仙台鉄道を訪ねて

廃止鉄道ノート東北  減速進行

 地区:宮城県仙台市 区間:北仙台〜西古川 軌間:762mm 動力:蒸気・内燃

この鉄道は当初人車軌道として計画されたが、のちに人力を馬力に変更した。しかし建設のための測量を開始すると、さらに動力として蒸気が不可欠と予想され計画から三度も変更されている。
また建設途中でルートが変更されたりと、開業までの道のりは多難であった。


 路線図  略史

* 地図上にマウスポインターを置くと仙台鉄道を表示します


大正  8 (1919) - 12/ 20 仙台軌道 設立
11 (1922) - 10/ 6   〃 開業
昭和  1 (1926) - 12/ 25 仙台鉄道に改称
25 (1950) - 8/ 6   〃    社北仙台〜加美中新田 休止
31 (1956) - 4/ 5   〃         〃 廃止
35 (1960) - 4/ 30   〃    全線 当日を以て廃止
37 (1962) - 4/ 17 古川交通、仙台鉄道を合併、宮城バスとなる

 廃線跡現況

この鉄道の始発駅、北仙台(A参照)は現在の宮城バスのターミナル。JRの北仙台駅からは少し離れた場所に位置する。
常識的には「きたせんだい」の発音で良いはずだが、旧版地形図の一部には「しゃほくせんだい」と記されたものも見受けられる。このうち最初の「しゃ」は「社」を表し国鉄駅と区別する目的で私鉄駅にはよく用いられているが、問題は「北」が「ほく」と呼ばれていたかどうかで、今回は調べきれなかったが興味を引く点だ。


さて開業当初はさらに西に位置する通町が始点だったが、市電敷設に伴って交差部以遠が廃止され短縮された。バスターミナルの向かいに細い路地が続くが、これが開業時の終点通町への廃止跡とも考えられる。
A 02年8月
北仙台を出た仙台鉄道は一旦JRに接近した後徐々にその距離を離し、狭い一方通行の生活道として転用されはじめ、これがしばらく続く。JRに近い部分だけは民地となり住宅が建並ぶ。
次の東照宮前はこの道路上で、近くの同名の寺から駅名がつけられた。ただし駅跡に接して建つ寺は東照宮とは別物。

さらに生活道を進むとJR仙山線をアンダークロス(B参照)し、大きく北に方向を変える。交差部にはJRの東照宮駅があるが、これは当時からあったものではない。この付近から廃線跡を利用した道路は所々で途切れ、一部は一方通行路の路地として、また一部には住宅が建つといった状態で、ほんのかすかに当時の姿を残しながら細々と続いていく。ただ一本につながっていないので、辿るには少々骨が折れる。

しばらくして小さな峠を越えると、中央線が引かれた少し広い道路に合流する。この道沿いには「旭が丘」を中心とする大規模団地が建設され、仙台鉄道跡はかき消されてしまう。この団地には地下鉄南北線が通り、駅も設置されているが、駅付近で仙台鉄道跡と交差することとなる。
B
70年頃撮影名田氏
道路が上り勾配にさしかかるあたりから鉄道跡は徐々に左へと分かれ、団地に隣接する台原森林公園内を通る。公園を抜けると、七北田川支流の仙台川やそれに平行する県道22号線に吸収されてしまう。仙台鉄道はこの仙台川に絡んで北に延びていたはずだが、河川改修が進み、また並走する県道も4車線となり、ここから鉄道の跡を見つけることは難しい。

八乙女にも地下鉄の駅が建設されてしまい、たぶんのんびりした田舎駅であっただろう当時の趣は全く感じられない。旧版地形図から読み取ると現在の地下鉄駅よりも北側に位置したはずで、それらしき境界が残るものの、跡地はすべて売却されたようだ。

七北田は現在アパート(C参照)で、元の駅長さんが経営する。駅への取り付け道路も残り、ここは今かなりの車が利用する。取り付け道路は駅跡で突き当り、北に向きを変えそのまま廃線跡を利用した道路へとつながるが、地元民に便利に利用されている。
C 02年8月
この道を北に進むと、当地の大動脈仙台パイパス(国道4号線)にぶつかり吸収される。合流箇所はトヨタビスタ店の脇(D参照)


その後は山の寺陸前大沢と連続してバイパスに飲込まれ当時の状況は把握できないが、実際の鉄道跡は道路に沿った緩やかなカーブではなく、平行して流れる要害川に合わせてかなり細かく蛇行していた模様。
道路脇の一部にそれなりの土地境界線を見つけることもできるが、残念ながらすべては残っていない。
D 02年8月
山の寺は現在の三菱自動車前のバス停付近で、その後牛丼の吉野屋付近では要害川を避け店の裏手を通り抜けていたと思われる。また下記参考webで紹介されたジャスコ、マツダ、ゆたか食堂の姿は既にない。


陸前大沢は東北道泉インター直下のはずだが、インター建設に絡み地形が大幅に変えられ当時の痕跡は全くない。付近は今も土地造成中。当時の線路は、ここから民家のまったくない山の中を、なんと5.6kmも先の黒川小野(E参照)目指して進んでいた。
線路跡は今では2車線道路として利用され、沿線にニュータウンや工業団地も造成されずいぶん開けている。
E 02年8月
黒川小野はこのニュータウンへの入口道路との交差点の北側で、それなりに貨物の取扱量も多かったのかJAの建物が隣接する。また、近くに学校もあったはずだがこちらも今はなく、統合されてしまったようだ。

廃線跡はしばらく2車線道路として続くが、富谷手前の竹林川を渡る地点でこの道路と別れを告げる。その先は農地に取込まれ、富谷(F参照)の駅跡も民家脇の農地となっている。さらにその先で一旦農道となるが、これは個人所有のものを公道として寄付したらしい。

この農道で再度竹林川を渡り、先程の2車線道路と交差すると、そこからは小高い山の麓や田んぼの真ん中を走り、跡地をたどることは不可能となる。
F 02年8月
宮床川を渡り二ノ関の集落を過ぎると、その先の集落の中に志戸田があり、駅跡には住宅が建つ。この付近には小さな用水などもあり、何らかの痕跡があってもおかしくはないが、どれだけ探してもそれらしき跡は発見できなかった。


ここから次の吉岡までは農地として区画整理され、同じく線路跡をたどることは難しい。途中小さな河川等もあるが橋台、橋脚等の興味ある発見はできなかった。
G 02年8月
吉岡は現在宮城バスのターミナル(G参照)だが、開発が大きく進んだ様子でもないのに鉄道のにおいが全くしない。どれだけ探しても路盤跡や線路跡の境界線がみつからないのだ。何とも不思議な雰囲気を醸し出している。


一旦市街地を避けるよう西に向きを変え、さらに北に進路を取るが、次の大童までの間に、住宅転用された箇所や放置されたままの切通しを発見する。ただ切通し部は、踏込むことを躊躇するほど荒れ放題の状態を呈している。
ここを越えると、今度は仙台鉄道跡では唯一の歩行者・自転車専用道として整備、再利用されている。
H 02年8月
この自転車専用道が国道457号線と交差するとそこが大童(H参照)で、旧版地形図には対面に小学校が記載されているが、今はもう閉校されたのか見つけることが出来ない。
政令指定都市仙台近郊といえども、この付近まで来ると過疎が進んでいるのかもしれない。


またこの駅の北を流れる埋川に架かる橋(I参照)は、珍しい木橋で復旧され人気を集めている。訪問した当日も一組の家族連れが訪れており、写真に納めるのに少し苦労されられた。
I 02年8月
大衝(J参照)は現在のJA付近で、しばらく続いた自転車専用道もこの北の県道148号線にぶつかった地点で終了する。その先は農地の中に吸収されてしまい、跡地をたどることは不可能になってしまう。


次の本町は農地のまっただ中で全く手がかりがない。駅の北を東西に横切って、取付け道の役目を果していた北上し、一部痕跡が残るとの情報があった王城寺原を探すが、どれだけ探しても発見できなかった。駅に接して未舗装の地道とそれに平行する埋川が流れるが、この道が線路跡と判断しても良さそうだ。
J 02年8月
しばらく北西に進み埋川と別れると国道457線と再度交差し、その後短いが生活道に変身する。その先は再び農地の中に吸収され、鳴瀬川支流の花川手前まで仙台鉄道の跡地はたどれなくなる。途中の加美一ノ関は現在民家になっていると思われるが、ここも確認は取れなかった。


花川には橋台橋脚などの痕跡は全くないが、ここから四竃付近までは生活道として転用され狭いが利用する車もそれなりに多い。


四竃は現在のJA付近かと考えるが確認は取れない。付近一帯は区画整理され、また道路も経路変更・拡張されたためか当時と大きく変ったようだ。駅の北も道路に利用されているがすぐ途切れ、その先はみたび農地や民地となり線路跡をたどるのは困難となる。
K 70年頃撮影名田氏
跡地はそのまま平行する国道457号線に吸収され、鳴瀬川(L参照)へと続く。


下記参考サイトによると駅跡は浅野会館とのことだが、この会館も見つからず河川にも橋台等(K参照)の痕跡はみられない。
L 70年頃撮影名田氏
川を渡り左カーブを描くと国道と別れ、中新田の町に入る。一部に石畳みの道路も造られ好感の持てる町並みだ。


仙台鉄道は国道の数十メートル東を平行して走っていたが、加美中新田(M参照)の駅跡はスーパー西友、付近の跡地も民家に変り、残念だが鉄道跡はたどれない。
M 02年8月
ここを出るとすぐに右カーブで東に向きを変え、終点西古川を目指す。国道347号線に平行しその北を走るが、ここも農地に取り込まれごく一部に境界線が残るのみとなる。
また西古川手前の多田川左岸に橋台らしき遺構が見つかる(N参照)が、夏草に覆われてはっきりした確認は取れなかった。


川を越すとそれらしきあぜ道が田圃の中に姿を現すが、駅前の密集地に
入ると跡地の判別は不能となってしまう。
N
70年頃撮影名田氏
西古川(O参照)は現在の駅前公園とAコープのあたりか。

この駅は開業当初は中新田と呼ばれていたが、のちに西古川と変更されている。参考地形図によると駅は国鉄線と直角に描かれているが、各種資料には国鉄と平行にホームがあったとの記述もある。

つまり晩年、公園の中で急カーブを描いて、国鉄駅構内へ乗り入れた可能性があることが推測できる。
O
70年頃撮影名田氏

 最新の情報


 参考資料


 参考地形図

1/50000  古川 [S19部修]    吉岡 [S19部修]    仙台
1/25000  富谷 [S24資修]  吉岡 [S3測図]  古川 [該当無]  根白石 [S3測図]
 中新田 [S5鉄補]  仙台東北部 [S21修正]  仙台西北部  七ッ森 [該当無]

 参考web


 
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