路面電車タイプの車両がそのまま乗り入れた。当時は志度線側も、低床タイプのホームを用いていたようだ。

-志度線-

L
25年3月
専用軌道となった路線は駅跡同様市街地にかき消され、線路跡を直接たどることは難しくなる。ただ当時のルートは昭和20年代の空中写真や、同12年の高松市街全図でかなり正確に把握でき、中野町(写真L)は中野保育園の東、一方通行路に接するマンション付近と読み取れる。
M
25年3月
地形図によると藤塚(写真M)は金毘羅街道と呼ばれる市道西側、ディサービスが入居する六階建ビル付近となる。ただし前記市街全図をはじめ、市内地図の中には市道の東側に描くものが数点あり、これは駅が移設された可能性を示すものの、調査不足のため真偽は不明なままだ。
N
25年3月
駅の先は一旦北に戻る格好で大きく左にカーブを描き、やがて県道43号線と交差する。この南に置かれていたのが東田町(写真N)で、今は隣接する信号交差点南西角のビル群に置き換えられた。
O
95年1月
ここで若干東に向きを振り、そのまま初代瓦町(写真O)へと至る。当時はまだ琴平線、長尾線とは接続されておらず、三代目を擁する瓦町FLAG西端からバス乗り場に掛けてが駅跡となる。なお第二次世界大戦の空襲で市内区間が休止されて以降は東隣の琴電高松駅に乗入れたが、現在はさらに東に移行し、琴平線とは構内通路を介して結ばれることになった。

-長尾線-

P
25年3月
現在の瓦町駅志度口南東に駅を構え、ここを起点の出晴(写真P)とした長尾線。当時の志度線出晴駅に近接したが、両線は軌間が異なるため運行は別々に行われた。やがて高松琴平電気鉄道への合同を契機に他線と同じ標準軌に改軌され、市内線へ乗入れると同時に琴平線ともレールがつながった。しかし戦時中ゆえ空襲の被害を受け、ひと月を経ずして乗入は中止されている。
Q
19年4月
戦後しばらくして琴平線が築港まで延伸されると、琴電高松への入線方向を南方からに変更し、北から廻り込む旧来線が廃止された。 なお同駅はその後二代目瓦町へと駅名変更されている。
起点付近に痕跡は認められないものの、南東にやや飛ぶと道路転用された線路跡(写真Q)が現れる。
R
19年4月
当初は複線分の用地を確保していたとされるも、道幅は単線分のみだ。
道路上をまっすぐ進むと目の前に現長尾線が現れ、さらに直線が続く。ここが市内線経由で高松駅、高松港に接続した旧線と、琴平線を経由する新線の分岐点(写真R)となる。

瓦町周辺変遷図






参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻319号/高松琴平電気鉄道・高松市内線/三好充恭著・・・失われた鉄道・軌道を訪ねて

参考地形図

1/50000   高松   高松南部
1/25000   高松北部 [S3測図]   高松南部 [S7鉄補]

お断り    ↑ページtop
制作公開日2025-3/24  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
転載禁止 Copyright (C) 2024 pyoco3 All Rights Reserved.