地区:茨城県土浦市 区間:土浦〜岩瀬/40.1km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
路線図 |
略史 |
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A | 常磐線の土浦(A参照)が起点となっていた、筑波鉄道。レールの剥がされた路盤は、舗装された上で駐車場に利用されている。 駅を出るとすぐ二車線道路を越えるが、JR線と並んだデッキガーダー上には、今も錆付いたレール(B参照)が残されている。 北に向かう路線は、ここから「つくばりんりんロード」と名付けられた自転車道(C参照)に転換される。 |
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17年9月 |
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B | C | ![]() |
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17年9月 | 17年9月 |
しばらく常磐線と並走した後、県道263号線をくぐると左カーブで北西に向きを変える。カーブ終了地点の新川は橋梁が撤去されているため、一旦一般道へ迂回する。 自転車道に戻った後、左手に広がる空き地が機関区跡で、開業時には真鍋が設けられていた場所でもある。さらに旧国道6号線を越えると、真鍋から移設された新土浦(D参照)に着く。ここは今もホームが残されている。 |
D | ![]() |
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17年9月 |
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E | 駅の先は郊外のサイクリングロードといった趣で続き、道路脇には各駅のホ−ム跡が当時の姿を見せている。 虫掛(E参照)には、サイクリスト用の休憩所と駐車場が設けられているが、続く坂田に確認できる遺構は残されていない。 |
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17年9月 |
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F | 常陸藤沢(F参照)。 | G | ![]() |
17年9月 | 田土部(G参照)。 | 17年9月 |
更に自転車道を道なりに進むと、小田城址歴史広場(H参照)に突き当たり、迂回を強いられる。筑波鉄道はこの城址の中を突く抜けていたことになるが、広場内に鉄道の痕跡は何一つ残されていない。 なお最近の自転車ブームを反映してか、「つくばりんりんロード」の休日利用者数はかなり多く、その主役はロードバイクと呼ばれる自転車だ。 |
H | ![]() |
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17年9月 |
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I | 常陸小田(I参照)。 | J | ![]() |
17年9月 | 常陸北条(J参照)。 | 17年9月 |
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K | 農地の中を走ってきた自転車道は、北に進むにつれ木立が目立ち始め、より快適な道に変わってくる。全線に桜を植樹する運動も実施されているようだ。 大貫にホーム跡はないが、跡地に小さな休憩所が設けられている。その先は鉄道らしい築堤で高度を上げ、筑波山玄関口に位置する筑波(K参照)に到着する。大きな構内は休憩所や駐車場に利用され、駅前にはバスターミナルが隣接する。 |
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17年9月 |
駅を出て緩やかな上り坂で続く自転車道に、左手から県道14号線が近づき、やがて合流する。ここからは専用道ではなく、県道の歩道としてつながっていく。しかし、名称が「つくばりんりんロード」からいつの間にか「グリーンロード筑波」に変わっているのはなんとも不思議。 県道沿いに設けられていたのが上大島(L参照)で、道路脇の民家に囲まれるように、ホーム跡の一部が顔をのぞかせている。 |
L | ![]() |
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17年9月 |
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M | 道路沿いには酒寄も続き、ここはホーム跡らしき土の盛上りが認められるだけとなっている。 駅を過ぎると今度は県道から左に分離し、再び自転車専用道に転換される。名称はなぜか「つくばりんりんロード」に戻っている。 最初の大きな右カーブが終了すると、人工的なアップダウン(M参照)が連続する。単調な道に変化をつける目的と思われるが、あまり効果は感じられない。更に白線を左右に蛇行させたシケイン(N参照)も登場するが、その効果は不明と言わざるを得ない。 |
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17年9月 |
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N | 柴尾(O参照)。 | O | ![]() |
17年9月 | 17年9月 |
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P | 常陸桃山(P参照)。 | Q | ![]() |
17年9月 | 真壁(Q参照)。 | 17年9月 |
相対式ホームが残された樺穂(R参照)は駅前広場も大きく、一部が石材店に利用されている。これは、周辺から産出される石材の積み出しに利用されていた名残で、一時期は運搬用の人車軌道も接続していた。 なお東側を平行する県道沿いには、鉄道路線の描かれたハイキング案内看板が今も設置されたままだ。 |
R | ![]() |
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17年9月 |
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S | 自転車道が上り一辺倒の勾配から抜け出すと、やがて東飯田(S参照)に着く。 ここに限らず各駅には木陰があるため、地元年配者の格好のコミュニケーション場として、広く利用されているようだ。ただ、どこにも鉄道や駅に関する案内表示がないのは、やや残念なところ。 |
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17年9月 |
雨引(T参照)にも二面のホームが残り、今はベンチとトイレが備わった休憩所になっている。側線跡も認められ、石材出荷に備えた広い構内を有していたことが偲ばれる。 またホーム側面に、昇降用の階段が数箇所設けられているのは面白い。 |
T | ![]() |
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17年9月 |
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U | 引き続き北に向かう路線は、県道41号線と交差したのち北関東道をくぐると、正面にJR水戸線が見えてくる。ここで自転車道は右に大きく曲がり始め、木立の中を抜けて終点岩瀬(U参照)に滑り込む。 JR駅の南側に隣接していた跡地は、トイレや休憩所、駐車場を備えた「つくばりんりんロード」の出発点に利用され、東奥には空き地も広がる。 なお当時、JR駅とは跨線橋でつながっていた。 |
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17年9月 |
1/50000 | ![]() |
[S26応修] | ![]() |
[S14鉄補] | ![]() |
[S4修正] | |||
1/25000 | ![]() |
[S48修正] | ![]() |
[S52修正] | ![]() |
[S52改測] | ![]() |
[S52改測] | ![]() |
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[S50修正] |