長野電鉄木島線を訪ねて
屋代線 廃止鉄道ノート北陸・甲信越 減速進行

 地区:長野県中野市  区間:信州中野~木島/12.9km  軌間:1067mm/単線  動力:蒸気→電気

千曲川の東岸に線路を伸ばした河東鉄道。南端の屋代は信越本線と接続していたが、北側の木島は町と呼べる程の集落はなく、終着駅としての中途半端感は否めない。野沢温泉への玄関口として国鉄からの直通列車が乗り入れる等、華やかな時代もあったが、やがて人口希薄地帯のローカル線へと変転し、平成半ば静かにその役割を終えた。

路線図

略史



大正 14(1925) - 7/ 12  河東鉄道 信州中野~木島 延伸
15(1926) - 9/ 30  長野電鉄に改称
平成 14(2002) - 4/ 1    信州中野~木島  廃止

廃線跡現況

A
22年5月
長野線との分岐駅となる中野(写真A)。駅構内に大きな変化はないが、途切れてしまった木島線のレールは既に錆付いてしまった。
こからほぼ真北に向かう廃線跡(写真B)は、利用計画が無いのかレールが撤去されただけの放置状態が続き、しばらく進むと用水路に取り残された橋台(写真C)を見つける。

B
22年5月
C
22年5月

D
22年5月
次の小さな水路には新しいコンクリート橋(写真D)が設置されるも、農作業用としては幅広で贅沢なつくりとなっている。もしかしたら自転車道化への準備なのかもしれない。
前後の路盤上は雑草の生い茂る箇所もあれば、砂利が撒かれ歩行可能となる箇所もある。ただ立入を防止する柵も所々で遭遇する。
E
22年5月
国道292号線をまたぐ跨道橋(写真E)は、左右の形状が異なる珍しいスルーガーダーが採用されている。経時劣化もあまり認められないことから、道路改修時に一度更新されたものと思われる。
F
22年5月
国道を越えるとやがて中野北(写真F)に至る。線路跡同様、駅跡も空き地のまま雑草だけが生い茂っている。
G
22年5月
駅の先も農地に囲まれた中を進み、一部は農道として使用される箇所もある。途中に四ヶ所ほど、新たに造り直した水路橋(写真G)を認めるが、車の通行はパイプ柵によって制限されるため、その用途は判然としない。これも自転車道への布石かもしれない。
H
22年5月
県道355号線に接していた四ヶ郷(写真H)は、平岡保育園の拡張に利用され当時の痕跡は全く残されていない。
I
22年5月
その後、路線が右カーブを描き始めると同時に、築堤により徐々に高度を上げる。立入禁止の札とロープが張られた路盤上は、バラストが露出し雑草もあまり目立たなくなる。この区間にコンクリートの跨道橋(写真I)が一箇所残されている。
J
22年5月
上り勾配の目的は夜間瀬川(写真J)の渡河で、河川内にはいまだ枕木や架線柱を抱えたデッキガーダー橋が原形をとどめている。川を渡り再び地上に降りると、今度は県道414号線に合流する(写真K)。ここからの県道は木島線の跡地を拡幅転用して建設され、歩道付きの二車線道路として供用されている。
赤岩(写真L)はその道路上を進み、右手の北部公民館を過ぎた地点に置かれていた。今は同名バス停が目印となる。

K
22年5月
L
22年5月

M
22年5月
駅北方で北陸新幹線をくぐったのち、しばらくして県道から左に分かれる。ここから続く築堤内には、小橋梁(写真M)のコンクリート橋台も含まれる。路盤上にビニールハウスが設置されることから、既に一部は私有地に変わっているようだ。さらに同様の橋台(写真N)が続き、その先には信号機の台座と思われる高さ2m程のコンクリート躯体(写真O)が残されている。

N
22年5月
O
22年5月

P
22年5月
路面は相変わらず雑草が生い茂り、背の低いところもあれば歩行が困難な高さのところもある。
次の柳沢(写真P)も同様、草地のまま放置されている。ただ藪地化はしていないため、定期的に人の手が入っていることは間違いなさそうだ。
Q
22年5月
すぐ北には水路用の橋台(写真Q)が姿を見せ、レールの残された踏切(写真R)が続く。次のゆるやかな右カーブ入口には車の轍も見受けられるが、奥に密生する雑草に阻まれて通り抜けは不可能となっている。
カーブ終了地点に、再び踏切痕(写真S)を見つけることができる。

R
22年5月
S
22年5月

T
22年5月
その後、千曲川に接近すると路盤上には雑木も目立ち、藪地化が進行しているようにも見える。県道414号線沿いは切通で抜け、千曲川から離れると同時に築堤へと変わる。
途中に設けられた小橋梁(写真T)は、川幅とは不似合いと思える程の立派な橋台が用いられている。
U
22年5月
田上(写真U)も空き地のまま、今のところ利用計画はなさそうだ。また駅西側の踏切には、当時の注意看板とレールでつくられた柵も残されている。
駅を出て北東へと向きを変えた直後、農業用水路の橋台跡(写真V)を見つける。ここからは再び農地の中を走り、遠方からもその路盤を視認することができる。
やがて正面に高社山の山裾が近づくと築堤で高度を上げはじめ、その中にコンクリート橋台(写真W)を確認できる。

V
22年5月
W
22年5月

X
22年5月
続いてやや径間が長めの橋台跡(写真X)を過ぎると、高社山トンネルを抜け出てきた北陸新幹線を再度くぐる。当線は新幹線開通前に廃止されたため、実際に交差した期間はないにもかかわらず、高架橋側には鉄道車両が通り抜けできる程度の開口部が設けられている。これは廃線跡の道路転換に含みを持たせていると捉えることもできる。
Y
22年5月
交差後の線路跡は実際に舗装路(写真Y)へと転用されるものの、農耕車以外通行止の小さな看板が立てられている。
Z
22年5月
道路はそのまま県道414号線に合流し、今度は県道の拡幅に利用される。しかしその距離は短く、すぐ右に分離してしまう。直後に待ち構えるのが飯網山トンネル(写真Z)で、内部に若干の漏水が認められる。
AA
22年5月
信濃安田(写真AA)はトンネル出口側に置かれ、ここも空き地のまま取り残されている。
駅の北には小さな水路向けの橋台(写真AB)とレールを擁した踏切(写真AC)、さらに架線柱の台座や踏切機器の基礎等が沿線に点在する。 

AB
22年5月
AC
22年5月

AD
22年5月
雑草とバラストが入り組む線路跡は、しばらくして県道38号線の下をくぐる。同所には小橋梁跡(写真AD)と共に数本の架線柱が原形を保ち、傍らの旧道踏切ではアスファルトの端から未撤去のレール(写真AE)が顔を出している。
ここからは定番ともいえる農地内にルートを戻し、一部に見られた車の轍も消え路面には雑草が広がり始める。次の踏切跡(写真AF)には、レールと共に制御盤も残されたままだ。

AE
22年5月
AF
22年5月

AG
22年5月
さらにレールを桁代わりとした小橋梁(写真AG)が続き、隣が市道との踏切(写真AH)となる。
終端間際の路盤上には太陽光パネルが設置され、その切れ目からやはり軌条桁を用いた橋梁(写真AI)を垣間見ることができる。

AH
22年5月
AI
22年9月

AJ
22年5月
パネルに沿って進むと、やがて終点木島(写真AI)に到着する。駅に併設されたバスターミナルは健在だが、主役のいなくなった鉄道側は、ホームの残骸と架線柱一組だけが取り残されている。
なお代替バスはここが終点とはならず、西方向に大きく反転し、千曲川対岸のJR飯山駅まで足を延ばしている。

参考資料

  1. 長野電鉄60年のあゆみ

参考地形図

1/50000   中野   飯山
1/25000   中野西部 [S59修正]   替佐 [S59修正]   飯山 [H2修正]   往郷 [H2修正]

93年当時の各駅

お断り    ↑ページtop
制作公開日2022-10/5  *路線図は国土地理院地図に追記して作成* 
転載禁止 Copyright (C) 2022 pyoco3 All Rights Reserved.