地区:静岡県浜北市 区間:貴布祢~宮口/4.2km 軌間:762mm/単線 動力:蒸気→内燃
地元の期待を背負って大正後期に西遠軌道として開業、のちに西遠鉄道と改称した。ただ当初から経営状態は悪く、途中で遠州鉄道に経営を委託するも収支は改善せず、十数年の短命で廃止されてしまった。線路跡はほぼ全線が二車線道路に転用され、地元で軽便道と呼ばれている。
路線図
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略史
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大正 |
13(1924)- |
7/ |
1 |
西遠軌道 |
開業 |
昭和 |
3(1928)- |
1/ |
1 |
西遠鉄道に改称 |
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9/ |
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遠州鉄道に経営を委託 |
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12(1937)- |
10/ |
6 |
西遠鉄道 |
廃止 |
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廃線跡現況
遠州鉄道浜北駅前に当線の起点貴布祢(写真A)が置かれていた。長く空地として残され一部が駐車場に利用されていたが、現在は再開発により整備された駅前広場の一画に組み込まれている。94年写真の右端に写る砂利道は、西遠鉄道と併走していた日清紡の専用線跡と思われ、駅の南側で遠州鉄道に接続していた。
駅を出た路線は一車線の生活道(写真B)に転換され、軽便道の愛称で親しまれている。ただ日清紡線との併走区間としては幅員が狭く、どちらかが沿線の住宅に取り込まれた可能性も考えられる。
道路は右カーブで北に向きを変え、二車線に広がる。しかし昭和5年の地形図では、鉄道はその手前から道路を西にはずれ(写真C)、日清紡の工場跡に建設されたショッピングセンター内を北上するルートが描かれている。
工場は鉄道開業後に誘致され、一部区間で敷地の重なる西遠鉄道が同時期に路線を東側に移設したと思われる。しかし、大正末期に完成した工場が昭和5年の地形図にも記載されず、幸か不幸か当該図から開業時の路線を読み取ることができる。移転で無用となった旧線路敷の一部が、工場専用線に転用されたとも考えられる。
初代西山(写真D)は、ショッピングセンター北東の駐車場入り口付近に設けられていたが当然痕跡はなく、地形図による大雑把な位置の把握にとどまる。
駅の先はやや向きを東に振り、やはり正確な位置の特定が難しい初代小林(写真E)に至り、その後新線と合流する。
ショッピングセンターの南方で分岐した新線側は、二車線の市道に転用され、以前は道路脇に軽便鉄道跡の標柱も見受けられた。だだし新線のルートを描いた地図はなく、途中の二代目西山(写真F)も初代駅をそのまま横スライドさせたあたりかと推測するより術がない。
同じく地元で情報を得ることができず、駅位置を確定できない二代目小林(写真G)を過ぎ、西側から接近してきた旧線を吸収する。
軽便みちと呼ばれる市道を北上し、やがて近づく新原下善東交差点の手前に置かれていたのが下新原(写真H)。94年写真右上のたばこ店が当時の駅前商店の名残とも考えられるが、旧版地図では若干南付近に駅が描かれている。ちなみにたばこ店は既に廃業したもようだ。
続く中新原(写真I)は馬込川を越えたのち、国道152号線との交差点南方に設けられていた。ここも駅前商店らしき酒店は既に閉鎖されている。
国道を越え、左カーブを過ぎると上新原(写真J)に着く。有隣川を越える前後と思われるが、特に目印もなく、地形図から大雑把な位置を把握するにとどめた。
いったん北西に向いた路線は、続く右カーブで北に向きを戻す。そのカーブ終了地点に設けられていたのが段ノ下(写真K)で、小さいながらも「宮口まちおこしの会」による駅跡の表示板が設けられている。
さらに北に進むと道路は市道から県道296号線に変り、そのまま終点の宮口(写真L)に到着する。県道沿いに駅跡の標柱と案内板が立ち、その交差点から西に向う道路が当時のアクセス路となっていた。
短距離といえども蒸気動力の終着駅としてそれなりの敷地が必要で、構内は宮口郵便局付近まで広がっていたようだ。
参考地形図
1/50000 |
磐田 |
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1/25000 |
笠井 |
[S5鉄補] |
制作公開日2021-7/6 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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