地区:岡山県備前市 区間:片上〜柵原/33.8km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気→内燃
当時東洋一ともいわれた柵原鉱山の鉱石輸送を、舟運や人車軌道から切り替える目的で建設された鉄道。当初は矢田と片上港を結び、鉱山から矢田(井ノ口)間は索道を利用していた。後年、輸送量の増大に応じて鉱山まで線路を延長し、旅客営業も手がけていたため沿線の貴重な足となっていたが、鉱石の産出量減少や車の普及に伴ってその役目を終えた。
路線図 |
略史 |
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A | 片上湾に面した起点の片上(写真A)は、ショッピングセンターとなり痕跡はない。入口正面にレールと0キロポストが移設され、モニュメントを形づくる。 鉱産物輸送が主力のため旅客乗り場は小さく、駅西側には物資集積の大きな構内が広がっていた。こちらも今はドラッグストアーや倉庫に利用される。 駅東側の流川には橋台(写真B)が残り、そのまま左カーブで市街地を抜ける線路跡は、道路や空き地(写真C)に変わる。 |
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18年4月 |
B | C | |||
18年4月 | 18年4月 |
旧山陽道との交差後は、廃線跡を転用した自転車道(写真D)が整備され、片鉄ロマン街道と名付けられた。新幹線高架橋南の正式な起点からは登り勾配が連続し、道路脇には勾配票(写真E)も残される。表示は28.6‰ときつく、当線最大の勾配との説明板も添えられる。 左手のサイクリングターミナルを過ぎると峠トンネル(写真F)が現れる。坑口はレンガだが、内部はコンクリートで補強され照明も完備している。 |
D | ||
18年4月 |
G | トンネルを抜けしばらく進むと連続勾配が終了し、清水(写真G)に滑り込む。残されたホーム上に駅名標も立つが、当時のものかは判断できなかった。 痕跡の消えた山中(写真H)の北で宿瀬川を渡り、ここに架かるスルーガーダー橋(写真I)は鉄道用の再利用だ。 |
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18年4月 |
H | I | |||
18年4月 | 18年4月 |
駅を後にした片上鉄道は上り右カーブで山陽本線(写真L)を乗り越え、次いで金剛川(写真M)を渡る。四スパンの長大橋梁が、そっくり片鉄ロマン街道として再利用された。興味を惹かれるのは、なぜ上路式ではなく費用のかさむ下路式を採用したかの点だ。 川の対岸で県道96号線を越え、その跨道橋東側には古い橋台(写真N)が姿を見せる。金剛川堤防かさ上げ以前の旧橋梁跡かと思われる。 |
L | ||
18年4月 |
位置を変えた後も両者はしばらく併走し、国道の右カーブ開始地点で鉄道側が左に分離する。同所には陸閘が設けられ、当時のレール(写真X)も一部残される。 | X | ||
18年4月 |
Y | 吉井川の蛇行に合わせ、大きく右にカーブする自転車道。その途中に保存目的と考えられる、四灯式信号機(写真Y)が現存する。 | ||
18年4月 |
備前矢田(写真Z)はホームが一面だけ残され、相対式の他方は撤去されたことになる。また構内北端にも信号機を確認でき、こちらは二灯式で場内用かと思われる。駅の先で再び国道と交差し、東脇を並走する。ただし両者には勾配の関係から高低差が生じ、鉄道側が高所を走る箇所が多い。 | Z | ||
18年4月 |
AA | しばらく進むとコンクリート桁の跨道橋(写真AA)に出会う。晩年に架け替えられたものが、そのまま再利用されているようだ。次の小橋梁(写真AB)は鉄道時代の橋台上部のみを拡幅加工し、自転車道に合わせた幅広の桁を支えている。 苦木(写真AC)にはホームと駅舎が残り、管理状態は良好で訪問者用のノートも置かれる。保存清掃活動が積極的に実施されているように受け取れた。 |
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18年4月 |
AO | 自転車道はここから片上鉄道のルートを外れるため、活用方法が消えた線路跡は、しばらく空き地(写真AO)として続いたのち、やがて藪地に変わってしまう。 | ||
18年4月 |
その藪地を抜けた先で橋台と二基の橋脚(写真AP)を確認できる。吉井川の河川整備により新堤防の外側に押し出されたため混乱するが、当時の第一吉井川橋梁の一部に相当する。 北西に向いた路線は、川の対岸で先程まで軌を一にした自転車道と交差し、同所から一車線の舗装路に転換される。 |
AP | ||
18年4月 |
AU | AV | |||
18年4月 | 18年4月 |
鉱山資料館と共に、柵原ふれあい鉱山公園の核となる吉ヶ原(写真AX)。登録有形文化財に指定された駅舎や線路、車両等が保存され、有志による定期的な展示運転も実施される。 | AX | ||
18年4月 |
AY | 線路は幸福柵原(写真AY)まで続くが、ここは体験乗車のために新たにつくられた駅で、当時からあったわけではない。 駅の先は道路へ転換工事中の箇所もあるが、大半の路盤(写真AZ)は特に活用されるわけでもなく、藪地化した区間も存在する。途中、県道349号線との交差部には、跨道橋の橋台(写真BA)を確認できる。 |
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18年4月 |
AZ | BA | |||
18年4月 | 18年4月 |
終点柵原(写真BB)は関連会社の資材置き場兼駐車場として使われ、ホーム跡とともに、撤去を免れたレールの一部が顔をのぞかせている。また構内のはずれには、雑草に絡まれた信号機を見つけることもできる。基本的には貨物主体の駅で、旅客列車は鉱山関係者の利用が大半を占めたと考えられる。 | BB | ||
18年4月 |
BC | 吉ヶ原の保存車両と共に、片上にもDL(写真BC)が展示保存される。 | ||
18年4月 |
1/50000 | 和気 | 周匝 | ||||||||
1/25000 | 日笠 | [S51修正] | 和気 | [S62修正] | 周匝 | [S51修正] | 棚原 | [S51修正] | 片上 | [S62修正] |