松尾鉱山鉄道を訪ねて
廃止鉄道ノート東北 減速進行

 地区:岩手県八幡平市 区間:大更〜東八幡平12.2km 軌間:762→1067mm単線 動力:馬力→内燃→蒸気→電気
松尾鉱山で産出される硫黄の輸送を目的として、専用鉄道が建設された。当初は馬トロと呼ばれる小規模な施設だったが、輸送量の増加に応じて改軌・電化等の改良が加えられ、多い時は200車/日以上の出荷をこなしたと言われている。同時に旅客営業も手がけ沿線の貴重な足となっていたが、硫黄需要の鈍化に伴ってその役目を終えた。
 略史
大正 3 松尾鉱業専用鉄道 開業
昭和 3 (1928) -        〃  内燃化
9 (1934) - 3/ 27        〃  改軌、蒸気化
23 (1948) - 3/ 15        〃  旅客営業開始、松尾鉱山鉄道となる
26 (1951) - 8/ 10     松尾鉱山鉄道 電化   
47 (1972) - 10/ 10        〃 廃止

 路線図


 廃線跡現況
A 花輪線との連絡駅大更(写真A)は、今も北側にホーム跡が残されている。通常の鉱山鉄道なら多数の留置線を抱えるが、ここは地方鉄道の終端駅程度の規模しかなく、貨車の受け渡しに支障はなかったのか、今更ながら当時の運用面に興味がわく。
19年10月
北に向けて出発した列車は、西隣を走る市道と交差したのち、ゆるやかな左曲線を描き始める。と同時に、当時の築堤(写真B)が姿を現す。特に活用されるわけでもないが、きれいに手入れされ雑木等は見当たらない。 B
19年10月
C 途中で民家に突き当たり、次いで企業の資材置き場に利用されるが、カーブ終了後は砂利道に隣接した空き地(写真C)となってつながっていく。
19年10月
次の十字路からは当時の路盤を確認できるものの、雑草地となった箇所や車の轍が残る箇所、藪地に近いような箇所が目まぐるしく入れ替わる。沿線農地の利用状況がそのまま反映されているようでもある。
この中にコンクリート橋(写真D)がひとつ残されている。
D
19年10月
E 一部で道路(写真E)への転用も認められるが、すぐ従前の状態へと戻され、雑草が密集する区間にはコンクリート橋(写真F・G)が二箇所連続する。
19年10月

F G
19年10月 19年10月

県道201号線との交差後は路面状態も若干改善され、跡地を直接たどることが可能となる。
直後に、架線柱の痕跡(写真H)が連続して数箇所現れる。ただ雑草に覆われれば、すぐに姿を隠しそうでもある。
H
19年10月

さらに小さな暗渠(写真I)を越えると、今も待合室が残る田頭(写真J)に着く。農地のど真ん中に位置することが災いしたのか、周りには廃タイヤが大量に不法投棄されている。

I J
19年10月 19年10月

K 駅の先は荒れ地となり、一部には立ち入りを制限するロープが張られている。ただこれも長くは続かず、再び車の轍が刻まれるようになると、傍らにレールを二本埋め込んだコンクリート台座(写真K)を見つける。架線柱の片割れと考えてよさそうだ。
さらに路面は砂利道(写真L)へと変わり、民家の裏庭のような場所を通り抜ける。途中にはコンクリートの溝橋(写真M)も残されている
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L M
19年10月 19年10月

道は民家に突き当たって終了し、その先は一車線道路の南側を並進する。一部には倉庫等も建つが、大半は空き地として放置され、バラストらしき石が残される箇所もある。

隣接する道路が北に曲がると、線路跡は緩いクランクを描いたのち、一車線の舗装路(写真N)に転用され始める。
N
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O しかし道路転用も長続きせず、やがて農地沿いの空き地(写真O)に変わる。途中には雑草の深い箇所も点在するため、通り抜けは難しい。
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農地の西方に鹿野(写真P)が置かれていた。現在は地域の集落センターが建ち、コミュニティバスの停留所も設けられている。建物のやや西側に駅があった、と現地で聞いた。 P
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Q 引き続き西へと向かう路線は、ここから二車線道路(写真Q)に転換される。鉄道跡らしく曲線、勾配共に緩やかで、これまでの活用方法から一転し、車にとっては快適な仕様となっている。
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東北道をくぐり、しばらく進むと、またもや砂利道に戻る。その直後、右手に変電所跡(写真R)が見えてくる。建物がなぜ残されたのか知る由もないが、周りを樹木に覆われた姿は、心霊スポットとしてアピールできそうでもある。 R
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S さらに小さなコンクリート橋(写真S)を過ぎたのち、道路は藪地に突き当たり終了する。
一旦ルートが途切れた路盤は、その後県道23号線に近づくが、既に沿道の店舗、企業敷地等に取り込まれ、こちらも線路跡を特定することは難しい。
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県道上を進むと、やがて北側に明治百年記念公園が近づき、線路敷は公園内の遊歩道(写真T)に利用され始める。
道に沿って幅の広い水路が階段状に流れ、一見、景観目的のために造られた人工河川とも取れるが、実際は太陽光で用水を温めるための農業施設で、松川温水路の名称を持っている。
T
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U 公園の西端で温水路は終了し、同時に遊歩道も終わる。その先は雑木が林立するため、再び迂回せざるを得ない。
木立の中で北へと向きを変えた路線は、松尾鉱山資料館に続き柏台の住宅地内(写真U)を抜け、最後に赤川を渡る。ただし、この川は鉄道廃止後に改修工事で河道が変えられたため、橋梁痕を探すことは不可能となっている。
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終点の東八幡平(写真U)は観光客向けの物産館となり、駅の面影はどこにもない。鉱山資料館のMAPによると、裏側にホーム跡が残るとされるが、残念ながら発見には至らなかった。 V
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 −保存車両
W 松尾鉱山資料館に保存される車両。
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 参考資料
  1. 鉄道廃線跡を歩くX/松尾鉱業/宮脇俊三 編著/JTB
  2. 松尾の鉱山/ トリョーコム

 参考地形図
1/50000  沼宮内 [S36資修]  八幡平 [S42資修]
1/25000  平舘 [S44改測]  大更 [S44改測]  茶臼岳 [*S47測量]  松川温泉 [*S47測量]

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制作公開日2020-2/18  転載禁止 Copyright (C) 2020 pyoco3 All Rights Reserved.