地区:愛媛県松山市 区間:伊予立花~森松 軌間:762→1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
全国の私鉄の中でも古い歴史を持つ伊予鉄道。松山を軸として各方面に路線を延ばすが、旧久米郡への路線は農村地帯のため当初より採算が危ぶまれていた。特に距離の短い森松線は電化からも取り残され、モータリゼーションの始まった昭和中期にその使命を終えた。
路線図
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略史
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明治 |
29(1896) - |
1/ |
26 |
伊予鉄道 森松線 |
開業 |
大正 |
5(1916) - |
12/ |
32 |
伊予鉄道電気に改称 |
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昭和 |
17(1942) - |
4/ |
1 |
伊予鉄道に改称 |
(譲渡) |
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40(1965) - |
12/ |
1 |
〃 森松線 |
廃止 |
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廃線跡現況
横河原線いよ立花(写真A)から分岐していた森松線。駅の東で右カーブを描き向きを南に変える。最初は駐車場(写真B)に利用され、次いで細長い跡地をそのまま利用した公園(写真C)が現れる。ただこれもすぐ、銀行や商店の建ち並ぶ市街地に突当って終了してしまう。
一画を抜けると右から二車線(写真D)の市道が接近し、そのまま吸収される。元々道路脇を併走していた路線のため、廃止後は道路拡幅に利用されたようだ。市道は天山交差点から国道33号線へと変わり、道幅も四車線に広がる。同時に、東端だった線路位置はほぼ中央分離帯あたりに移行する。
途中、小野川に架かる天山橋前後は森松線跡を拡幅、転用して新設された区間となる。その南方から続く直線区間に置かれていたのが石井(写真E)だが、既にその痕跡は探しようもない。
やがて国道はバイパス側に進むため、緩やかな右カーブを描く。鉄道側はそのまま直進し、今は県道193号線となった旧国道と併走する。ここからは東側の歩道(写真F)が線路跡に相当する。
ただその距離は短く、沿道のコンビニで歩道部分は終了し、そのまま市街地(写真G)の中に飛び込んでしまう。
数軒の民家を経た先が終点の森松(写真H)となる。開業時の蒸気動力用に大きな構内を有していたため、今はその広さを生かし、同社のバスターミナルに転用される。真横の旧道側にポツンと設けられた、JR四国のバス停とは好対照をなしている。
参考資料
- 鉄道ファン通巻195号/伊予鉄道森松線の廃線跡を訪ねて/桑田一男 著
- 鉄道ピクトリアル通巻185号/伊予鉄道/和久田康雄・石本祐吉 著/・・・私鉄鉄車両めぐり
参考地形図
1/50000 |
松山南部 |
[S34資修] |
1/25000 |
松山南部 |
[S30資修] |
制作公開日2024-11/27 *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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