小坂精練小坂線を訪ねて
花岡線/長木沢線 廃止鉄道ノート東北 減速進行

 地区:秋田県大館市  区間:小坂~大館/22.3km  軌間:762→1067mm/単線  動力:蒸気→蒸気・電気→内燃

馬車や索道に頼る鉱山品輸送の合理化を目的に建設された貨物鉄道。早い時期から旅客営業を開始し、二ヶ所で森林鉄道が接続したため木材輸送も手掛けていた。既に廃止から十年以上経たが観光鉄道としての復活構想でもあるのか、レールは全線未撤去で踏切警報機までもが残存する。

略史

明治 41(1908) - 9/ 15  小坂鉱山専用鉄道  開業
42(1909) - 5/ 7  小坂鉄道として旅客営業開始
33(1958) - 2/ 1  同和鉱業に合併
64(1989) - 10/ 1  小坂精練として分社化
平成 21(2009) - 4/ 1   〃  小坂線 廃止

路線図



廃線跡現況

A
23年9月
奥羽本線との接続点となる大舘(写真A)。貨物主体のため大きな構内を抱えていたが、廃止後は四車線の市道が構内を分断し、東半分は「秋田犬の里」を含めた公園に置き換えられている。西側は開発予定が無いのか、レールを残して放置されたままだ。
B
23年9月
構内南縁に沿って延びる線路は当時の残痕ではなく、観光トロッコ用として新たに敷設されたものと思われる。その乗場(写真B)は県道21号線との踏切詰所に置かれ、保存を兼ねた有効活用がなされている。
C
23年9月
踏切のレールは撤去されるものの、ここから先は大半のレールが残されたままとなる。ただし踏切の東側のみは直下に排水溝が埋め込まれ、工事終了後に線路が復元された区間となる。
同所では花岡線跡も横に並ぶが、やがて北に離れると次の踏切跡(写真C)がすぐ現れる。今のところ踏切廃止の看板はなく、警報機も両脇に備えたままだ。
D
23年9月
続く生活道との交差跡(写真D)では前方鉄道廃止の看板が設置され、残された警報機も黒い布で覆われている。なぜ撤去しないのか、部外者には不思議なところでもある。
E
23年9月
この東方ではレール桁を利用した小橋梁(写真E)を見つける。橋桁不要にも思えるが、若干水路幅が広いのかもしれない。次の踏切(写真F)もやはり布に包まれた警報機が残されたままで、こちらは竿の外された遮断機もセットだ。さらに段差注意の看板だけとなるシンプルな踏切も確認できる。

小さな左カーブ途中のデッキガーダー橋(写真G)には1962年の銘板が付き、改軌時に換装されたことを示している。

F
23年9月
G
23年9月

H
23年9月
市街地を抜けた路線はふるさわ温泉の南端を走り、ここに2.5㎞の距離標や水路開渠二箇所(写真H・I)が残される。前後のPC枕木に比べ、橋台に載る木製枕木の劣化が相当進んでいるようだ。
この東方に、やはり警報機を黒くした踏切(写真J)が続く。

I
23年9月
J
23年9月

大館樹海ドームの前には小橋梁(写真K)と踏切(写真L)が連続する。ここからの線路跡はあじさいレールロードと名付けられた遊歩道となり、中を歩いてくださいとの小さな案内表示もある。とはいえ特に舗装されるでもなく、レールの露出した線路内を歩くだけで、若干足を取られるのは致し方ない。

K
23年9月
L
23年9月

M
23年9月
岱野(写真M)は駅舎とホーム跡が残されるものの線路側の擁壁はすでに無く、おそらく旅客営業廃止に合わせて撤去されたものと思われる。
沿線にあじさいの植樹が行われ、この散水用なのだろうかレール脇に水槽も置かれている。
N
23年9月
遊歩道最終地点の水路跡(写真N)に続き、大茂内川には三連のデッキガーダー橋(写真O)が現存する。当然と言えば当然だが、レールがそのまま残されるため、23年時点で橋桁の撤去は一箇所もない。
川を越えた直後の踏切(写真P)は注意喚起のためか路面が青く着色され、遮断機、警報機はともに姿を隠すような黒衣装で覆われる。しかし昼間でも一瞬戸惑う状況で、シルエットだけとなる夜間なら、いまだ鉄道が運行されていると勘違いされそうだ。

O
23年9月
P
23年9月

Q
23年9月
県道2号線沿いとなる東岱野(写真Q)は雑草に覆われたホームの残骸だけ残され、東側に駅名票を模す案内板が設置されている。
R
23年9月
駅東方の茂内沢に架かるのは珍しくコンクリート橋(写真R)で、花岡線にも採用された左右非対称の形状を持つ。県道と並ぶ直線路の途中には小さな水路跡(写真S)も姿を見せ、木製の枕木は前後区間を含め相当劣化が進んでいるようだ。
続く旧県道(写真T)との踏切には前方鉄道廃止の看板が掲示されるものの、警報機は変わらず線路脇に構えたままだ。

S
23年9月
T
23年9月

U
23年9月
踏切の東側にレールバイク用のターンテーブル(写真U)が設置されている。決して重量のある乗り物ではないが、以降のレール面にははっきりと走行痕が見て取れる。ただし季節限定の運用区間らしく、乗場もまだまだ先となる。
V
23年9月
ちょうど大館盆地の東端に相当し、路線はここからは山岳地ルートに挑み始める。といっても大舘出発以来の上り勾配は継続中で、むしろ沿線景観の変化が大きく、その手始めが長木川の二連ガーダー橋(写真V)となる。
W
23年9月
その後は県道と付かず離れずで進み、蛇行する長木川(写真W)を再度越える。紅葉シーズンには上記レールバイク「ダブル鉄橋コース」の一翼を担うことになる。
X
23年9月
橋の東で雪沢山荘への踏切を過ぎたのち、旧道側の右カーブ終了地点に大舘・小坂レールバイクの乗場(写真X)が現れ、ここから先が通常運用の区間となる。ただし同所は鉄道駅との関連は全くない。
Y
23年9月
軽便時代は小雪沢(写真Y)から先が電化され、同駅で蒸気機関車から電気機関車への付替えが実施された。列車運行にとって、条件がより厳しくなることを示している。
改軌工事に影響しなかったことが幸いしたのか、当時のホームが現存し、近年は駅名票や説明書も備えられている。
Z
23年9月
三度目となる長木川は三連ガーダー橋(写真Z)で渡り、通常期はこちらが集客の目玉となる。
AA
23年9月
温泉の玄関口でもある雪沢温泉(写真AA)はホームの残骸が残るものの、駅跡表示等は今のところ何もない。
しばらく並走した県道とはここで一旦離れ、レールバイクも駅のやや東方で終点を迎える。
AB
23年9月
その後、長木川に急接近する小坂線だが、アトラクションへの活用が途切れた途端に路盤は荒れ始め、足を踏み入れることが難しくなる。
次の新沢(写真AB)もアクセス路だけは何とか確保されるが、駅舎はつぶれかけ、ホーム跡、レール等は雑草で覆いつくされてしまった。また保線小屋があった関係からか、構内にはPC枕木が積み重ねられている。
AC
23年9月
駅を出ると左カーブを描いたのち、まず県道を横切る。踏切は青く着色され黒衣装の警報機も健在だ。続く長木川は二連のデッキガーダー橋(写真AC)で越える。橋の先も路盤上の藪地化は続き、目印として続いていた電柱も隠されるため、ルートの把握はかなり難しくなる。
AD
23年9月
途中の踏切跡(写真AD)が唯一その位置を教えてくれる。しかし道路は廃道化し踏切板も朽ち果てたままで、すぐにも雑木林で隠されかねない。
しばらくして県道に合流し、併走箇所ではそれなりに路盤を認識することが可能となり、一部にレールの露出(写真AE)も認められる。
深沢(写真AF)は跡形もない。産直センター前の道路脇に雑木の無い草地が広がり、ここを駅跡と推測するのみだ。

AE
23年9月
AF
23年9月

AG
23年9月
長木沢線との分岐駅でもある茂内(写真AG)。軽便時代を含めたホームと駅舎、腕木式信号や付帯する操作ケーブル等が残され、構内の大きさから主要駅だったことが偲ばれる。一時はレールバイクの拠点ともなったが、現在その様子はうかがえない。線路保守の困難さがネックとの話を現地で聞いた。
その言葉通り駅北側の踏切(写真AH)から先は藪地化が進み、大川目沢川(写真AI)までは何とかたどり着けるといった状況だ。

AH
23年9月
AI
23年9月

AJ
23年9月
川の対岸も同様に雑木が茂り、県道脇に並ぶものの路盤の視認は難しく、時折姿を見せる電柱や林道との踏切跡からその位置を知ることになる。途中には草刈りされ距離標等を確認できる箇所もあれば、レールと枕木が宙に浮いた箇所(写真AJ)もある。築堤が崩落したようにも見える。
AK
23年9月
一旦県道と別れたのち、久々に舗装路と交差する。踏切警報機は撤去されたものの、鉄道廃止の看板が掲示されている。この北側に位置した篭谷(写真AK)は既に雑木林と化し、レールの有無を含めて痕跡を確認する術はない。
AL
23年9月
北へと延びる雑木林の中に、ワンスパンの橋梁(写真AL・AM)が二箇所隠される。線路上を直接たどることは難しいが、迂回しつつ橋梁までは何とかたどり着くことができる。しかし線路跡はここから森林内へと入り込み、再び視界から消える。経路の確認は踏切(写真AN)を頼るしかなく、山岳地ということもあって大きく間隔があいてしまう。

AM
23年9月
AN
23年9月

AO
23年9月
県道に接近する区間で見つけた二箇所目となる宙吊りの線路(写真AO)は、やはり築堤の崩落が原因と思われる。不思議なのは足場用にも見える材料で下支えされたこと。レールバイク運用に向けた補修なのかもしれないが、真偽は不明だ。
その続きと思われる築堤(写真AP)が北側に現れ、前後が完全な藪地となる中、ほんの少しだけレール(写真AQ)が頭をのぞかせている。

AP
23年9月
AQ
23年9月

AR
23年9月
ここで県道と別れた小坂線は再度森林の中に姿を消す。線路跡を直接たどることは難しく、途中の2号トンネルもアクセスルートが見つからず、現状の確認をあきらめた。
1号トンネル(写真AR)は最寄りの踏切から入り、背丈以上の雑草をかき分けつつ何とかたどり着くことができる。
AS
23年9月
トンネルを過ぎると小坂の市街地に近づき、大きな右カーブで向きを反転させる。同時に線路上を覆っていた雑木類が消えはじめ、現地でのルート把握が容易になる。
途中の踏切(写真AS)は前後の道路幅に比して交差部だけが狭く、自動車は通れそうもない。なぜ拡幅しないのか不思議なところ。
AT
23年9月
続く国道282号線との交差(写真AT)はアスファルトにより舗装され、レール露出のない踏切は大舘の県道21号線以来となる。但しここは舗装の下に当時のレールが隠され、道路脇には相変わらず警報機が突っ立ったままだ。
AU
23年9月
この東方にデッキガーダー橋(写真AU)が姿を見せ、軽便時代の遺構と思われる煉瓦造りの橋台が横に並ぶ。南へと向きを変えたのちは、青く着色された踏切(写真AV)が戻ってくる。
南側に隣接する小橋梁(写真AW)は雑草に隠され、時期によって発見が難しくなる可能性もある。

AV
23年9月
AW
23年9月

AX
23年9月
古舘(写真AX)は当時のホームが撤去され、観光施設と思われる新たな駅がつくられている。といっても車両が走行した気配はなく、現在どのような活用がされているのかは不明だ。
AY
23年9月
駅の先には小橋梁(写真AY・AZ)が二箇所連続する。
次の永楽町(写真BA)は、やはり小坂鉄道廃止後に新設された観光客向けの駅だ。

AZ
23年9月
BA
23年9月

BB
23年9月
さらに進むと、観光名所であり重要文化財にも指定された芝居小屋、康楽館が左手に近づく。これと中央公園を結ぶ歩行者通路の踏切(写真BB)には今も遮断機が残され、この先に次の踏切、腕木式信号、小橋梁(写真BC)、観光用の花園町(写真BD)が順に続く。

BC
23年9月
BD
23年9月

BE
23年9月
最後に県道2号線を横切って終点小坂(写真BE)に到着する。鉱産物輸送の拠点として大きな構内を抱えた駅跡は今もそっくり残され、小坂レールパークとして保存されている。レールバイクやトロッコの運行もあるが、23年時点では構内に限定され、沿線に用意された各駅まで足を延ばすことはないようだ。
なお路線内の1号、2号トンネルの順番からも判るように、本来の起点は当駅側とされていた。

-構内線-

BF
23年9月
小坂からは折り返して精錬所に向かう貨物線が延びていた。駅を出るとすぐに小坂川(写真BF)を渡り、ここに三連のスルーガーダー橋が残される。面白いのは橋桁の幅が異なる点で、小坂側は明らかに単線用だが中央と精錬所側は複線用とも取れる幅を持つ。隣には別の橋脚跡(写真BG)も残されるため、何らかの変遷があったことは間違いなさそうだ。

BG
23年9月
川の対岸は一部が通路(写真BH)に変わるようだが、柵で区切られ立入は禁止されている。
BH
23年9月

永楽町通(写真BI)は本線と異なる立体交差が採用され、道路上の構築物は早めの撤去が通例だが、ここの鉄橋はいまだ健在だ。その先は精錬所内(写真BJ)に入るため、線路跡の確認は不可能となってしまう。

BI
23年9月
BJ
23年9月

-保存車両-

横並び左
BK
23年9月
軽便時代を含めた各種車両が小坂レールパークに展示保存されている。

参考資料

  1. 鉄道ピクトリアル通巻160号/小坂鉄道/金沢二郎 著・・・私鉄車両めぐり

参考地形図

1/50000   大館 [S28応修]
1/25000   大館 [S62修正]   小坂

 95年当時の各所

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制作公開日2023-11/13  *路線図は国土地理院地図に追記して作成* 
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