(旧)苫小牧軽便鉄道廃止区間を訪ねて
王子製紙苫小牧専用線 廃止鉄道ノート北海道 減速進行

 地区:北海道苫小牧市  区間:苫小牧~沙流太/40.9km  軌間:762mm/単線  動力:馬力→蒸気

製紙工場への木材搬入を目的として建設された鉄道。道内各地に点在した運炭路線と比較し、その規格は二回りも三回りも小さいが、安定した貨物輸送に支えられて営業成績は順調に推移した。支笏湖方面への王子製紙専用線が山線と呼ばれたのに対し、海岸沿いを走る当線は浜線と呼ばれて親しまれていた。ただ昭和初期に、官設鉄道の計画路線とルートが重なることから国有化され、1067㎜への改軌工事を受け、日高本線として運用が開始された。

略史

明治 41(1908) - 10/  三井物産 馬車鉄道 開業
43(1910) - 10/    〃   〃   蒸気動力化
大正 1(1912) - 10/    〃  専用鉄道 全通
2(1913) - 10/ 1  苫小牧軽便鉄道に譲渡、旅客営業開始
昭和 2(1927) - 8/ 1      国有化

路線図


廃線跡現況

A
18年6月
苫小牧駅跡
市内に張り巡らされていた本、支線、あるいは海岸沿いまで延びていた砂利採取線。今ではそのルートを探すきっかけすら掴めないほど、見事に区画整理された市街地に埋没してしまった。

その中で、路線の中心駅だった苫小牧(写真A)は、関連会社のホテルとして生まれ変わっている。
B
18年6月
駅の前後のみ、線路跡の道路転用が確認できる。東側はセンターラインの消えた二車線道路、西側は一車線の舗装路(写真B)だ。
C
18年6月
その舗装路を西に進むと、突き当たりに位置する製紙工場の構内道路(写真C)につながる。運搬された木材の搬入路であったことが一目瞭然だ。

駅から南東に向かう本線は、国道36号線と交差(写真D)したのち、卸売市場(写真E)付近で東に向きを変える。ただし痕跡はどこにも無く、あくまで地図上から読み取ることしかできない。

D
18年6月
E
18年6月

F
18年6月
この先一部は市道と重なるが、すぐ苫小牧港(写真F)に行き先を阻まれてしまう。にわかには信じ難いが当時ここは陸続きで、太平洋岸に沿って線路が延びていた。改軌時に新ルートとなった旧日高本線も、ここから合流することになる。

港湾は物流の拠点となることを目指し人工的に開削されたもので、その規模からみて莫大な費用がつぎ込まれたと想像できる。結果的にこの大プロジェクトが、今の苫小牧に活気を生み出しているのは間違いないようだ。
G
18年6月
ひとつ付け加えるならば、廃線跡をたどる際は大変な迂回を強いられる。これも間違いない。

湾の東側は一旦石油タンクヤード内を通過し、その後は道道781号線と工場敷地の間を進む。荒れ地となった個所も多いが、工業用水道や高圧ガス等のインフラ埋設に利用される区間(写真G/H)もあり、重要度に応じてなのか、その整備状況にも大きな差がみられる。
H
18年6月
直線状に続く跡地は、あくまで旧日高本線のルートであり、速度の遅い軽便鉄道が同じ路盤上を走っていたとは限らない。参考とした旧版地形図では、随所に緩やかなカーブが描かれている。起伏を避けて敷設された路線が、改軌時に若干の手直しを受けることは、よくある話ともいえる。ただし現状からは、軽便時代の線路跡を探し出すことは不可能に近い。

本線の周囲には、踏切跡や放置されたバラストも見つかるが、やはり日高本線時代の側線と思われる。
I
18年6月
道道がやや南に向きを振ると路線は少しずつ北に離れ、苫小牧市街地に続いて線路跡を転用した道路(写真I)が現れる。だがこれも長くは続かず、すぐに公園から住宅地へと入り込む。
J
18年6月
勇払駅跡
その中に置かれていたのが勇払(写真J)で、現在は駅前通りが北に延長され、駅跡を分断している。旧版地形図でも付近の軽便線は一直線に描かれ、駅位置共々旧日高本線跡にほぼ重なる。
K
18年6月
住宅街を抜け、続く畑の先で現日高本線に合流(写真K)する。この先は軽便線とほぼ同一ルートと考えてよさそうだ。即ち、改軌前の建造物は全て失われたと暗示しているようでもある。
L
18年6月
厚真川(写真L)は現線の上流側で渡っていたが、既に橋梁の遺構は認められない。

川の先はやはり両者同一のルートを進み、直後には厚真が設けられていた。現在の浜厚真駅だが、地図上では若干西寄りに旧駅が記載されている。
M
18年6月
鵡川駅跡
再び日高本線と軽便線が別れるのは鵡川(M参照)の西方からで、現駅の駅前広場付近が当初の駅跡となる。ここは単なる中間駅ではなく、砂利採取の拠点として何本もの側線を抱え、構内はかなり広かったと想像する。王子製紙社史には、別途鵡川貨物所が置かれていたとあるが、場所は判然としない。
N
18年6月
当初市街地を避けて建設された線路も、その後の市域拡大で、今では中心部を抜けるような形を取る。ちょうど市役所の東側で急カーブを描き、この境界線の一部が空き地(写真N)と共に残されている。
また地元で「なかやません」があったとの話を聞いたが、これが何を指すのか今のところ確認は取れていない。
O
18年6月
砂利採取線は北と南、両方向に向かっていた。北側は現在のたんぽぽ公園付近に二本、南側は海岸近くの鵡川右岸に数本延びていた。大半は住宅街に痕跡を消されるが、道道10号線から南に続く未舗装路(写真O)だけは、旧版地図上のルートに重なる。

本線側は、町はずれの牧草地を抜けて再度現線に吸収される。但し、日高本線の鵡川駅以東は15年の災害で休止され、復旧に向けた動きもなく、今はただ廃止を待つばかりといった状況だ。直後に渡る鵡川では、一部にトラスを組み込んだ当時の橋梁写真が残されている。
P
18年6月
沙流太駅跡
その休止線を進み軽便時代にはなかった汐見駅を過ぎると、終点の沙流太(写真P)に到着する。といっても名ばかりの終点で、実際は同系会社の日高拓殖鉄道と沙流鉄道の二路線が接続し、貨物列車の直通運転も実施されていた。

国有化後に場所を移転したため、旧駅は地元でも忘れられた存在となりつつあるのが残念なところ。

参考資料

  1. 鉄道ファン通巻275号/国鉄狭軌軽便線/臼井茂信 著

参考地形図

1/50000   苫小牧 [T8測図]   鵡川 [T8測図]   富川 [S3鉄補]
1/25000   苫小牧 [該当無]   勇払 [該当無]   上厚真 [該当無]   軽舞 [該当無]   鵡川 [該当無]
  富川 [該当無]

お断り・連絡先    ↑ページtop
制作公開日2020-8/14 
転載禁止 Copyright (C) 2020 pyoco3 All Rights Reserved.