尾道鉄道を訪ねて

廃止鉄道ノート中国  減速進行top

 地区:広島県尾道市 区間:尾道〜市17.1km 軌間:1067mm全線単線 動力:電気

天然の良港に恵まれ、昔は広島市と肩を並べるほど賑わった尾道。この尾道から北に向かって鉄道が延びていた。終点の予定は上下町だったが全通かなわず、市までの区間開業のまま廃止を迎えた。また別途三次までの延長線も計画されていたが、こちらも夢のまま終わった。
ここ尾道には平地が少なく、海岸線まで険しい山が迫る厳しい自然条件のなかで、鉄道の建設も困難を極めたと思われる。短い路線の中にトンネルが8箇所、スイッチバックも1箇所あったことが当時の苦労を物語る。廃止後すでに半世紀を過ぎ、この尾道を訪ねる観光客に尾道鉄道を知る人は少ない。


 略史

大正 14 (1925) - 11/ 1 尾道鉄道 開業
昭和 32 (1957) - 2/ 1      石畦〜市 廃止
39 (1964) - 8/ 1    全線 廃止

  路線図




 廃線跡現況

A JR尾道からこの鉄道の旅は始まる。構内の北、今では自転車置き場(A参照)に変身したものの、いかにも不自然な配置の側溝が当時の駅跡を物語る。

山陽本線に平行しつつ西に向かって出発し、すぐ仮駅の御所橋を過ぎるが、ここには店舗等が建ち並び既に痕跡はない。
95年12月
その先半径80mの急カーブで北に方向を変えると、開業時の起点西尾道(B参照)となる。駅跡には民家が建ち並び、ホテルからマンションへと変わったカーブ地点も、当時の面影はない。

駅の背景にはよく繊維工場の大煙突が写っていたが、工場は既に閉鎖され、今はショッピングセンターやマンション等に利用されている。そのショッピングセンター屋上看板の西脇付近を尾道鉄道が通り抜けていた。
B
95年12月
C 市街地の中に位置した地方事務所裏(C参照)はアパートに変わり、今は三階建てに建替えられている。
駅名の由来を知りたかったが、周囲にそれらしき施設もなく、現地で確認することはできなかった。
96年8月
青山病院前(D参照)も民家等に取込まれ、鉄道の雰囲気は感じられない。建物の足下にはホーム跡らしき石積を認めるが、前後のつながりやその位置等から当時のホームと考えるには無理がある。

更に二本南の生活道に面する、11階建てマンションへの進入車路付近にも、駅が設置されていたとの話を聞いた。しかし駅名も明確ではなく、情報が交錯している可能性もあるが、気がかりな点であることは確か。
D
95年12月
E 駅を後にして北に進むと、細長い空き地(E参照)に出る。以前は二階建てのアパートが建っていたようだが、ここが路盤跡に相当する。

それにしても険しい地形のためか、市街地での用水路の多さには驚かされる。尾道鉄道も南北に延びる水路の東脇を併走する箇所があり、また路盤を形成した石垣擁壁が一部で残るため、住宅密集地にもかかわらずルートの把握は比較的容易だ。
16年07月
呉服店となった宮ノ前では、近くの小川に当時の橋台(F参照)を発見する。また駅の手前で市道と斜めに交差するが、道路脇に踏切遮断機の基礎らしきコンクリートが顔をのぞかせている。

駅を出て北に向かう路線は、国道2号線尾道バイパスをくぐり栗原に到着する。駅跡の確認は取れなかったが、善昭寺に取り込まれたと推測する。なお市街地で続いていた鉄道用地の境界線も次第に途切れがちとなり、徐々に跡地のトレースは難しくなってくる。
F
95年12月
G そんな中にも栗原川の橋台(G参照)が残され、ルート確定の手助けをしてくれる。

その後は山陽新幹線新尾道駅を通り抜け、国道184号線と併走しながら尾道高校下に達するが、既に痕跡も消えやはり場所の特定は難しい。
ここからは右カーブ、左カーブ、更に右カーブと連続で続き、徐々にその高度を上げていく。しかし線路跡は三成ヶ丘団地と呼ばれる大規模な住宅地に飲み込まれ、その跡地を直接たどることは不可能となっている。
05年5月
連続カーブの終了地点に設けられていたのが三美園。食品工場付近が駅跡と考えられるものの、鉄道の雰囲気は完全に消え去り、ここも現地で確認を取ることはできなかった。地図等で確認すると、一部には鉄道跡と重なる道路もあるようだが、北に進むと再び宅地に飲み込まれ、そのまま急な斜面を駆け降りる。

下り坂の終了地点で視界が徐々に開け、以前は小川に架かる橋台跡(H参照)や、それに続く築堤が顔を出していた。現在は新たに開店したスーパーの駐車場に生まれ変わっている。
H
06年5月
I 続けて小さな橋梁跡(I参照)を見つけることが出来る。こちらは地元で上手に利用され、橋台の上には電車ではなくゴミ箱が乗っている。

付近の鉄道用地は細かく分断されて密集地に取込まれるが、路盤の境界線も一部に残されている。
95年12月
三成(J参照)は空地のままだが、当時から駅の西側に二階建ビルが建ち、駅位置の特定は容易。百メートルほど北には車庫も設けられ、今は後継会社である中国バスの車庫として活用されている。

この先の鉄道跡は、廃止を待ち構えていたかのように国道184号線の拡幅やバイパス建設に利用される。
続く木梨口遊亀橋ともに既に国道に吸収され、駅跡の雰囲気はどこにも感じられない。
J
95年12月
K 地形に沿って大きな連続カーブを描いたのち、藤井川を渡ると、鉄道時代の築堤(K参照)が国道から右に分離する。ただ現在は流行の太陽光パネルが設置され、その姿を隠されてしまった。

右カーブが終わり、開業当初は美ノ郷と称した木頃本郷に到着する。旧道沿いの駅跡には郵便局や店舗等が建ち並び、当時の駅前商店も盛業中。
95年12月
北西に向かう路線は数軒の民家を抜け、木門田川の左岸に接近する。

細かく分断された廃線跡は畑(L参照)等に利用され、所有者による私道も設けられるが、特に通行止等の制限はなされていない。
L
16年07月
M しばらく木門田川と平行したのち、これを渡り、再度国道に合流する。川の両岸では今も橋台跡(M参照)を確認することが出来る。

国道上に位置した石畦[いしぐろ]は廃止時の終着駅で、ホーム脇から乗り継ぎのバスが発着していた。
95年12月
ここからは連続した上り勾配で山越えに挑む。悲運が重なって逆送事故を起こした急坂でもある。

トンネルもこの区間に集中し、1号トンネルは道路トンネルとして拡幅され、2号トンネルは歩行者用トンネル(N参照)に利用される。トンネル出口には西校上が設けられていた。
N
16年07月
O 3号は国道建設時に開削され切り通しとなり、道路用地からはずれた4号トンネル(O参照)は歴史遺産として管理保存され、案内板も設置されている。
続く5号は埋戻され、6号は切り通しに変わっている。
95年12月
連続したトンネルを抜けしばらく進むと、左にカーブを描きサミットに到着する。ここに位置したのが(P参照)で、貴重なホーム跡が今も道路脇に顔を出している。

駅を後にし、今度は連続した下り坂に差し掛かる。ここからの尾道鉄道は国道から微妙に離れ、その南側に沿って走ることになる。道路脇数メートル毎に植樹された樹木がその路盤を示している。
P
95年12月
Q 一部には国道と完全に分離した箇所も見受けられ、地元の生活道(Q参照)や運送会社の敷地として利用されている。

さらに進むと7号、8号とトンネルが連続し、こちらも国道トンネルとして供用されるが、前後のつながりを見ると若干位置を変更した可能性も考えられる。
16年07月
諸原(R参照)は地方鉄道にはめずらしい勾配途中のスイッチバック駅で、この地の険しさを象徴するような駅だ。国道バイパスはさすがにスイッチバックを採用することはなく、新設のカーブ橋で短絡させている。

なお駅跡は公園として整備され、桜のシーズンには花見客もあったと聞いたが、荒れた現状からはその様子を想像することすら難しい。
向きを逆に変えた路線は地元の生活道に転換され、やがて国道に合流する。
R
95年12月
S 仮の終点として設置された(S参照)は、鉄道廃止後新たに事務所を建設し、バスターミナルとして活用されていたが、今は規模を縮小しタクシーの営業所を併設する。当時の短い駅前道路が駅跡の雰囲気を感じさせる。

御調の市街地からやや離れ利用者には不便な場所で、路線延伸後に中心地に近い位置に移転する予定があったのかもしれない。
しかし計画された上下までの延長はかなわず、ここから更に線路が北上することはなかった。
95年12月

 参考資料


 参考地形図

1/50000  尾道 [S24応修]    府中 [S25応修]  
1/25000  尾道 *[S23資修]  三成 *[S25二修]  府中 [該当無]

 
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最終更新2016-8/15  無断転載禁止 Copyright (C) 2002 pyoco3 All Rights Reserved.