地区:長崎県雲仙市 区間:愛野村〜雲仙小浜/17.4km 軌間:1067mm/単線 動力:蒸気・内燃
大正 | 12(1923) - | 5/ | 5 | 温泉軽便鉄道(愛野村〜千々石) | 開業 |
13(1924) - | 5/ | 31 | 〃 温泉鉄道に改称 | ||
昭和 | 2(1927) - | 3/ | 10 | 小浜鉄道(千々石〜雲仙小浜) | 開業 |
8(1933) - | 6/ | 15 | 〃 雲仙鉄道に改称 | ||
10/ | 2 | 雲仙鉄道 温泉鉄道を合併 | |||
13(1938) - | 8/ | 16 | 〃 | 廃止 |
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A | 島原鉄道との接続駅、愛野村(A参照)には駅名標を模した石造りの案内板が設けられている。制作費も高そうだが耐久性も高そうで、鉄道の歴史をしっかり後世に伝えてくれるものと期待される。 現駅の南側に乗り入れていた跡地は通路等に利用され、痕跡を見つけ出すことは難しい。なお現在の駅名は愛野に変更されている。 |
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17年5月 |
西に向かう路線はすぐ島原鉄道と別れ、左カーブで市街地の中を抜ける。農協施設やパチンコ店、更に数軒の民家を越えた先の用水路に、当時の橋台(B参照)を見つけることができる。両岸とも石積みで、桁を結合したアンカーボルトも残されている。 ここからは区画整理された農地に飛び込み、やはりルートを直接たどることは不可能となっている。 |
B | ![]() |
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17年5月 |
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C | しばらく進むと生活道路と交差し、その先は有明川右岸の民家や倉庫の中を進む。以前は、民家庭先に道床とバラストが残っていたとの話も聞いた。 更に右カーブで西に向きを変え始め、二車線の市道と交差したのちは再び農地内に飲み込まれる。交差部西方の市道沿いには愛津の駅名標(C参照)が立てられ、その存在を伝えている。この路線は全ての駅跡に同様の案内があるため、場所の特定が容易なのはありがたい。ただし当駅が設置されていたのは道路の50m程南で、跡地は取り付け道路を含めて農地に再利用され、鉄道の雰囲気は完全に消えている。 |
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17年5月 |
駅の先からは上り勾配の築堤が築かれていたが、やはり農地として圃場整備されたため、跡地を特定するものは何も残されていない。 しばらく進むと、左手から日吉神社を擁する丘陵が迫る。その山腹に当時の路盤(D参照)が残され、路面は多少荒れているものの、現在も歩行は可能だ。ただ山側には、近年の必需品となった獣害除けの柵が連なる。 |
D | ![]() |
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18年3月 |
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E | そのまま左カーブで南に向きを変え、一旦平行する市道に合流するが、すぐ左に分離してしまう。分離後の線路跡は、歩行者専用道(E参照)に転換される。 | |
17年5月 |
分岐点の小川に架かる歩行者橋は、当時の石積み橋台(F参照)を再利用し、更にもう一箇所、同様の橋梁が続く。 ゆるやかな上り坂の道路は歩行者専用であったり、一部区間では自動車通行可能となったりしつつ、市道の東奥を南下する。 |
F | ![]() |
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17年5月 |
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G | 登り勾配を過ぎ、大きく左に曲がると国道251号線に合流する。ここからの国道は、鉄道路盤を拡幅転用して建設されている。 合流点の少し先に水晶観音が設けられ、駅名標は道路沿いに立てられている。なお水晶観音は寺社名ではなく、近くの補陀林寺に安置された観音像名を指している。 駅を後にし、東に向きを変えた国道上を進むと、下り坂の終了地点で一車線道路(G参照)が右に分岐する。この道が雲仙鉄道の線路跡で、今は生活道として利用されている。 |
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17年5月 |
道路はやがて民家に突き当たり、しばらくは住宅地の中に消える。この一画に浜が位置し、駅名標は南側の迂回路に置かれている。 駅の先は海岸沿いの舗装路(H参照)となり、右手に橘湾を望みながら東進する。北側に山が迫る崖っぷちの危ない箇所を走るため、沿線に集落はなく、当然駅もない。 路面はやや荒れたコンクリート舗装で、国道が平行するためか通行車両も少ない。 |
H | ![]() |
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17年5月 |
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I | 道路上を道なりに進み、少し右に曲がると北から国道57号線が近づき、塩屋バス停付近で合流する。ここからの国道はやはり線路跡を利用して造られ、旧島原街道が海側を並走する。 温泉軽便鉄道と小浜鉄道の接続駅千々石(I参照)は市街地の北に位置し、現在は千々石海水浴場前バス停が設置されている。 |
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17年5月 |
南東に向かう路線はやがて国道から右に別れ、県道201号線に変わる。その後右カーブで向きを南に変えると、道路脇にホーム跡が現われる。ここが上千々石(J参照)の駅跡となる。 市街地を抜けると入り江を見下ろす眺めのよい場所を走り、次第に上り勾配で山あいに入っていく。ここは命綱を頼りに測量したと言われる程急峻な地形で、工事も難航を極めたようだ。 この区間に二箇所連続で掘削されたトンネル(K・L参照)は、今もそのまま道路用として供用され、片や直線、片や曲線で、照明にも明暗の差があるのは面白い。 |
J | ![]() |
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17年5月 |
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K | L | ![]() |
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17年5月 | 17年5月 |
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M | その後眼下に再び海が見えてくると、前駅に続きホーム跡の残された木津の浜(M参照)に到着する。 駅は集落のかなり高所に設けられ、眺望はよいものの、利用者にとって不便であったことは想像に難くない。また同所に木津駅跡バス停も置かれているが、時刻表は錆びて読み取ることができず、実際にバスが運行されている様子はうかがえない。 |
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17年5月 |
駅の先で長い切り通しを抜け、さらに深い左カーブを過ぎると富津地区に入る。 入り江を囲むように進むルートの途中にトンネル(N参照)が一箇所掘削され、一部がコンクリートで補強されるものの、ほぼ原型を保ったまま道路用として利用されている。 ただ出口の見通せないカ−ブトンネルの上、内部でのすれ違いも不可能なため、通行車両はかなりの注意を払って進入しているようだ。 |
N | ![]() |
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18年3月 |
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O | 地区の東端に位置したのが富津(O参照)で、ここも中心部あるいは港との高低差はかなり大きい。 駅は、石碑北隣の民家とガソリンスタンドにまたがっていた。また民家側に入口があったこと、石碑との間の道が取付道路になっていたこと、廃線跡道路は今も汽車道と呼ばれていること、以前は大型の路線バスが走っていたこと、等の話を地元で聞くことができた。 |
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18年3月 |
県道は橘湾に沿って南東方向に進み、同時に下り勾配で徐々に高度を下げて、視界の開けた海岸沿いの平地に降りる。 少し道幅の広がった道路上を進むと、消防の施設に突き当たって左に折れ、国道57号線に合流する。この突き当たりに終点の雲仙小浜(P参照)が設置されていた。南側の民家前に残る石垣はホーム擁壁跡と言われているが、狭い空間で確認しずらいのは残念なところ。 また小浜温泉街とは大きく離れており、バスとの競争に不利であったことは否めない。 |
P | ![]() |
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17年5月 |
1/50000 | ![]() |
[S7部修] | ||
1/25000 | ![]() |
[T15測図] | ![]() |
[該当無] |