南部鉄道を訪ねて

廃止鉄道ノート東北  減速進行

 地区:青森県八戸町 区間:尻内〜五戸12.3km 軌間:1067mm全線単線 動力:蒸気・内燃

本来東北本線が通過する予定だった五戸地区。地元での反対運動も要因となったのか、実際に建設されたルートは遠く離れた八戸を経由するものだった。大正時代になると町勢の減退を心配した地元有志により尻内駅と結ぶ鉄道が計画され、昭和初期に待望の開業を迎えた。八戸の市街地を経由して種差までの延長も計画され、平面図が描かれるなどかなり具体化していたが、その後の情勢の変化によってやむなく断念している。
晩年は営業成績も落ち込み、追い打ちをかけるような十勝沖地震での甚大な被害により、休止から廃止に追い込まれてしまった。


 略史
昭和 4 (1929) - 8/ 23 五戸電気鉄道 開業
11 (1936) - 5/ 5 五戸鉄道に改称
20 (1945) - 1/ 2 南部鉄道に改称
43 (1968) - 5/ 17     鉄道線 休止
44 (1969) - 4/ 1      〃 廃止
45 (1970) - 5/ 30 南部バスに改称

 路線図

* 地図上にマウスポインターを置くと鉄道線を表示します


 廃線跡現況
A 新幹線が開通して大きく変貌した八戸駅。南部鉄道はこの西側(A参照)から出発していた。当時の駅名尻内はその後変更され、接続していた東北本線も今では第三セクターの青い森鉄道に移行している。

現在は空き地が目立つが、既に新幹線駅前に延びる20m道路の測量も開始され、まもなくその痕跡は全て消し去られると思われる。
15年9月
駅を出るとすぐ左カーブを描くが、既に区画整理された住宅地が広がり路線をトレースすることは出来ない。新興の分譲地のようにも見えるが、実際には古くからの住民が移転して居を構えていると聞いた。

住宅の中を抜けると、まず旧、続いて新国道454号線に合流する。ここからの国道は鉄道跡を利用して造られたもので、歩道を備えた快適な二車線道路となっている。張田(B参照)は合流点の信号交差点西付近のはずだが、現地で確認を取ることは出来なかった。
B
15年9月
C 国道がゆるやかに右カーブを描くと、線路跡は左に外れて浅水川の左岸堤防上に移り、実質的な歩行者用道路として続いて行く。

道路上に正法寺(C参照)が設けられ、国道からつながる駅前道路は今も残されている。そのまま道なりに進むと一瞬国道に合流するが、すぐに別れ再び浅水川に沿って西へ進む。なお河川堰が設置された影響からか、堤防道路と当時の路盤跡が微妙にずれる箇所も存在する。
15年9月
七崎(D参照)もこの堤防上に位置し、倉庫や民家に変わった駅跡は今でもそれなりの雰囲気が残る。ただ業務の関係からか、堤防道路に大型トラックが進入するのにはやや驚いた。当駅周辺を除けば地元の作業車以外、車に出会うことはない。

道路上を進む路線は次の久保杉橋あたりから右にカーブを描き、浅水川から離れる。跡地は全て農地に飲み込まれ痕跡は発見できない。
D
15年9月
E すぐに国道と交差するが、その東角が豊崎(E参照)で今は民家に変わる。さらに豊崎中学校を抜けると、緩やかに左カーブを描くルートは山肌に張り付きながら進む。

ここからは山越えに備えて連続した登り勾配が続き、今でも線路跡らしき荒れ地も見受けられるが、地震で被害を受けそのまま放置された路盤も多く連続性には欠ける。線路が宙吊りになった箇所もあったと聞く。
15年9月
志戸岸天満宮東方の大きな築堤も崩落後は撤去され、一時期は農地として利用されていたものの、既に荒れ地に変わってしまった。
更に南部鉄道は天満宮の急な参道階段を横切るが、今も残る路盤跡(F参照)には案内表示が設置され、その存在を後世に伝えている。
F
16年9月
G 藪地となった路盤を抜けると畑に変わった志戸岸(G参照)に着く。駅が設けられていたことが俄には信じがたく、地元の人に教えてもらわなければ判断にとまどうような光景が目の前に広がる。
国道からは取り付け道路も延びていたが、誰も利用しなくなったので荒れ果てて使い物にならないらしい。
15年9月
駅を出ると県道214号線と交差したのち、右カーブで北西に向きを変える。県道脇に一部の路盤が姿を見せるが、その先は藪地(H参照)となって既に足を踏み入れることは難しい。

ここは地震で大きく山が崩れ、家屋倒壊等の甚大な被害を受けた区間で、南部鉄道廃止への最大の引き金となった。
H
15年9月
I 藪地を抜けると二車線の市道と交差し、この交差箇所に当時を偲ぶ石碑(I参照)が建てられている。
その後しばらく市道の南脇を併走し、当鉄道唯一の地蔵岱トンネルへとつながるが、既に埋め戻されその確認は不可能となっている。
15年9月
道路側はかなりきつい上り坂で、S字カーブに続いて左に大きく曲がる。その手前左手奥に小さな小屋と二本の丸太の杭(J参照)、さらに枕木と思われる杭が立てられている。本来の目的は不明だが、都合良く解釈すればトンネル入口を暗示しているようにも受け取れる。

出口は県立種鶏場前のやや東方で、こちらも切通し部が埋め戻されたのか開口部を見つけることは出来ない。種鶏場は県畜産試験場と名称を変えたが、正面に位置した駅跡には今でも鉄道全通25年を記念した石碑が建てられている。
J
15年9月
K ここからの鉄道用地は二車線道路に転換され、五戸市街地の手前まで続く。その先で一旦空き地を通ったのち終点五戸(K参照)に到着する。本社屋や機関区等を備えていた大きな構内は、後継会社である南部バスの営業所やドラッグストアに利用されている。

またバス停名が今も五戸駅前となっているのは面白く、鉄道への想いが強いことをうかがい知ることが出来る。
15年9月

 参考資料
 参考地形図
1/50000  八戸 [S29応修]
1/25000  五戸  八戸西部

 
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