筑波鉄道を訪ねて
鹿島鉄道 鬼怒川線 廃止鉄道ノート関東 減速進行

 地区:茨城県土浦市  区間:土浦〜岩瀬40.1km  軌間:1067mm単線  動力:蒸気→内燃

筑波山への観光客輸送を主眼として開業した鉄道。シーズンには国鉄からの乗り入れ列車もあり活況を呈したが、自動車の普及に押されて昭和の終盤に幕を閉じた。大半が農村地帯を走るため、地域輸送としての需要は低く、現在も筑波〜岩瀬間には路線バスの設定がない。

路線図

略史



大正 7(1918) - 4/ 17  筑波鉄道  開業
昭和 20(1945) - 3/ 30  常総鉄道と合併、常総筑波鉄道に改称
40(1965) - 6/ 1  関東鉄道に改称
54(1979) - 4/ 1  筑波鉄道として独立
62(1987) - 4/ 1     廃止

廃線跡現況

土浦駅跡 A 常磐線の土浦(A参照)が起点となっていた、筑波鉄道。レールの剥がされた路盤は、舗装された上で駐車場に利用されている。
駅を出るとすぐ二車線道路を越えるが、JR線と並んだデッキガーダー上には、今も錆付いたレール(B参照)が残されている。

北に向かう路線は、ここから「つくばりんりんロード」と名付けられた自転車道(C参照)に転換される。
17年9月

B C
17年9月 17年9月

しばらく常磐線と並走した後、県道263号線をくぐると左カーブで北西に向きを変える。カーブ終了地点の新川は橋梁が撤去されているため、一旦一般道へ迂回する。

自転車道に戻った後、左手に広がる空き地が機関区跡で、開業時には真鍋が設けられていた場所でもある。さらに旧国道6号線を越えると、真鍋から移設された新土浦(D参照)に着く。ここは今もホームが残されている。
D
17年9月
E 駅の先は郊外のサイクリングロードといった趣で続き、道路脇には各駅のホ−ム跡が当時の姿を見せている。

虫掛(E参照)には、サイクリスト用の休憩所と駐車場が設けられているが、続く坂田に確認できる遺構は残されていない。
17年9月

F 常陸藤沢(F参照) G
17年9月 田土部(G参照) 17年9月

更に自転車道を道なりに進むと、小田城址歴史広場(H参照)に突き当たり、迂回を強いられる。筑波鉄道はこの城址の中を突く抜けていたことになるが、広場内に鉄道の痕跡は何一つ残されていない。

なお最近の自転車ブームを反映してか、「つくばりんりんロード」の休日利用者数はかなり多く、その主役はロードバイクと呼ばれる自転車だ。
H
17年9月

I 常陸小田(I参照) J
17年9月 常陸北条(J参照) 17年9月

K 農地の中を走ってきた自転車道は、北に進むにつれ木立が目立ち始め、より快適な道に変わってくる。全線に桜を植樹する運動も実施されているようだ。

大貫にホーム跡はないが、跡地に小さな休憩所が設けられている。その先は鉄道らしい築堤で高度を上げ、筑波山玄関口に位置する筑波(K参照)に到着する。大きな構内は休憩所や駐車場に利用され、駅前にはバスターミナルが隣接する。
17年9月
駅を出て緩やかな上り坂で続く自転車道に、左手から県道14号線が近づき、やがて合流する。ここからは専用道ではなく、県道の歩道としてつながっていく。しかし、名称が「つくばりんりんロード」からいつの間にか「グリーンロード筑波」に変わっているのはなんとも不思議。

県道沿いに設けられていたのが上大島(L参照)で、道路脇の民家に囲まれるように、ホーム跡の一部が顔をのぞかせている。
L
17年9月
M 道路沿いには酒寄も続き、ここはホーム跡らしき土の盛上りが認められるだけとなっている。

駅を過ぎると今度は県道から左に分離し、再び自転車専用道に転換される。名称はなぜか「つくばりんりんロード」に戻っている。
最初の大きな右カーブが終了すると、人工的なアップダウン(M参照)が連続する。単調な道に変化をつける目的と思われるが、あまり効果は感じられない。更に白線を左右に蛇行させたシケイン(N参照)も登場するが、その効果は不明と言わざるを得ない。
17年9月

N 柴尾(O参照) O
17年9月 17年9月

P 常陸桃山(P参照) Q
17年9月 真壁(Q参照) 17年9月

相対式ホームが残された樺穂(R参照)は駅前広場も大きく、一部が石材店に利用されている。これは、周辺から産出される石材の積み出しに利用されていた名残で、一時期は運搬用の人車軌道も接続していた。

なお東側を平行する県道沿いには、鉄道路線の描かれたハイキング案内看板が今も設置されたままだ。
R
17年9月
S 自転車道が上り一辺倒の勾配から抜け出すと、やがて東飯田(S参照)に着く。

ここに限らず各駅には木陰があるため、地元年配者の格好のコミュニケーション場として、広く利用されているようだ。ただ、どこにも鉄道や駅に関する案内表示がないのは、やや残念なところ。
17年9月
雨引(T参照)にも二面のホームが残り、今はベンチとトイレが備わった休憩所になっている。側線跡も認められ、石材出荷に備えた広い構内を有していたことが偲ばれる。

またホーム側面に、昇降用の階段が数箇所設けられているのは面白い。
T
17年9月
U 引き続き北に向かう路線は、県道41号線と交差したのち北関東道をくぐると、正面にJR水戸線が見えてくる。ここで自転車道は右に大きく曲がり始め、木立の中を抜けて終点岩瀬(U参照)に滑り込む。

JR駅の南側に隣接していた跡地は、トイレや休憩所、駐車場を備えた「つくばりんりんロード」の出発点に利用され、東奥には空き地も広がる。
なお当時、JR駅とは跨線橋でつながっていた。
17年9月

参考資料


参考地形図

1/50000   真壁 [S26応修]   真岡 [S14鉄補]   土浦 [S4修正]
1/25000   岩瀬 [S48修正]   真壁 [S52修正]   常陸藤沢 [S52改測]   土浦 [S52改測]   筑波
  上郷 [S50修正]

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制作公開日2017-11/25 
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