谷地軌道を訪ねて
廃止鉄道ノート東北 減速進行

 地区:山形県河北町  区間:神町~谷地5.1km  軌間:762mm単線  動力:蒸気

奥羽本線と、最上川を挟んだ河北町を結ぶ目的で建設された谷地軌道。元々輸送量は小さく、頼みとしていた鉱石輸送も当てが外れたため、昭和の初期に終焉を迎えてしまった。廃止後、同区間にはバスが運行されていたようだが、現在は一駅北のさくらんぼ東根駅と河北中心部を結ぶコミュニティーバスに変わっている。河北中央公園には「いもこ列車」としてSLも展示されるが、残念ながら当時使用された車両ではない。

略史

大正 5(1916) - 2/ 22  谷地軌道  開業
7(1918) - 3/ 11    全通
昭和 10(1935) - 10/ 1    廃止

路線図



廃線跡現況

神町駅跡
A
19年10月
JR駅の西側に位置した、起点の神町(写真A)。奥羽本線に突き当たって左右に別れ、北が旅客用、南が貨物用として使用されていた。

廃止後の一時期、国鉄が跡地を借上げていたとの話も聞いたが、現在は金属加工工場へと変わり、関係者以外は立入り出来ないため、痕跡の確認は困難といわざるを得ない。
B
19年10月
しかし同工場の正門には斜めにカットされた舗装の目地(写真B)が走り、これが地図上の軌道ルートに一致する。まさかレールが埋まってるわけでもなかろうが、想像をかきたてられることは間違いない。

ここから先は専用軌道で南西方向に向かう。ただし一帯は新興の住宅地として細分化されてしまい、跡地を直接たどることはできない。
C
04年10月
そのまま国道13号線に突き当たり、今度は山形空港の敷地内に入る。滑走路付近で旧道に合流し、道路上を走る併用軌道に変わっていた。旧道は現在の県道184号線(写真C)に相当し、空港の西端から二車線道路として西に向かっている。
羽生駅跡
D
04年10月
道路上の羽生(写真D)は遺構も見当たらず、旧版地図からおおよその位置を把握するにとどまった。当時は路上から直接乗り降りするケースが多く、当駅も同様に移動可能な踏み台を使用していたようだ。
E
19年10月
駅を出て東北中央道の東根インターが近づくと、県道から北に分岐する一車線の旧道上(写真E)に移る。
藤助新田駅跡
F
04年10月
次の藤助新田(写真F)は併用軌道の強みで、集落の中心に駅が置かれていた。しかしそれが弱点ともなり、蒸気機関車の火の粉で大火を起こし、住人と揉めたことが下記参考資料に記されている。
山王駅跡
G
19年10月
さらに道路上を進むと当地の主要河川、最上川に突き当たる。 架橋が遅れたため、右岸に暫定の終駅山王(写真G)が設けられていた。ただその位置は判然とせず、当時の地図を重ねて強引に推測するほか手立てがない。

全線開通後は旧堤防上を北上して谷地橋に達するが、堤防移設を含む河川改修により線路跡は完全にかき消されている。
最上川橋梁跡
H
04年10月
河川内には今も橋脚が残っているとの話を聞いたが、橋の直下(写真H)はゴルフコースや農地、藪地となり、隣接していた道路橋共々痕跡を見つけることはできなかった。木橋であったことも、発見を困難にしている要因かもしれない。
I
04年10月
川の先は県道110号線(写真I)につながる。線路は道路の北脇を走っていたようだが、跡地が道路拡幅に利用されたのか、沿道の住宅に取り込まれたのかはっきりしない。

道路の南側には、谷地軌道を開業から運営まで主導した、升川家の関連企業が並ぶ。
谷地駅跡
J
04年10月
道幅が若干狭くなった地点で線路は道路上から左に離れ、終点谷地(写真J)に到着する。少し南へと向きを振ったのは、鉱山を抱えた白岩への延伸を考慮した可能性も考えられる。

なお、道海公民館に当時の写真が掲示されているとの情報を得たが、今回、目にすることは叶わなかった。

参考資料

  1. 道海の今昔/河北町谷地道海町内会
  2. いもこ列車/谷地軌道研究会

参考地形図

1/50000   楯岡
1/25000   谷地 [S6測図]   寒河江 [S6測図]   天童 [S6測図]

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制作公開日2019-12/18 
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