南部縦貫鉄道を訪ねて

廃止鉄道ノート東北 減速進行

 地区:青森県七戸町 区間:野辺地〜七戸20.9km 軌間:1067mm単線 動力:内燃

地方のローカル私鉄が廃止へと向かっていた昭和三十年代、南部縦貫鉄道は時代の流れに逆らうように開業した。製鉄原料の輸送を主目的としていたが、数年後に工場が閉鎖され、予定していた収入源が立たれてしまった。その後は沿線人口の少ない中で細々と営業を続け、十和田への延伸も視野に入れたが、残念ながらレールがつながることは無かった。旅客用には当初から小さなレールバスを使用し、鉄道ファンにはよく知られた存在でもあった。


 路線図  略史



昭和 37 (1962) - 10/ 20 南部縦貫鉄道 開業
43 (1968) - 8/ 5        野辺地〜西千曳 延伸
平成 9 (1997) - 5/ 6      休止
14 (2002) -      廃止

 廃線跡現況
東京と青森を結ぶ大動脈だった東北本線。新幹線開業後、盛岡以北は第三セクターの青い森鉄道として再出発しているが、やや格落した感は否めない。
その東北本線で、かつては特急停車駅だった野辺地(写真A)の、構内西側から南部縦貫鉄道が発着していた。
A
19年10月
B 駅を出た路線は、青い森鉄道と併走しながら南に向かう。19年時点でも路盤の確認は可能で、バラストが残された箇所(写真B)や雑草が生い茂る箇所が織り交ざる。
19年10月
ゆるやかな右カーブが終了し国道279号線の下をくぐると、青い森鉄道と別れ、東北本線の旧線を借用した区間に入る。路面には雑木が目立ちはじめ、立ち入ることは難しくなる。

同所の跨道橋(写真C)は、青い森鉄道側と隙間なく並べられている。
C
19年10月
D 続いて町道を越えるコンクリート橋(写真D)も両線一体構造だが、道路新設に合わせ、築堤をくり抜いてつくられたようだ。
工事中、該当区間を三ヵ月程運休したことが、下記参考資料に記されている。
19年10月
町道の南を流れる野辺地川では、平行する国道4号線側から、やけに高さが目立つ橋台跡(写真E)を望むことができる。
これは旧東北本線時代の遺構に数えられる。
E
19年10月
F 鉄橋の先からは手入れされた路盤(写真F)が現れ、脇に古枕木やレールも揃えて置かれている。
その目的は不明だが、今もJRの管理地であることを示しているようでもある。
19年10月
ただし跡地は放置されたままの箇所も多く、一部が作業場や農地、花壇(写真G)に利用されるといった状況だ。途中からは東側を舗装路が併走しはじめ、その道が T字交差点に突き当たると、路盤上は再び藪地に変わる。 G
19年10月
H 脇道を利用して進み、鉄道で使用されたと思われる小さな制御盤(写真H)を見つけるが、用途は判然としない。さらに鉄柱も建ち並ぶが、こちらはケーブルTVとの表示がある。
19年10月
側道はすぐに消滅し跡地も踏破困難なため、この先は国道に迂回せざるを得ない。

途中、ちびき病院の奥で暗渠(写真I)を見つける。おそらく鉄道用と思われるものの、残念ながら確認する術がない。
I
19年10月
J 国鉄の旧千曳駅を借用した西千曳(写真J)はホームを確認できるが、大半は雑草、雑木に覆われて全体像は掴めない。

開業時の起点でもあった初代駅は、構内西側に専用のホームを有していた。東北本線が新線へ切り替えられたのちは、南部縦貫鉄道が旧線敷を借り受けて野辺地まで運行し、同時に乗り場も国鉄旧ホーム側に移された。つまり、ここは二代目と呼ぶべきなのかもしれない。
19年10月
さらに前述の町道交差(写真D)工事期間中は、以北を運休して仮の終端駅となることから、駅を南方に移設して対応にあたった。
その新駅(写真K)側の跡地も有効な利用方法が見つからないのか、国鉄駅同様、ただ空き地が広がるのみとなっている。
K
19年10月
L 南側の踏切には、ボルトの残されたコンクリート基礎(写真L)を確認できる。他にレールが埋め込まれたものもあり、どちらかが遮断機、どちらかが警報器かと勝手に推測している。
19年10月
駅の先からは再び雑木の茂る藪地が広がり、今度も国道への迂回を余儀なくされる。大きな右曲線の後に作業道(写真M)として利用される箇所もあるが、ほんのわずかな区間に過ぎない。 M
19年10月
N 途中の築堤部にはコンクリート橋(写真N)が残されるものの、路面は相変わらず荒れ放題で、周囲から廻りこんで確認するしか方法がない。
19年10月
国道4号線沿いのグループホーム裏側にも、小さなコンクリート橋(写真O)を見つけることができる。隣には踏切用機器の四角い基礎が二つ並び、やはり遮断機と警報機に使われたと思われる。

ここでようやく藪地から解放され、空き地となった路盤上を直接たどることが可能になる。
O
01年1月
P そのまま進むと、すぐ後平(写真P)に到着する。写真でははっきりしないが、雑草の中にホーム跡が隠されている。
01年1月
駅を出ると、坪川森林鉄道を乗越えるため築堤で高度を上げ始める。交差箇所では、当時の陸橋(写真Q)が姿を見せている。
若干の違和感があるのはそのクリアランスで、今更ではあるが木材満載の列車が無事通過できたのか、興味を惹かれる点でもある。
Q
19年10月
R 交差を終え再び地上に降りると、今度は二車線道路を横切り(写真R)、線路跡を示すかのごとく、路面には二本のU字溝が刻まれる。同様の溝は他でも数箇所目にすることができる。

なお上北道延長後は、写真の光景を見られなくなる可能性が高い。
19年10月
順次南へと進み、いつしか周りを農地に囲まれる中、線路跡だけが相変わらず荒れ地(写真S)として続き、ルートの確認は容易だ。草刈等の手が入った箇所も一部に見受けられるが、坪川支流の橋梁(写真T)はあぜ道を廻り込んでを見つける以外に方法はない。

続く(写真U)は道路工事の現場事務所に利用され、駅跡の面影は探しようもない。
S
19年10月

T U
19年10月 19年10月

V 坪川(写真V)は、同名の坪川を渡るための築堤上に設けられていた。駅を支えた杭が法面に垣間見えるが、近づくことは諦めざるを得なかった。
19年10月
駅のすぐ南を流れる坪川には、両岸の橋台(写真W)が残る。一見、石積のような模様を描くが、れっきとしたコンクリート製だ。 W
19年10月
X 川を渡り、掘割(写真X)を抜けると、その先は農作業道といった形で続き、やがて国道4号線に接近し、やや距離を置いた東奥を並走する。
雑草が深くなる箇所もあるが雑木等はなく、定期的に人の手が入っていることをうかがわせる。
19年10月
そのまましばらく南下すると、コンクリート橋(写真Y)が現れる。当路線では同規模の小橋梁はコンクリート製が多用され、今のところ鋼材を用いた鉄橋跡は発見できていない。

橋の先は民家の庭先に入り込んでしまう。細かく分断されつつも、地元で再利用が図られているようだ。集落に近づき、鉄道用地にようやく利用価値が出てきたともいえる。
Y
19年10月
Z 道ノ上(写真Z)は空き地となり、北側にビニールハウスが設営されている。
駅の南方は放置された箇所、資材置き場、公園、空き地が順に現れる。さらに天間林温泉を過ぎると民家や倉庫も加わり、跡地はかき消される。
19年10月
七戸町役場の南西に位置していた天間林(写真AA)。今は中古車や資材が雑然と置かれ、当時の姿を思い浮かべることは困難といわざるを得ない。主要駅として大きな敷地を有していたことが、より一層悲哀を膨らませる要因なのかもしれない。 AA
19年10月
AB 駅を出た後も店舗や農地に再利用され、一部には今流行の太陽光パネルが並んでいる。さらに小さな藪地を抜けると、当線で唯一ともいえる舗装路に転用される。七戸町中央公園のアクセス路を担うためだ。

道路は突き当たりで左に折れるが、その手前に中野(写真AB)が設けられていた。
19年10月
道路から外れた鉄道側は築堤となり、中野川を渡るため徐々に高度を上げる。川の両岸には今も橋台(写真AC)が残り、天端部分には転落防止の柵が設置されている。 AC
19年10月
AD 川を越えた後は国道4号線に接近し、そのまま東脇を併走し始める。しばらくすると鉄道側が左カーブを描くため両者は分離し、同所に営農大学校前(写真AD)が置かれていた。ちょうど同名学校の正門前にあたる。

この先は学校の敷地に沿った草地が続くものの、突如として藪地に突き当たってしまうため、またもや大きく迂回せざるを得ない。
19年10月

新幹線との交差後(写真AE)は作業道のような形で続き、途中で鉄柱に取り付けられた制御盤(写真AF)を発見するが、鉄道で使用されたものなのか、判断する知識の持ち合わせがない。

AE AF
19年10月 19年10月

ファーム名を冠した盛田牧場前(写真AG)は、雑草に覆われて駅跡の雰囲気はどこにもなく、傍らに立てられたレールバスの説明板が、もっぱら郷愁を誘っている。 AG
19年10月
AH 駅南方には牧場が広がるため立ち入りは難しく、ここでも迂回を余儀なくされる。大規模農場が続くさまは、北海道にいるような錯覚に陥る。

小さく左カ−ブ、次いで大きな右カ−ブを終えると、ようやく路盤の確認が可能となり、そのまま上り勾配の築堤(写真AH)として南下する。
19年10月
築堤の先には高瀬川が横切る。両岸に橋台(写真AI)が残り、ここにも転落防止の柵が見られる。
現状ではその柵にさえたどり着けず、無用の長物と化すが、朽ちることなく橋台を見守る姿はなかなか頼もしい。
AI
19年10月
AJ 川に並ぶ県道脇には踏切機器の台座(写真AJ)が顔を出し、道路を横切ったのちは最後の右カ−ブが待ち構える。しかし、19年時点では利用計画が無いのか荒れたままで放置され、当線内では唯一と思われる立入り禁止のロープが張られている。
19年10月
カーブ終了地点で国道4号線と交差し、そのまま七戸(写真AK)の構内へと滑り込む。町はずれに位置したことが幸いしたのか、車両を含めた当時の施設が今も温存され、保存会によるレールバスの展示運転も時折実施されている。

見方を変えれば、利用者にとって不便な場所であったことは否めない。
AK
19年10月

 参考資料
  1. 鉄道ピクトリアル通巻477号/南部縦貫鉄道/千葉健太 著

 参考地形図
1/50000  野辺地  七戸
1/25000  野辺地 [H1修正]  狩場沢 [H1修正]  乙供 [H1修正]  七戸 [H1修正]

 95年当時の各駅

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