伊佐軌道を訪ねて
廃止鉄道ノート中国 減速進行

 地区:山口県美祢市  区間:吉則~北川/2.6km  軌間:762mm/単線  動力:馬力

のちに美祢線として国有化された美祢軽便鉄道吉則駅と、市域を結ぶ目的で建設された馬車鉄道。距離が短いこともあって旅客数は低迷し、昭和初期に貨物専業へと衣替えした。しかし馬力では輸送量も限られ、宇部興産の進出を機に同社専用線へ転換された。

路線図

略史


大正 11(1922) - 9/ 1  伊佐軌道  開業
昭和 22(1947) - 3/ 5     廃止
8/ 12  宇部興産専用線  開業

廃線跡現況

A
19年4月
美祢駅南西寄りの線路脇に残された空き地。同駅の初代に相当する吉則(写真A)が置かれていた場所で、伊佐軌道もここを出発点としていた。
B
19年4月
駅を出て美祢線と別れた後、ルート上に舗装路(写真B)が現れる。軌道とはいえ、地図上には全線が専用軌道として描かれることから、この道が線路跡の転用と考えられる。ただその距離は短く、すぐ二車線の市道(写真C)に合流し北側の歩道部を占める。
直後の厚狭川橋梁(写真D)では歩道のみが分離されるものの、軌道時代の痕跡は一切認められない。

C
19年4月
D
19年4月

E
19年4月
川を越え道路がゆるなかな右カーブを描くと、左手から宇部興産専用線(写真E)が合流する。伊佐軌道線を改軌、補強して貨物線化した路線で、ここから先は両者同一のルートを進む。
F
19年4月
しかし専用線も既に運用を停止し、踏切跡には廃止を知らせる注意看板が掲げられる。また途中の国道435号線沿い(写真F)では、山口県特有の黄色いガードレールに並び、茶色く錆付いたレールが放置されたままだ。
G
19年4月
地形図に途中駅の記載がないため、下記参考資料1を元に国道との分離付近を伊佐下市(写真G)と判断した。事務所や厩舎を併設した中心駅を担っていたようだ。
H
19年4月
駅の先で旧道と交差した後は、工場敷地内に入り込むためルートを直接だどることは不可能となり、道路側から、砂利で埋められた線路(写真H)を確認するにとどまる。この先、右カーブ終了地点にも軌道の駅があったようで、参考資料には「中市か」と記される。
I
19年4月
工場敷地は一部が伊佐川で分断される。ここに残された鉄橋(写真I)も専用線時代の遺構と考えられるが、主桁が6本並ぶ奇妙な構造を持つ。構内線との三線軌条に合わせた複線用とも取れるし、三線が並列していたようにも見える。さらに道路併用の可能性も捨てきれず、いまだ正解にたどり着けない。
橋の西岸の置かれていたのが「林ノカマ」とされる駅で、おそらく林石灰工場の前に位置したものと思われる。
J
19年4月
川の先は一旦民家裏(写真J)を通り、再び工場敷地内に消える。境界の白い塀(写真K)に沿っていたと推察される。そのまま工場正門を横切り、終点の北川(写真L)に到着する。跡地は既に工場敷地と同化し、以前東側に隣接していた美祢木材も、今は社の臨時駐車場として利用される。

K
19年4月
L
24年3月

参考資料

  1. 伊佐軌道一件/美祢市立図書館
  2. 汽車水車渡し舟2/橋本 正夫

参考地形図

1/50000   厚狭 [T11修正]
1/25000   伊佐 [該当無]

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制作公開日2024-4/24  *路線図は国土地理院電子地図に追記して作成* 
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