地区:静岡県富士宮市 区間:大宮町~上井出~太平土場・他/18.8+αkm 軌間:610mm/単線 動力:人力・馬力
富士山の裾野、駿河湾沿いでは古くから製紙業が発展し、原材料運搬に馬車鉄道が活用された。富士軌道は国有林等からの木材運び出しを担い、富士宮で富士馬車軌道に引き渡していた。途中の上井出までは旅客営業も実施し、それ以北は貨物専用となっていたようだが、その実態には不明点が多く、国有林内の路線は許可を得ない闇営業であったとの調査結果も発表されている。
路線図
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略史
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明治 |
42(1909) - |
11/ |
25 |
富士軌道 |
開業 |
大正 |
15(1926) - |
7/ |
31 |
富士身延鉄道より富士宮市街区間を譲受 |
昭和 |
14(1939) - |
3/ |
14 |
富士軌道 |
廃止 |
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廃線跡現況
晩年の始発駅となっていた停車場(写真A)。ここは富士馬車鉄道が開業した区間となるが、同社の廃止時に譲り受け、身延線との接続駅とした。
西に向かって走り出した車両はすぐ右に折れ、駅前通りでもある県道53号線(写真B)上を進む。当時は西端に沿ってレールが敷かれていたようだが、大きく拡幅された現状からは、その位置を探し出すことは難しい。
中央町交差点で右に折れると、開業時の起点本社(写真C)に至る。文字通り本社屋に併設された駅で、現在は農業資材の店舗等に利用されている。
開業当初は富士馬車鉄道との接続駅でもあり、貨物の受け渡し業務が大きな比重を占めていたと考えられる。なお初期の駅名は大宮と称していた。
ここで向きを再び北に戻すと、線路跡を転用した舗装路(写真D)がはじまる。書類上は新設した道路上の併用軌道となっているが、地形図等では実態に即したと思われる専用軌道として描かれている。
車のすれ違いも難しいような細道の途中には、教育委員会の手による馬車道の標柱(写真E)が立てられ、簡単な説明文も添えられている。また地元では「軌道みち」の別称も数度耳にした。
次の浅間(写真F)は現地で場所の確認が取れず、旧版地形図から県道180号線の西脇と判断した。
ゆるやかな上り坂を道なりに進むと、やがて右に大きく曲がり、民家に突き当たって道路は終了してしまう(写真G)。ここからの住宅地は、軌道用地に沿った地割が今も残されている。
その一画を抜けると再び転用道路(写真H)が始まり、道幅は先程より若干広めのようだ。道路途上の三軒家(写真I)は付近での聞き取りができず、やはり地形図から大雑把な位置を把握するにとどめた。
線路跡は駅の先で一旦住宅地に入り込むため、直接たどることは難しくなる。やむなく迂回し北に回り込むと再び道路として姿を現し、そのまま国道139号線を横切る。と同時に北に向きを変え道路東奥(写真J)を併走するが、すでに店舗等が建ち並びルートの特定は難しい。
その後しばらくして国道に近づき、やがて吸収(写真K)される。通常なら転用道路とみなされるところだが、ここは幹線道路の計画用地に線路跡が偶然入ってしまった、と考えるのがよさそうだ。
なおこの区域は旧版地形図の精度に不安があるため、昭和30年前後の空中写真に頼る箇所が大半を占める。
万野(写真L)も国道下に埋没し、宮原東交差点の北西角に馬車軌道跡の標柱が立つのみで、大きく拡幅された現状からは駅跡はもちろんのこと、当時の線路位置すら特定ができない。
さらに道なりに北上すると国道から東に離れ、沿道の大型店舗内を抜けて住宅地に飛び込んでしまう。
途中、ルートに沿ったと思われる排水溝(写真M)や、土地境界線(写真N)を見つけることができる。ただし、線のどちら側が軌道跡に相当するかまでの情報は集めることができなかった。
山宮(写真O)の手前から道路転用が再開され、駅跡も道路上と思われるが、その場所は相変わらず地形図からの大雑把な把握にとどまる。
駅の先、S字カーブで風祭川を越えると道路から離れ、痕跡の消えた農地内に入るため跡地の特定が再び難しくなる。本来道しるべとなるべき地形図も2.5万と5万縮尺でルートが大きく異なり、かえって足かせとなってしまう。
一部で水路(写真P)に利用されたと思われる箇所もあるが、確証は掴めない。
樺沢(写真Q)も空き地なのか倉庫なのか、話を聞く相手も見つからず、正確な場所を探し出せずにいる。
さらに当時のルートをまともに把握できないまま国道139号線の北山ICに達すると、交差する側の国道469号線から軌道跡を転用した生活道(写真R)がはじまる。同所に本門寺が置かれ、東側の民家が以前は停留所と呼ばれていたとの話を現地で聞いた。
ただこの道路転用も短区間で終了し、すぐに空地(写真S)や農地へと変わり、跡地を直接たどることはほぼ不可能となる。
さらに峰(写真T)、堀久保(写真U)と続くが、やはり誤差の大きな1/5万地形図から、おおよその位置を読み取るしか術がない。
線路跡の特定がほぼ不可能な中、次の大久保、二軒屋は地形図に記載すらなく、付近の聞き込みも全て不発に終わってしまった。
続く中井出(写真V)は、広がる藪地に残された若干雑木の少ない草地付近と推測する。
駅を出てしばらく林の中を抜けた後、はっきり区切られた線路跡(写真W)が久々に顔を出す。距離は短いが1/2.5万地形図に描かれたルートとほぼ一致し、地元での教示も得ることができた。
その先、農地や民家内を通って県道75号線に近づく途中、水のない小川に石積橋台(写真X)を見つける。断定はできないが、その位置・形状から軌道の橋梁跡である可能性が高い。
川を渡ると大きな空き地が広がり、一部は駐車場として利用されている。ここが上井出(写真Y)の駅構内と思われる。旅客営業の最終地点で、以北は貨物専用線となる。ただし観光名所「白糸の滝」よりかなり手前に設けられたのは何とも不思議なところ。
また県道沿いでは「きどう食堂」が近年まで営業され、駅跡の目印となっていたが、今は二階建の建物を残したまま廃業してしまった。
その後も勾配を緩和するため右へ左へと大きく蛇行しながら進み、駅の北で潤井川を渡る。橋梁の痕跡は全くないものの、対岸の上井出歴史広場奥に、築堤とそれに続く跨道橋の橋台(写真Z)が残されている。当線での最大の遺構といってもよさそうだ。
この先は再び民家や農地内に取り込まれ、線路跡を直接だどることが不可能となる。
ルート上に小橋梁の橋台らしき石積(写真AA)を見つけるも、全容を確認できず軌道との関連は不明なままだ。
上井出の集落を過ぎると藪地と牧草地が交互に現れ、探索はさらに困難となる。唯一見つけたのがバスの廃車体が置かれた場所(写真AB)で、今は雑木に囲まれるが、以前は自動車が走行できたことを物語り、路盤跡と捉えることもできる。
書類上の終点とされる人穴もまったく手掛かりはなく、以降の国有林に至ってはゲートで封鎖され、関係者以外の立ち入りは禁止されている。
参考資料
- 「郷土の交通-富士軌道」展/富士宮市
- 月の輪6・7号/富士宮市郷土史同好会
- Atomi観光コミュニティ学部紀要/真正鉄道と虚偽鉄道との混然一体性/小川功 著
参考地形図
1/50000 |
富士宮 |
[T14鉄補] |
富士山 |
[S3二修] |
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1/25000 |
上井出 |
[S3測図] |
富士宮 |
[S3要修] |
人穴 |
[S3測図] |
富士山 |
[S3測図] |
制作公開日2022-10/11 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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