黒川/豊川油田専用軌道を訪ねて
廃止鉄道ノート東北 減速進行

 黒川油田 地区:秋田県潟上市 区間:大久保〜黒川油田 軌間:不明 動力:人力
 豊川油田 地区:同上 区間:大久保〜豊川油田 軌間:不明 動力:馬力
かなり以前に最盛期を過ぎたが、日本の石油産出地として有名な新潟県と秋田県。黒川と豊川の両油田は秋田側の一角を占める。他の油田同様、原油の輸送にはパイプラインを用い、採掘、採油の機材運搬や人員の輸送に軌道が活用されていた。黒川側は人車、豊川側は馬車をとされるが、一部では併用も考えられる。なお両軌道とも建設した企業名をはじめ、開業時期、廃止年、軌間等、今も不明な点が数多い。
 路線図

 廃線跡現況
-黒川油田-
A 奥羽本線大久保駅前(写真A)が軌道の出発点となる。駅の規模に比して大きな駅前広場が、最盛期の活況を示しているようでもある。旧版地図によるとレールは広場を南北に貫通し、北側の豊川油田用軌道と接続している。
19年10月
広場南端から南東に向かう軌道は、現在の市道(写真B)とルートがほぼ一致する。地図上では専用軌道とされるが、一部区間は道路上に敷設されていたこと、屈曲の多い道だったが近年拡幅、直線化されたこと、等の話を地元で聞いた。 B
07年08月
C しばらくすると市道から離れ、農地内に入り込む。ここに旧道跡の三角地(写真C)が残り、軌道はその西端に沿って走っていたようだ。
19年10月
さらに新しい住宅団地内を抜けたのちは、丘陵に沿って走る農作業道上(写真D)に移る。現地で否定されたが、地形から見てここ以外のルートは考え難い。
その軌道跡は、すぐ秋田道の昭和男鹿半島ICに飲み込まれてしまう。
D
19年10月
E インターを越えた先も道(写真E)は続くようだが、現在は背丈ほどの雑草が生い茂り、入り込むことは難しい。
19年10月
やむなく迂回した農道沿いに、石油溜まり(写真F)を見つける。自然に湧出したものか、人工的な油井跡かは不明だが、刺激的なにおいが鼻につくことは間違いない。 F
19年10月
G その農道に軌道跡が合流した直後、右手に採油用の(写真G)が現れる。岩瀬TSC-1号井と呼ばれ、近代化石油産業遺産群に認定されたとの案内看板が立てられている。
しかし、当所は黒川油田には含まれず、途中に位置した豊川油田の範疇となる。
19年10月

続く油井(写真H)には数軒の作業小屋が建ち並び、現在も稼働中の機械音が響く。中央に置かれたコンプレッサー(写真I)には、やはり近代化石油産業遺産群の案内板が取り付けられている。
また隣接する池は水面がどす黒く輝き、以前アスファルトが取れたとの説明書が妙に腑に落ちる。

H I
07年08月
19年10月

この先は一旦舗装路になるが、すぐ右手に分離し細い農作業道(写真J)に変わる。以前はすんなり通り抜けできたが、19年時点では耕作放棄地の増加に伴うものか、一部区間は藪地化により進入を阻まれる。 J
07年08月

K 道路下には数本のパイプが埋設され、褐色管(写真K)と淡色管が並ぶ。淡色側はおそらく天然ガス向で、管路に圧力計(写真L)を備える。片や褐色側は原油用と思われるものの、現在も油送を担っているかは不明だ。 L
19年10月 19年10月

M 道に沿って電柱が立ち並び(写真M)、廃線跡と認定する条件をひとつクリアしていたが、これもすでに撤去されている。また途中の小さな水路に橋梁痕はなく、上記パイプが数本渡るのみとなっている。

そのまま小さな神社前まで進むと、道が突然消える。以前は先に続いていたようだが、現状は荒れ放題のため、どこが道なのか判別不能となりつつある。
07年08月
自然に還った軌道跡は、途中、市道との交点西側に少しだけ小道となった姿を見せるが、そこからトンネルに向けての東側は、鬱蒼とした森林が広がるのみだ。
出口側もやはり藪地(写真N)に覆われ、坑口の場所を探し切れない。
N
19年10月
O トンネルの先は農作業道から舗装路(写真O)へとつながる。旧版地図に併用軌道として描かれた区間で、当時の里道上にレールが敷設されていたと考えられる。
道路直下にはパイプラインが埋設されている可能性もあるが、当然のことながら確認する術はない。
07年08月

終点の黒川油田(写真P)には油井と数軒の作業小屋、タンク等が揃う。原油を貯める露天の油槽(写真Q)もあるが、汲み上げたのか自然に噴出したのかは不明。最新地図にはいまだ数十箇所の油井記号が描かれ一大産地のようにも見えるが、実態はそれぞれが細々と採取するにとどまっているようだ。

P Q
07年08月 19年10月


-豊川油田-
R 今は駐車場となった奥羽本線大久保駅の北東が、軌道の起点(写真R)となる。黒川油田からの人車軌道が接続し、小さなターミナルを形成していたのかもしれない。
19年10月
南東に向かう路線は倉庫や民家を抜けたのち、県道229号線上(写真S)に出る。当時の地図には専用軌道として描かれるため、線路跡を拡幅転用して県道がつくられたと考えられる。同じく沿線に製油所の文字も見え、石油産地としての活況が偲ばれる。 S
19年10月
T 県道が左カーブを描いた地点で軌道側は右に折れ、二車線の市道に変わるが、直後に左へ曲がり、再び南東を目指す。
この先は道路上に敷設された併用軌道区間に入り、現在も一車線の生活道(写真T)が続く。あとから建設された国道7号線と秋田道は、共に高架で上を通過する。
19年10月

道なりにしばらく進むと、右手に赤い屋根の家(写真U)が見える。以前は商店だったらしいが、ここから分岐する小道(写真V)が軌道跡と聞いた。ただこれも伝え聞きによるもので、馬車軌道としては勾配が急過ぎるため、真偽の判断は保留せざるを得ない。旧版地形図も、このような集落内の詳細部は全く頼りにならない。

U V
19年10月 19年10月

坂を上り切ると南方に油井(写真W)が現れる。近代化石油産業遺産群に認定された中野R−5号井で、案内看板も設けられている。
ちょうど豊川油田の北部にあたり、この南東から南にかけては、今も地図上で数十箇所の油井を確認することができる。
W
19年10月
X 小道の先には路盤らしき空き地(写真X)が続くものの、すぐ藪に遮られてしまう。軌道は何本かに枝分かれするが、沿線に油田を連想させるものは少ない。
19年10月
最長路線の終端(写真Y)は農地に変わり、送電線もここが最終点となる。特に電気が必要な施設もなく、街路灯だけが唯一の利用者となっている。以前石油関連施設へ供給していた名残かもしれない。 Y
19年10月

 参考地形図
1/50000  五城目 [S27資修]
1/25000  大久保 [S23資修] 蓬内台 [該当無]

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最終更新日2020-2/2  転載禁止 Copyright (C) 2020 pyoco3 All Rights Reserved.