越後交通長岡線を訪ねて

栃尾線  廃止鉄道ノート北陸・甲信越  減速進行

 地区:新潟県長岡市 区間:西長岡〜寺泊/西長岡〜来迎寺 軌間:1067mm 動力:蒸気・内燃→電気

田中角栄元首相が社長を務めたことや、最近では田中真紀子元外相の秘書給与流用問題で有名な越後交通。現在はバス運行が中心だが、この長岡線は長く休止扱で運行を停止、20年もの長期にわたり各所にレールを残し将来の復帰に備えていたが、その夢もかなわず近年ようやく正式廃止に至った。


 略史

大正  4 (1915) - 10/ 7 長岡鉄道 開業
昭和 35 (1960) - 10/ 20   〃    栃尾電鉄と合併 越後交通として発足
    50 (1975) - 4/ 1 越後交通 旅客営業廃止
平成 4 (1992) - 4/ 1   〃 休止
7 (1995) - 3/ 23   〃 鉄道線廃止

 路線図




 廃線跡現況

旅客営業廃止後、一部が沿線工場の物資輸送を目的に貨物専用線として残されたが、これも後に休止された。


西長岡(A参照)も駅と名が付くものの、晩年は旅客の扱はなくなっている。
A
93年7月
B 貨物専業になると同時に大半の路線は廃止されたが実際は休止のような扱で、ほぼ全線にわたって路盤・線路・架線柱等が残され、長岡近郊では撤去されずに立看板で廃止を告げる踏切(B参照)などを見つけることが出来る。
93年7月
代わって運行する会社があれば譲るためである、との話を地元の方から伺うことができた。田中角栄元首相の政治力に希望をつないでいるようにも受取れる。

ただ現実的には写真撮影の時点で一部のレール撤去、切断などが行なわれ、再開は不可能に近いと思われていた。
C
93年7月
D 西長岡からはほぼ直線で北西に向い、この中に日越(C参照)上除(D参照)の各駅があった。
93年7月
しばらくすると右カーブで直角に向きを変えるが、このカーブ途中には越後関原(E参照)があった。

ここまでが最後まで貨物線として残った区間。
E
93年7月
F 再び直線で田圃の中を北に向い、越後日吉(F参照)王寺川駅と通過する。


旅客営業廃止後この区間には多数のタンク貨車が留置され、北陸道からもこの異様な風景を望むことができた。
93年7月
脇野町駅で小さく左カーブを描き、すこし向きを西に変える。


更には越後大津槙原(G参照)の各駅、休止後長期にわたり残されたレールや架線柱も最近では徐々に撤去されつつある。
G
93年7月
H 信濃川沿いに位置する与板町の入口に当るのが上与板(H参照)


住宅に囲まれてはいるが、構内のポイントなども健在だ。
93年7月
与板町の中心地では鉄道跡が民家の裏庭を走る(I参照)。列車が来る心配もなく、普段は地元民の駐車場がわり。 I
93年7月
J 町を抜け、北の入口に相当するのが与板(J参照)。ホームは写真の奥にあった。
93年7月
この先しばらくは信濃川左岸沿いを進み、ここに岩方駅、町軽井駅と続くが、付近には鉄製の架線柱(K参照)等も見つけることができる。 K
93年7月
L 一時期は新信濃川と呼ばれた大河津分水路が信濃川から分岐する付近にあったのが大河津分水(L参照)

当初は集落名から敦ヶ曽根と呼ばれていた。
93年7月
越後線との接続駅は大河津(M参照)。駅の西で国鉄線と平面交差し北西に続いていた。

国鉄の駅名は越後交通廃止後かなりの時間を経た後、寺泊と改称され今に至っている。

ここにもやはり架線柱などが残っている。
M
93年7月
N その先は県道22号に平行し日本海へと向うが、それまでの復活を前提とした人の手が入らない跡地とは打って変わって、農道等への転用が進んでいる(N参照)

地理的な条件から鉄道再開の望みはまったく絶たれているようだ。
93年7月
次駅の法崎駅付近(O参照)は生活道と呼ぶべきか農道と呼ぶべきか難しいところだが、線路跡は舗装路に変り地元民に利用されている。


そのまま西に向い海岸線近くまで来ると、跡地は県道22号および国道402号への拡幅・転用に利用されはじめる。
O
95年4月
P 町のはずれに位置する寺泊新道(P参照)から南に急カーブを描き、海岸沿いの連続勾配で一気に駆け下がり一旦スイッチバックで向きを変える。

スイッチバック終端には寺泊海水浴場駅が設けられていた。

二車線道路となった路盤跡は見事に削られ当時の面影は見あたらない。

駅跡は現在の老人ホーム下あたりで、一部に放置された路盤も残る。
93年7月
正反対に向きを変えた線路はここから緩やかな勾配に変り、中間に設置された寺泊温泉駅を含め終点までの線路跡はあぜ道状の道路や宅地となって利用されている。
その中に当時のコンクリート橋(Q参照)などを見つけることができる。


山間部でのスイッチバックは一般的だが、この海岸沿いのそれは珍しいという以外何者でもない。見ておいても損はない、おすすめのスポットだ。
Q
95年4月
R 終点寺泊(R参照)は市街の南端に位置するが、現在は駐車場として利用されている。


この駅名はスイッチバック区間廃止後寺泊新道に譲り、更に全線廃止後は国鉄大河津に譲っている。調査するときには勘違いしやすいので要注意。
93年7月
国鉄線との連絡駅来迎寺(S参照)へ向う路線は、沿線に立地する工場のため旅客営業廃止後も貨物専用線として活躍し、各駅には使用されなくなったホーム跡等が比較的よく残っている。 S
95年4月

 参考資料


 参考地形図

1/50000  長岡 [S27応修]    三条 [S27応修]  
1/25000  長岡 [S47修正]  与板 [S47修正]  寺泊 *[S47修正]  片貝 [S47修正]  栃堀
 見附 [S47修正]  栃尾 [S47修正]

 
 お断り     連絡先     ページtop
最終更新2014-10/14  無断転載禁止 Copyright (C) 2005 pyoco3 All Rights Reserved.