三蟠鉄道を訪ねて
廃止鉄道ノート中国 減速進行

 地区:岡山県岡山市  区間:国清寺〜三蟠7.3km  軌間:762mm単線  動力:蒸気・内燃

岡山の玄関口として、また四国への連絡港としても重要な地位を占めていた三蟠港。だが宇野港の開港によって、その存在は大きく揺らいだ。劣勢を挽回すべく、地元資本により岡山市内までの軽便鉄道が開業された。当初は業績も良かったようだが、市街中心地まで直通出来ないことも影響してか、徐々に旭川を運航する汽船に利用客を奪われ、十数年の短期間でその使命を終えた。

略史

大正 4(1915) - 8/ 11  三蟠軽便鉄道  開業
12(1923) - 2/ 5     全通
4/ 10  三蟠鉄道に改称
昭和 6(1931) - 6/ 28     廃止

路線図




廃線跡現況

A 始発駅の国清寺(写真A)は、岡山電気軌道門田屋敷駅の西側に位置していた。駅跡はすべて市街地に変換され、鉄道の雰囲気を感じ取ることはできない。
旭東小学校脇に新設された、南北に走る生活道の東側街区が構内に相当し、一部は国道250号線の拡張に飲み込まれている。
16年3月

駅の南では当時の地割に合わせた住宅や、路地(写真B)に転換された線路跡を見つけることができ、その後やや東に寄って県道45号線(写真C)に合流する。軌道跡は道路の拡幅に利用されたようで、痕跡は何も見つけられない。

B
16年3月
C
16年3月

D
24年3月
旭東町交差点西寄に位置した網浜(写真D)も同様だ。ここは駅名こそ変わったが、下記桜橋駅の二代目を担っていたと考えられる。
駅を出ると鉄道側はやや右に曲がり、逆の左方向に進路を取る道路と一旦分離する。以南の鉄道用地はコンビニや駐車場、宅地等に細かく分断され、跡地の確認は難しくなる。
E
16年3月
南西に位置する荒神社付近まで進むと、左急カーブで向きを東寄り変える。当初はここから倉安川に沿うルートで開業し、始発駅として機関庫や給炭設備等を備えた桜橋(写真E)は、跡地に建つ冷凍倉庫会社の北半分を占めていたと考えられる。なお国清寺への路線は、後年延伸された区間でもある。
F
16年3月
駅から旭川左岸沿いのガス会社(写真F)へ側線が延び、当時としては珍しいクレーンで石炭の荷下ろしをしていたと聞いた。途中に流れる倉安川の架橋部には開通100周年を祝う壁画(写真G)も描かれていたが、これはすでに撤去されている。
本線側は再び県道に合流し、その直前には路盤跡を利用したと思われる住宅(写真H)が数軒建ち並ぶ。航空写真での確認が容易な場所だ。

G
16年3月
H
16年3月

I
24年3月
道路上を進むと次の(写真I)へと至る。全ての市街図が新道元町バス停付近を指し示すものの、大正14年の地形図だけが専光寺付近に描かれ、やや不思議な気がする。

J
24年3月




北側の倉安川北交差点横には、駅名票を模した表示板(写真J)が設置される。
すぐ南方の倉安川交差点で再び県道を西に離れる。この南西角に当時の路盤が一部残され、復元された線路と貨車が展示(写真K)されている。今のところ程度はいいが、屋外のため今後の劣化がやや心配される。そばには駅名標を模した説明書も設置されている。
K
16年3月

この先は県道沿いに建ち並ぶ大型店舗の中に入り込み、痕跡は消える。その街区内に、小さな水路用の橋台跡(写真L)を見つけることができる。あまり見かけない特殊な形状で、説明板も設けられるがこちらは文字が見づらいのがやや難点。 L
16年3月
M
24年3月
さらに続けて県道沿いの店舗や駐車場内を通り抜けると、生活道の交差する三叉路に出る。この北角に上平井(写真M)が置かれ、駅の先には路盤をそのまま利用した農地等も見受けられる。地上より航空写真での確認が取り易い区間でもある。
N
16年3月
その後は一旦県道に接近するが、すぐ右カーブを描いて離れてしまう。跡地は相変わらず市街地に取り込まれ、ルートを直接トレースすることは難しい。
下平井(写真N)は駅構内に沿って住宅が建ち、周囲の建物と向きが異なるため確認は容易だ。
O 南東に向う路線は痕跡の消えた新興の住宅街を進み、国道2号線バイパスを越えて宮道(写真O)に至る。ここも小さな空き地に駅跡を示す案内板が立てられ、鉄道の歴史を後世に伝えている。
16年3月
P
24年3月
駅の南方、道路沿いの水路に架かる橋梁(写真P)が三蟠鉄道の遺構といわれている。ルートに一致し、水路擁壁の奥に橋台らしき構造物が顔をのぞかせるものの、一見しただけでの判断は難しい。
Q
24年3月
市街地の中に埋没してきた路線だが、ここから先は周囲に農地が目立ち始め、その中に当時の地割に沿った空地(写真Q)を見つけることができる。ここも航空写真での確認が容易な箇所だ。空地以南は区画整理された農地に飲み込まれ、再び痕跡は消える。
R
16年3月
浜中(写真R)には駅名標を模した案内板が立てられ、その位置を教えてくれる。駅の南で徐々に旭川に近づき堤防道路の東脇に移るが、路盤跡には宅地や工場等が建ち並び、やはり直接たどることはできない。
S
16年3月
終点三蟠(写真S)は一時期バスの待合所に利用されていたが、今は釣具店に変わり、当時の駅舎が鉄道資料館として活用されている。建物は開業当初の桜橋から移築したもので、築百年以上経過していることには驚かされる。
当時は旭川に三蟠港が設けられ、石炭の積み込み場などもあったようだが、既に閉鎖され道路脇に石碑が残るのみとなっている。

参考資料

  1. 鉄道ファン通巻187・188号/幻の三蟠鉄道聞き書き/安保彰夫 著
  2. 三蟠鉄道記録集/三蟠鉄道研究会

参考地形図

1/50000   岡山南部
1/25000   岡山南部 [T14修正]

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最終更新日2024-3/30   *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成*
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