岩井町営軌道を訪ねて
廃止鉄道ノート中国 減速進行

 地区:鳥取県岩美町  区間:岩美〜岩井温泉3.4km  軌間:762mm単線  動力:内燃

岩美鉱山で産出される銅鉱石の搬出と同時に、岩井温泉への入湯客の送迎を目的として村営の軌道が敷設され、温泉はその後全盛期を迎えた。路線の一端は山陰本線に接続し、他方は鉱山から延びる久原鉱業専用線に接続するも車両の直通はできず、貨物輸送に関してはともに積荷の載せ替え作業を必要としていた。昭和初期の大火や大水害は何とか切り抜けたものの、鉱山の衰退、バスの進出等による業績不振で休止から廃止に追い込まれてしまった。

略史

大正 15(1926) - 1/ 20  岩井村営軌道  開業
昭和 2(1927) - 6/ 15  岩井町営となる
18(1943) -    〃 休止
39(1964) - 3/ 27    〃 廃止

路線図



廃線跡現況

A この鉄道の出発点は当時の国鉄に接続する岩美(A参照)。駅跡は現JR駅と桜並木の間に空地として広がり、岩美鉱山で産出される銅鉱石の積み替え設備や仮置場も確保されていた。

浦富地区の海岸寄りに設置予定されていた山陰本線の当駅を、温泉に近い現在地に変更させたのは、岩井温泉の旅館女将の尽力によるといわれている。
15年3月
南に向って出発した列車はすぐ左カーブで山陰本線を離れ、県道164号線に合流する(B参照)。この道も前述の旅館女将が政治家に掛け合って造られたことから、その名前に敬意を表し今でもおよし道路と呼ばれている。地元では女傑だったとの評判だ。

今は二車線道路となっているが当初は狭い未舗装路で、線路敷設時に北側を拡幅し路盤として利用した。
B
15年3月
C 南東方向に向かってほぼ一直線に進むと蒲生川に近づき、恩志橋で川を渡る。右岸の橋のたもとに設けられていたのが恩志(C参照)。駅舎を持たない小さな停留所で、今は何の痕跡も残されていない。橋梁は当初木橋で、のちに当地では珍しいトラス橋に変り、さらに現在の道路橋へと変遷している。その位置は大きく変わることはなく、心もち上流側にあったらしい。

川を越えると路線は山陰道と呼ばれる国道9号線上に移るが、やはり未舗装路でその北側を走っていたことに変わりはない。
15年3月
左カーブで東に向きを変え道なりにしばらく進むと、岩井温泉街へ向かう二車線道路が北に分岐する(D参照)。こちらが旧道に相当し、岩井町営軌道もその道路上を蒲生川に沿って東に向かっていた。

残念ながら国道を含め当時の痕跡等は全く見つけることができない。
D
15年3月
E 温泉街の入口で旧道から北へはずれ、終点岩井温泉(E参照)に到着する。駅跡は蒲生川と旧道に挟まれた狭い場所で、今は住宅や空地となり岩井温泉口のバス停も設けられている。

最後の事務員を勤めた女性が健在で、「道路に面して駅があったこと、奥の河川側に岩美鉱山専用線が乗り入れ鉱石置場と積換え場があったこと、東端にターンテーブルがあったこと、市街地の西端付近に車庫があったこと、旅客列車の合間に貨物列車が運行されていたこと、町営住宅(職員用か)も二軒ほどあったこと、温泉旅館も多く大変な賑わいであったこと」等々を教えて頂いた。
15年3月

−久原鉱業 専用線−

岩美鉱山で産出された銅鉱石を馬とインクラインを利用して運び、 接続駅の岩井温泉で町営軌道に受け渡した。ただ貨車は直通出来ず構内で積み替えが実施され、地元でキドーと呼ばれた町営軌道に対し、トロの愛称で区別されていた。

駅の東で、現在も使われる橋梁(F参照)を発見。ただ当時からのものか真偽の程は定かではなく、確率5割といったところか。
市街地を抜けた先の未舗装路が路盤跡に相当しそうだが、こちらも確証は掴めない。その先は登り勾配が続き、やがて町道に吸収される。
F
15年3月
G 道沿いに県営岩井地区圃場整備事業竣工記念碑があり、昭和58年から平成2年に掛けて区画整理が完了したと記され、当然痕跡は消えていると考えられる。

道なりに進み真名のバス停を過ぎると右にカーブし、同時に下り坂となる。やがて右手に用水が接近し、それに沿ってトロの跡(G参照)が現われる。路盤は草刈り等の手入れがなされ、作業道として利用されていた雰囲気も漂う。
15年3月
しばらく進むと橋梁跡(H参照)を二ヶ所見つけることが出来る。コンクリートの橋台にコンクリートの桁を被せた構造で、専用線時代の遺跡かの判断はつかなかった。
用水に沿って南下すると次第に藪が深くなり、蒲生川に突き当たった地点ではその跡地を確認することは不可能となる。

山腹を走る路線は相山地区で東から延びてくる県道197号線と交差し、その後は林道として山中に入り込みインクラインへとつながっていく。こちらも探索する予定だったが、林道入り口に「熊出没注意」の看板を見つけたため心ならずも諦めた。
H
15年3月
I ルートからは外れるが荒金に向かう県道197号線を進むと、左手に小規模な木材の切出し拠点を発見する。クマザサを中心とした藪に同化しているが、南に向かうトロ跡を思わせる小道も近くに姿を見せ、ここをインクラインの上部基地と判断した。

銅鉱石の積み出し口である岩美鉱山(I参照)は鉱毒の問題を抱え、現在でもその対応のために抗廃水処理施設を設けている。また一部の坑道は事前連絡で内部の見学が可能だ。
15年3月
当時の専用線の状況は想像すら難しいが、現管理事務所やや手前、構内道路の上方10m程の東側山肌に橋梁跡(J参照)を見つけることが出来る。
トロ用としては桁の間隔が広すぎる気もするが、他に適当な用途も見あたらない。可能性は五分五分といったところで、最初から最後まで判断に悩まされる難しい路線の印象だけが残った。
J
15年3月

参考資料

  1. 鉄道ファン通巻397・398・399号/岩井町営軌道秘録/安保彰夫 著
  2. 新編 岩美町誌

参考地形図

1/50000   浜坂
1/25000   浦富 [S7修正]

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最終更新日2015-4/19 
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